ファイナル・ガール・ファースト・ドリーマー

久佐馬野景

初めての夢

 夜の山中にぬっと突き出たログハウスから漏れ出る灯りには暖かさではなくいやな緊張感があった。

 建物の中と外にある、電灯という電灯を片っ端から点けているせいだと納得する。金持ちの別荘として作られたこういう建物は、照明器具の数は多いがすべてを稼働させることが実はあまり想定されていない。すべてに灯りを点すと――ご覧の通りの厳戒態勢かと見紛う仰々しさだ。

 装備を確認する。牛刀。手斧。クロスボウと矢が人数分。視界が狭いのはスモークシールド入りでフルフェイスのヘルメットを被っているせいだが、もう慣れたものだから問題はない。

 ログハウスの周りには見張りのための男がふたり立っていた。ただしなんの訓練も経験もないので、ただ不安げに突っ立って明後日の方向に目を走らせることを繰り返している。

 私(私とは誰だろうか。これを見ている私? それともこの身体を動かしている誰か?)は庭から通じるテラスで煙草をくわえてライターを探しているほうの男の頭部に狙いを定めてクロスボウを構える。矢は装填ずみ。強烈な光量の照明のおかげで、暗がりからでも容易に照準が合う。

 引き金を引く。トッ、と軽い音がして、男は矢を頭に突き立てて倒れる。ほとんど音がしなかったのでもうひとりの見張りが気づく様子はないのが残念だった。

 全員殺すのだから、手間は少ないほうがいい。

 テラスに乗り込み、開いたままの掃き出し窓から中に入る。おそらく見張りの男が閉め出されるのを嫌って開けておくように頼んだのだろうが、そのあたりの醜い言い争いに興味はない。

 身体に纏わり付くカーテンを払うと、絶叫しながらこちらに包丁を向けてくる女が目に入った。あまりに緩慢なその動きをしっかりと目で追って、女の手首に向けて牛刀を振り下ろす。包丁ごと手を失ってさらに騒々しく絶叫する女を見ずに、部屋の中の状況を確認しながら牛刀を横に払う。

 包丁女と逆側から斧を持って襲いかかってきていた女の喉が切り開かれ、ヒュッと声のなりそこないを出して仰向けに倒れる。

 雄叫び。入ってきた掃き出し窓から、殺さなかったほうの見張り役が乗り込んでくる。だが床は包丁を取り落とした女の手首から溢れる血液でたいへん滑りやすくなっており、勢い込んで入ってきた男は物の見事にすっ転んだ。

 仰向けになった胸に牛刀を垂直に押し込み、ぐりんと半回転させてから引き抜く。

 まだ泣き喚いている包丁女の首に手斧をめり込ませて足で首を倒してやり、手斧に付着した血と脂をカーテンで拭う。

 残りは三人。二階の自室に立てこもっている。ぎいぎいと軋む階段を踏みしめて上がっていくと、客室がいくつも並んだ二階フロアに出る。一番手前の部屋のドアを回すと、鍵がかかっている。無人の部屋にもすべて鍵をかけておいてあるのだろう。

 手斧でドアを破り、順番に部屋の中を検めていく。照明が全部点いているおかげで思ったほどは手間はかからない。調べ終わった部屋の電灯を消していき、徐々に灯りが少なくなっていく光景はなんだかロマンチックだ。

 残った部屋は三つ。ひとりずつ潜んでいるとすれば、以降は全部アタリになる。だがペースは変えず、淡々とドアを手斧で破壊していく。

 壊れたドアを開けると、部屋の中が暗かった。叫び声とともに堅いものを振り上げた男が短いストロークでそれを連打してくる。ヘルメットのおかげで大したダメージはないが、今度は突き出た四つの棒で刺股のように身体を拘束しようとしてくる。

 丈夫な木の椅子。殴るにも防ぐにもよし。ただし最初の一撃で正体は見抜いている。

 あらかじめ手に持っておいたクロスボウを少し下方に向けて放つ。相手との距離がかなり近いことは自明なので、矢は相手の太ももに突き刺さる。

 悲鳴とともに押さえつける力が抜ける。蛍光色の矢羽ヴェインがよく見えるので、男の太ももに突き出た矢筈ノックを思い切り踏む。

 絶叫。痛みのあまり倒れ込む男の首と垂直に、牛刀を振り下ろす。

 勢いよくすっ飛んだ男の首には一瞥もくれず、一度電灯を点けて部屋の中を検める。トイレに鍵がかかっていたので手斧で破り、中に入っていた男の額を出会い頭にクロスボウで射貫く。

