愛されたかっただけなのに

白と黒のパーカー

第1話 愛されたかっただけなのに

 誰もいない放課後の図書室。

 偶に廊下のタイルを上靴が擦る音が聞こえる。

 キュッキュッと急いでいるのか二人組なのか、さして興味のない私には分からないしどうでもいいことだった。

 

「愛ってなんだろう」


 ボロボロになって黄ばんだページに書かれている一文をもう何度目か眺め続けている。

 そこには顔の整った男が、そこまで整っていない女へ愛の告白をする場面が描かれているのだが、それがなぜか私の心を強く引き寄せる。

 

「愛ってなんだろう」


 再び誰もいない図書室で呟くと、今まで読んでいた本を閉じて元々置いてあった本棚へと返す。

 それと同時にチャイムがなり、最終下校時刻を告げる放送部員の子の声が聞こえる。

 読書用の机に置いていた鍵を手に取りドアを開け鍵を閉める。

 ガチャリという音が誰もいない廊下にやけに大きく響いた。

 自分が今何を考えているのかを考えながら図書室の鍵を返しに職員室へと向かう。



 私が幼い頃はそれなりに幸せな家庭だったのだと思う。

 母と父と私の三