 あとひとり。

 残ったふたつの部屋を確認したが、中には誰もいなかった。勘定を間違えたか? そんなはずはない。まだどこかに隠れて逃げだすチャンスを窺っているだけだ。

「会いたかった」

 私は二階の廊下で声を聞き、振り返る。これまで電灯を消してきて暗闇が増していったその奥に、声の主は立っていた。

「ずっと待ってた」

 牛刀を握りしめ、私は声のほうへと進みだす。声の主はその場から一歩も動かない。何事か言っているようだが、私には関係のない話だ。

 牛刀が深々と腹に突き刺さる。傷口から臓物をこぼしながら急速に命が失われていくその顔を見て、私は首を傾げる。

 毎日鏡で見ている顔――最後のひとりは私――これを見ている私だった。

 これが今朝、私が人生で初めて見た夢だった。

 当然、目覚めは最悪だった。今日この日まで一度たりとも夢というものを見ず、うなされるという経験自体が皆無の私にこの夢はヘビーすぎる。

 一切夢を見ないという、なんかルパンみたいでかっこいい私の特性が汚されたのも最悪だ。まっさらなパーフェクトスコアを記録してきたところにドギツい泥がぶちまけられたせいで、記録そのものが台無しもいいところ。

 スマホの時計を見る。朝八時過ぎ。大学に通っていたころと同じ時間帯に目が覚めていることに気づいて、げんなりと笑顔を作って顔をくしゃくしゃにする。見ている人間がいないとわかっていても、表情筋を目一杯使った自嘲にあとから恥ずかしさがこみ上げてくる。

 ロックを解除するとたくさんのメッセージの通知が来ている。開くと既読になってしまうので一度スマホの画面を消し、先に身支度を始める。

 出かける準備を整えてから、スマホと向き合う。届いているメッセージを確認し、丁寧に返信していく。

 

 楽しみですね!

 久しぶりに会えますね!

 小生も参加したかったのですが、無念!

 

 といった内容に同じような言葉を使って同じような意味合いになるように。これから三日間寝食をともにする相手も多いので、細心の注意を払いながら。

 返信を終え、昨夜用意しておいた旅行鞄を持って、駅に向かう。最寄り駅から東京駅に。

 新幹線のホームに向かう途中で、明るい茶髪の女と出くわす。遠目には若く見える派手なファッション。だが近くで見ると、若かったころのファッションが抜けないまま年を食った三十過ぎだとわかる。きっと年齢に見合った恰好をすればそれなりに魅力的に見えるのだろうが、脱却できていない若さの残り香が残酷なことに彼女の評価を下げて見せている。

逸花いつかちゃん、久しぶり! 一緒に自撮り上げよう?」

 丹田に力を込め、満面の笑みを作る。

茂手木もてぎさんお久しぶりですー! もちろんですよー!」

 スマホを取り出し駅構内の通路の真ん中に立って互いが画面に収まるように写真を撮る。本当はこんな迷惑行為なんかしたくないが、人付き合いのためには必要だった。特に自分たちとその他大勢の人間たちが立っているステージが違うのだと信じ込んでいる手合いと話を合わせるには。

 茂手木紗代さよと互いの新幹線の座席を確認する。スマホで予約した席は偶然にも紗代の隣だった。丹田に重い一撃。だがぐっとこらえて嬉しがる。

 新幹線に乗って窓側の席に座り、通路側に茂手木が座る。充電器を持ってコンセントを探しているうちに前屈みになった茂手木の姿を見て、急に今朝の夢の一場面がフラッシュバックする。

 こんな姿勢で包丁持って突っ込んできた女の顔――あれは間違いなく茂手木のものだった。その包丁を握った手を牛刀で切り落とし、喚き続けていたので手斧でとどめを刺した。

 初めて見たので勝手がわからないが、夢の登場人物は現実で見たことのある人物である場合が多いと聞く。ならば顔を知っている茂手木が殺されていても不自然なことはない。

 しかしちょっとした所作で夢の内容がフラッシュバックするとは。普段夢を見ている人間はどう対処しているのだろうか。

 茂手木はしきりにスマホを操作しながら、器用に私に話しかけてくる。今回集まるメンバーの「ステージ」の高さを誇らしげに語り、これから会うことになる相手を褒めちぎる。自分もその中のひとりであることを誇示するために。その行為がやがて自分に還元されると信じているから。

 私は律儀にスマホを閉じたままで相づちを打つ。「外」への悪口には賛同を示し、「内」の陰口には言葉を濁す。茂手木は私よりも古株で意外と発言力を持っている。私を試すためにわざと陰口を混じらせている可能性も考慮しなければならない。

「あー、まだ逃げてるんだ」

 一度会話を終えて、茂手木がふとつぶやく。意識の外からの言葉に一瞬背筋がぞくりとするが、スマホをずっと操作していたので、ニュースかなにかの記事を読んだのだと自分を落ち着かせる。

「なんですか?」

「ん? ほら、『首なしライダー』」

 ああ、と安堵する。

 首なしライダーとは最近世間を騒がせている謎の連続殺人鬼だ。どこからともなく現れて、ひとを一度にたくさん殺していく。やってることは派手なのに、警察はなんの手がかりもつかめていない。

 わかっていることはひとつ。殺人現場では必ず頭をすっぽりとかぶり物で隠している、ということ。首から上が見えないから、「首なしライダー」。

 いかにも謎の連続殺人鬼らしい特徴と警察を翻弄する悪行に、一部ではファンも多いらしい。公的な報道では一切「首なしライダー」の語が用いられていないのに、すでに日本人はみんなその名を知っている。

 少し前の私だったらきっと夢中になって、「首なしライダー」のセンスのなさに憤慨していた。切り裂きジャック――ジェヴォーダンの獣――ハイルブロンの怪人――そのあたりをもじってキマった名前を考案していただろう。だけど今ならわかる。そんな捻った名前をつけても人口に膾炙することは絶対にない。

「昨日岐阜県のキャンプ場に出たみたい」

「うわぁ、近くじゃないですよね?」

 私たちが向かっているのは岐阜県の山の中だ。

「同じ県だけど、岐阜ってけっこう広いし。場所もだいぶ離れてるっぽいよ」

 間もなく名古屋に到着すると車内アナウンスが流れ、茂手木が立ち上がる。私もあとに続いて、網棚から荷物を下ろすのを手伝う。

 旅行鞄を持って名古屋駅のホームに降り立つ。新幹線の改札を抜けて、在来線のホームを探す。ターミナル駅だけあってホームの数が多く、通路からプラットホームに向かう階段が全部まるで同じ造りをしているせいで迷いやすい。

 通路の上に設置された電光掲示板と、何番線かを示す数字の看板だけが頼りだ。

「逸花ちゃんこっちこっち」

 茂手木がきょろきょろとあちこちを見回している私を見かねたのか、階段の前で手招きをする。新幹線の改札を抜けてからあまり距離が離れていない、11番線。

 階段を上っていくと、おそらくこの駅とホームには似つかわしくない、明るく自信に満ちた声が無数に響いてくる。

「おお、紗代ちゃん! お久しぶり」

「紗代さん、その節はお世話になりました!」

 四人、私と同じように旅行用の鞄を持って、ホームで電車を待ちながら談笑している。

 私が階段を上りきると、茂手木と同じように親しく声をかけてくる。

「逸花ちゃん! 久しぶりだね!」

「おっ、君が噂の最年少だね? 初めまして! 志が高いひとはやっぱり、いい顔つきをしている!」

 丹田に力を――込める。満面の笑顔を――作る。

「お久しぶりですいずみさん! 初めまして! ええっと――」

 以前に会っている泉見晴みはるにまず挨拶をして、初めて顔を合わせる男にも愛想を振りまいてみせる。わざとらしく相手の本名を知らない素振りを見せ、向こうから名乗らせるように仕向ける。

「ああ、僕は滑田なめだ、と言えばわかってもらえるかな? ずっと本名で参加しているからね」

「もちろんです! 滑田さん、いつも刺激をもらってます! 会えて嬉しいですー!」

 滑田天馬てんまは整髪料がべったりとついたボリュームの少ない髪の毛をかき上げて笑みを浮かべる。チノパンにポロシャツの古くさい外見は一見会社の上役に見えるが、そんな人物がこの場に参加しているはずもない。

 一方の泉は見飽きたツーブロックと、クラブで見かけるようなスキニージーンズに白Tとジャケット。愛想のよさでは私といい勝負ができる男だった。

 残るふたりはカップルらしく、一歩離れたところで密着してふたりでしきりにひそひそと話している。

的場まとばくんも挨拶くらいしたらどうだね?」

 滑田が諫めるように声を発する。

「まあまあ滑田先輩。紗代ちゃんも逸花ちゃんも的場とは何回か会ってるよね?」

「なになに、的場くん彼女連れー?」

 きゃっきゃとはしゃぎながら的場はじめに手を振る茂手木。的場も苦笑しながら手を振り返す。私も会釈をすると、的場は手をくいと曲げて挨拶を返す。

 野暮ったいズボンとトレーナー姿の的場は、この中では最もカップル姿が似合わない男ではあった。

 連れている女は見たことのない顔だった。

「そもそもこの合宿に彼女を連れてくるなんて」

 滑田がまだ我慢がならないのか口を出すが、すぐに泉がなだめに入る。

「『パートナーがいる方は是非ご一緒に』って書いてあったじゃないですか。たぶん今が一番お熱い時期なんですよ。温かく見守ってやりましょ?」

 滑田がさらになにか言おうとしたところに、列車が到着した。

 普通席を左右四席ずつ八つ占領し、それぞれ座席を回転させて三人ずつが向き合って座る。私と横に茂手木、正面に泉の右側と、的場カップルと滑田の左側に分かれるかたちになった。

 さすがの滑田も正面に座った相手に説教を垂れることはなく、居心地が悪そうに盛り上がる右側座席の会話に積極的に参加する。的場と彼女は相変わらずひそひそとふたりだけで睦み合っている。

 車内は大して混んでいない。ど平日の月曜日に観光地に向かう客は私たちくらいというわけか。ほかの面々はきっとそこにも変な誇りというか、優越感を覚えているのだろう。

 茂手木と泉のおかげで話題は尽きることがない。相づちや返答ならば私も貢献できるので、会話を盛り上げる役を買って出る。滑田ももう目の前のふたりには目もくれず、身を乗り出してこちらに入ってくる。

 特急とはいえ目的地までは二時間以上かかる。東京名古屋間以上の時間をずっと盛り上げるのは困難を極めるだろう。

 名古屋駅を出てひとつめの話題が盛り上がって終わったころに、滑田が持ってきたクーラーボックスの中から缶ビールを取り出して配り始めた。常時自分に酔っているような手合いでも、酒の力がなければ二時間の長丁場は厳しい。滑田は喉が渇いただろうからと言って気前よく発泡酒でも得体の知れないアルコールでもない本物の缶ビールを手渡していく。的場と連れの女――津井ついういという名前らしい――にも強引に持たせたのは寛容な心というより、年を食ったがゆえの無遠慮さからだろう。

 誰にでもなく乾杯をして、それぞれビールを飲んでいく。普段安くて得体の知れないアルコールしか飲んでいない私は、久しぶりのちゃんとしたビールを飲んで笑顔で「おいしい」と笑う。だが実際は、ほとんど味も感じられていなかった。炭酸が喉を焼いてアルコールが巡っていく感覚だけがいやにはっきりと感じられ、それよりも周囲の人間が起こすリアクションに合わせてどういう挙動をすればいいのかを必死に考えている。ないとは思うが酔いが回って下手なことを口走らないかと不安になり、だが渡された酒に手をつけなければ嫌味に受け取られてしまうだろうとごくごくとビールを飲んでいく。

 私の逡巡とは無関係に、会話はどんどん盛り上がっていった。私もその輪の中で笑い、手を叩き、大声を上げた。自分の出す音で自分の耳がつんざかれそうだった。数少ないほかの乗客からあの下品な一団のひとりだと思われていることがイヤでイヤで仕方がない。無言で軽蔑のまなざしを向けてくるステージの低い人間たちと自分たちは立っている視座が異なると自負している下品な一団は、さらに機嫌よく笑い、手を叩き、大声を上げる。

 目的の駅で電車を降りたころには、滑田はほとんど酔い潰れ、泉と茂手木は足下がふらつき、的場は顔を茹で蛸のように赤らめ、津井は半分眠ったように的場の身体にもたれかかっていた。

 私も飲まないわけにはいかなかったので相当量のビールやチューハイを摂取したが、この中ではまだまともなほうだった。こういう場合、まともなままの人間が一番損をするのだが。

 バラバラに駅を歩き回る連中をつなぎ止め、トイレに行きたいと騒ぎだした時はトイレへと誘導し、自販機で水を人数分買って笑顔で手渡す。

 駅のロータリーへと出ると、すでに迎えの車が来ていた。

吹田すいたさん、お久しぶりです。すみません、みんなけっこう飲んでて……」

 八人乗りのミニバンの運転席で窓を開けて煙草を吹かしている男――吹田金治きんじに挨拶をして、なかなかメンバーが集合しない理由を説明する。

「ああ、大変だったね逸花ちゃん。大丈夫大丈夫。急ぐわけじゃないし、そのうち気づくだろ。おっ、ほら、泉くんがこっち見た」

 ふらつく足取りでミニバンまで走ってきた泉は、吹田に一礼をしてから続けて何度も頭を下げた。

「すみません吹田さん。すぐに全員連れてきますんで」

「おう、急げや」

 私とは違って泉には横柄に言葉をぶつける吹田。煙草を携帯灰皿でもみ消すと、泉が走っていたほうを見やる。

「今回もまた大所帯になりそうだね」

「ほかの参加者のひとたちは、もう?」

「ああ。君らで最後だね。俺と同じで車で来たひともいれば、午前中にここに迎えにきたひともいる。まあなんにせよ、集団行動ができるなら大助かりだ。往復するだけでもけっこうガソリン使うからね」

「すみません、ありがとうございます」

「逸花ちゃんが頭を下げることはないさ。俺が自分から買って出たことだ。おっ、みんな来たみたいだな。これで全員か?」

 吹田は運転席の窓から顔を出し、集まった面々に声をかける。

「吹田くん、申し訳ない。僕が酒を出したのが悪かった」

 両手を合わせて大仰な身振りで頭を下げる滑田。真剣に謝っているというよりは、謝っているポーズを誇張して自分の失態を茶番としてすませるように仕向けている。

 吹田も先ほどの言葉通り特段怒っているわけではないらしく、まあまあと滑田の茶番に付き合っている。

「滑田さん、だいぶ酔ってます? コテージに着くまでにはちょっとは抜いといてくださいよ。俺たちが集まったの、勉強会が目的なんですから」

「もちろん、もちろんだよ。ほら、的場くんも津井さんもシャンとしたまえ」

 いつの間に打ち解けたのか、あるいは滑田が勝手に懐を開いただけなのか、的場と津井に注意を促して車に乗り込む。あとに続いてその的場と津井のカップルが滑田が座った最後部座席に腰を下ろした。

 また茂手木の隣か――と後ろを振り向くと、茂手木の姿が見当たらない。

「あれ、紗代ちゃんは?」

 助手席に乗り込もうとした泉が私とほぼ同じタイミングで気づいたらしく、ドアを開けたまま車から離れて周囲を見渡す。

「私、捜してきます」

 泉より先に私が走りだす。茂手木もかなり酔っていた。迷子とまではいかなくとも、どこかでうずくまって嘔吐していてもおかしくない。

「だから言ったでしょ。今日から出かけるって。そう。泊まりよ。男? いるけど、あんたと違ってみんな紳士よ。はあ? 迎えにいくって、なに馬鹿言ってんの。私の面子潰す気? そう、そうそうそう。うん。はい。うんうんうん。そう。ごはんはちゃんと冷蔵庫に入れてあるから」

 駅舎の柱の陰で、茂手木が誰かと電話をしていた。立ち聞きするのは悪いとは思ったが、途中で遮る勇気も湧かなかった。電話を切ったタイミングで足を踏み出し、小さく声をかける。

「茂手木さん、もう出発するみたいですよ」

「あっ! 逸花ちゃん! ごめんなさい。みんなに謝らないとね。さ、早く行こ」

 私が立ち聞きしていたことを責める気はないらしかった。それどころか吹田の車に向かう途中で、自分から電話の相手を明かしてきた。

「旦那よ、旦那」

「あっ、さっきの電話……。すみません、ちょっと聞こえてしまって。って、茂手木さん結婚してらしたんですか?」

「あれ? 言ってなかった? あー、そういえば男受けがいいから、プロフィール独身で登録してたの忘れてたわ。いいのいいの。ウチの旦那なんてクソ男だから。ここにいる時くらい、独身気分でいたいじゃない?」

「あっ、はい。じゃあ黙っておきますね……」

「ふふ、ありがと」

 車にたどり着くと吹田に謝り、車に乗り込む。茂手木がすぐ隣に腰かけ、泉が助手席に座りドアを閉めたのを見て吹田がエンジンをかける。

 車の中では泉と茂手木に吹田が加わり、大いに賑やかな会話が行われていた。最後部の三人は飲み過ぎたのか物理的に距離があるからかあまり入ってこず、私がその分を補うように会話の盛り上げに尽力した。

 茂手木は時折、私に意味ありげな視線を投げてよこした。

 秘密の共有。それによる絆の構築。茂手木が考えているのはそんなところだろう。

 冗談ではない。勝手に自分から偽っていた身の上を明かして、私に不要な負担を強いている。秘密が必要なのは茂手木だけであり、私はただ知っているだけでそれが明かされようと隠されようとなんの影響も受けない。

 そんな単純なこともわからず、自分本位に秘密の共有というトピックだけを取り扱い、私を自分側の人間にできたと信じ込んでいる。

 勝手にやってくれ。私に迷惑をかけない範囲で。それ以上の感情はなにもない。

 車はどんどん山の中に入っていく。車一台しか通れないような崖道や風で揺れる橋を乗り越え、目的のコテージに到着する。

 ここには初めて来るはずなのに、初めて来た気がしなかった。なんだかついさっき見たような感覚が自分の中でむわりと沸き起こり、残っていたアルコールと合わさって気持ちの悪いげっぷが出た。

 駐車場には吹田の言っていた通りほかにも車が停まっており、一台は中古の軽自動車、あとの一台は写真で見た覚えのある高級外車だった。

 日中のログハウス。太陽光は窓から目一杯取り込めるように設計と周辺の木の伐採は行われているのだろうが、きっと夜中に電灯を全部点けた時のほうが眩しく見えるのだろうという気がした。

 車から降りて、玄関から中に入る。掃き出し窓から上がり込まないことに妙な違和感を覚えたが、庭でバーベキューをすることになればイヤでも窓から出入りするだろうと自分を納得させた。

 リビング――というよりは大広間には、すでに到着していた「仲間」がふたり、ソファに座ってくつろいでいた。

瑞美みずみちゃんもユキちゃんもいるね。これで全員だな。小森こもりさん!」

 吹田が声を張り上げてこの合宿の主催者の名前を呼ぶと、全員がその場で背筋を伸ばした。

「はいどうも。みなさんよく集まってくれました。今回も実りのある時間にしたいと思っています」

 階段から下りてきた中肉中背の男。元俳優だけあって張りのある声と心地よい抑揚。

 オンラインサロン「小森弘人ひろとのコンテンツ大学」オーナー、小森弘人が広間の上手で立ち止まると、示し合わせたかのように参加者たちが全力で拍手を送る。

 私がこのオンラインサロンと出会ったのは大学三年生の時だった。テレビの深夜番組(の見逃し配信)で、オンラインサロンの魅力と称していくつかの似たような有料会員制オンラインサロンが紹介されていた。

 その中でも目を引いた――疑ったのが、「小森弘人のコンテンツ大学」だった。月1200円の会費を払ってなにをするかといえば、オーナーである小森が視聴した映画やドラマの感想が読めるというものである。それに対して会員たちはひたすらに小森の感想の高尚さや鋭さを褒めちぎる。やがては会員たちも小森と同じように高尚で鋭い感想が書けるようになり、実際にSNSやブログで会員がバズっている――と宣伝されていた。

 これは、実に上手く当時の私の承認欲求を刺激した。私はクソのようなSNSのクソのようなタイムラインに四六時中齧り付き、時折自分でもクソのような投稿をして大した反応もないというようなことが続いていた。タイムラインを流れていくフォロワー四桁超えのクソのようなアカウントの投稿よりも自分の投稿のほうが面白いのにまったく承認されないことに憎しみを募らせ、結局自分のフォロワーが二桁止まりなのが全部悪いのだと恨み続ける。

 そんなところに、バズりを約束する広告。

 まさしく思うつぼにはまった私は、「小森弘人のコンテンツ大学」の有料会員となった。

 ところがサロンの中では、思いも寄らない困難が待ち受けていた。

 極めて密な人間関係である。

 私は自分から人間関係の構築をしなかったためにSNSでもフォロワーが増えなかった。ネット上でくらい、人間関係くらい忘れさせてほしいというのが私の願いだった。

 だがサロン内のチャットや投稿ではプロフィールに紐付けされた自分のアカウントとほかの会員のアカウントの距離が予想以上に近く、クソのようなSNSではスルーするのが常識のような何気ない発言に対しても、必ず誰かが絡んでくる。

 さらにボイスチャットやオンライン会議も定期的に行われ、私はネットには上げないと決めていた自分の声と顔を、サロン会員に晒すハメになった。

 この時点でもう、オンラインサロンとSNSは完全に切り離すことに決めた。クソのようなSNSのクソのような自分と決別し、このサロンでは私自身として成り上がることを誓った。

 私は、自分がこの世で最も劣った存在だと知っている。それゆえ、へりくだることに一切の抵抗がなく、どんな相手にも下手に出るように生きている。

 現実の私と地続きとなったサロンの私へのほかの会員からの評価は、「誰よりも愛想がいい」に定まった。当然だ。そうしなければ私は存在することすらできない。

 勉強会と称した、オーナーである小森と直接対面して中身のない時間を過ごす合宿にも積極的に参加した。そこで茂手木たちと顔を合わせ、人間関係の構築をより強固にしていく。

 自分の思惑から外れたオンラインサロンでの時間は、私の本当の性分を自覚させた。サロン内の人間を見ている私は、たしかに自分がこの世で最も劣っていると理解している。だがサロンの人間は誰も彼も自分たちこそが高尚で本当に正しく世界を見ることができていると信じている。そのあまりに惨めな姿を見ながら、私は愛想よく振る舞い続ける。

 自分がすべてより劣っていることを知りながら、半ばカルトと化した集団に属し、その醜悪さを指摘することもなく付和雷同し続ける。これはそのまま、私が劣った立場にいることをいいことに、この世のすべてを見下しているという証拠ではないか。

 自分の卑屈な傲慢さに気づいた私は、さらに愛想がよくなった。決してこの本性を表に出してはならない。だが一度芽生えて自覚した性分はもう取り消すことはできない。私はサロンの中でほかの会員を侮蔑しながら、必死にへりくだって積極的に活動に参加するという、わけのわからない状況に追いやられていた。

 今回の勉強会は、小森が岐阜山中に所有するコテージで行われることとなった。交通の便が悪く、古参会員である吹田が駅まで出迎えに行くことが決まっても参加希望者は普段よりも落ち込んだ。それでもキャパの問題で参加者は抽選となったらしい。

 このサロンの参加者は、みな何者かになりたがっている。それはつまりそのまま、何者にもなれないことを示している。いくら詭弁と言葉遊びに労力を費やしても、こんなオーナーが自分の権威を利用して小銭稼ぎをする場所から得られるものなどなにもない。情報商材を買わされないだけマシなほうだが、それもいつまで持つかわからない。何者かになりたいという欲求が暴走した結果、自分たちが持っていると信じ込んでいるノウハウをまとめて外部の人間に売りつける輩が出てきてもおかしくない。

 私もまた、何者かになりたかった者のひとりだ。少なくとも、最初の動機はそうだった。このサロンに入り込んでいくうち、最も忌むべき存在へと成り果ててしまった。

 ソファに座った小森の両脇に、ホステスのように茂手木と小野おの瑞美が張り付く。向かい合った席に座った泉がしきりに何事かを相談し、小森は真剣な調子で何度もうなずく。

 吹田は掃き出し窓から庭に出て、バーベキューの準備を始めていた。

 気づくと太陽はかなり低くなっていて、山の中のコテージはあっという間に闇に呑み込まれていく。電灯が点けられていく中、私は自分の荷物を持ったまま呆けたように突っ立っていた。

「小森さん、部屋割りってどうなってます?」

 茂手木が水割りを作りながら小森にたずねる。

「ああ、それなら吹田くんが」

 庭のバーベキューコンロでは炭の火が強くなり、いよいよ肉を焼き始めるという段階だったが、吹田は小森に呼ばれるなり軍手とトングを放り出して中に入ってきた。

「二階の寝室は人数分あるから、各自好きな部屋を使ってもらえばいいよ」

「だって。逸花ちゃん、先に二階上がろっか。私も荷物置いときたいし」

 茂手木は広間の入り口付近に置きっぱなしにしていた自分の旅行鞄を持って、階段を指し示す。

 私は笑顔を作って茂手木のあとに続く。いやに軋む階段を上がって、電気が点いたままの二階の廊下に立つ。寝室の部屋のドアは全部閉まっていて、茂手木は奥のほうの部屋のドアに手をかけたが開かない。

「あれ、鍵かかってる。中に誰かいる?」

「外から鍵がかけられるんだと思います。そこは小森さんか吹田さんの部屋だったはずなんで」

「逸花ちゃん、部屋割り知ってるの?」

 茂手木に聞かれて、私は首を横に振る。振りながら、そのドアを開けると吹田が椅子で殴りかかってくるという記憶があることに気づく。

「大丈夫? まだお酒抜けてない?」

 心配されるようなことを言われて、茂手木が気を回したのだということに気づく。所在なさげに突っ立っていた私を見て、様子が変だと気づいて寝室に向かわせようとしたのだろう。

「あっ、はい。大丈夫です。お酒もそんなに残ってないし、気分も悪くないです。すみません、心配をおかけして」

「そう? 吹田さんの車に乗るまでは逸花ちゃんが一番しっかりしてたのに、ここに着いてからなんだかそわそわしてるから」

 たしかに、このコテージに着いてからずっと、なんだか得体の知れない不安が自分の中で渦巻いている。

「あっ――」

 夢だ。

 初めて見た夢。どうして忘れていたのだろう。いや、夢というのは本来忘れてしまうものだという知識はあるが、あんな夢まで忘れてしまうものなのか。自分の中で今朝見た夢を思い返す。細部にも抜けはない。

 このコテージで、勉強会の参加者が順番に殺されていく、夢。

 私は以前にここを訪れたことはない。だが夢の中のログハウスと、このコテージはまったく同一だった。外観も、室内も、出入りした掃き出し窓も、軋む階段も、この廊下も――。

 あっという間に青ざめていく私を見て、茂手木が何事か話しかけてくる。返答ができない。茂手木の言葉が聞き取れないくらいの混乱の極致にあった。

 ただの不吉な夢だと思いたい。私が本来望んでいる光景が脳内で勝手に組み上がった結果出力された悪夢なのだと。実際全員死ねばいいとは常々思っている。積み重なった願望が夢として表出しただけだ。

 だが、なぜ今さっきまで訪れたことのなかったこのコテージが舞台になっている。

 そこだけがまったく解せない。だから不安は増していく。夢を見たことは今日までなかったが、夢に対する知識はそこいらの人間よりは持っている。結果として、荒唐無稽だが納得のいく方向に考えが向かう。

 予知夢――なのではないか。

 そう考えると夢を一度も見たことのない私が、初めて見る夢としても平仄が合う。

「逸花ちゃん、逸花ちゃん!」

 どうやら何度も呼びかけてきていたらしい茂手木の声で、私はゆっくりと現実に帰還する。

 私がはっと息を吐いて茂手木の顔を見たところで、茂手木も私がやっと正気づいたとわかったらしく、心配げに私の真っ青な顔を覗き込んでくる。

「大丈夫? やっぱり気分悪い?」

「いえ――大丈夫です。ちょっと――」

 言いかけて、口を噤む。

 私が見た夢について話すには、茂手木という相手はあまりに不適格だ。

 話すとなれば、私が今日まで一度も夢を見たことがないというパーソナルな話にまで踏み込む必要が出てくる。とてもじゃないが、茂手木にそんな話を明かすのはごめんだった。

 第一、参加者が次々に殺されていくという不吉な夢が予知夢なのではないかと話せば、私の立場が危うい。楽しい勉強会に要らぬ不安を持ち込み、不和の種をまくことになりかねない。

 そもそも予知夢などという荒唐無稽な仮説を立てている私のほうがどうかしており、たまたま初めて見た夢の印象が強く残っているだけなのだと割り切ったほうが話が早い。

 どちらにせよ、茂手木に話すべき内容ではないことだけはたしかだ。

「すみません、ぼーっとしちゃって。早く部屋決めて下に戻りましょ?」

 茂手木はなにか言いたげな顔をしていたが、私が階段近くの部屋に入ると、自分もまた別の部屋に荷物を置いてすぐに出てくる。

 私は部屋の中にあった鍵を持って、自分の部屋を外から施錠する。

「横になってなくてもいいの?」

「はい。心配ないです。わっ、いい匂い。もう焼きだしてますね。お肉食べたらすぐ元気出ます」

 それからは一階で吹田の焼いた肉を食べ、ほかの参加者たちの会話に参加し、ペースに気をつけながら酒を飲んでいく。

 茂手木も最初は私の様子を窺っていたが、すぐに自分の本分に注力していった。小森に張り付き、小森の酒を作って小森の煙草に火を着け、小森の発言のいちいちに大きなリアクションをとる。

 そのまま無為な時間が流れ、すっかり夜になっていた。

「逸花ちゃん」

 泉がグラスをふたつ持って私の隣に立つ。差し出された青いカクテルの入ったグラスを礼を言って受け取り、口をつける。

 泉が何事か話している。だがそれはどこか遠くのことのように聞こえ、やがて私の視界は霞み、真っ黒に塗りつぶされていった。

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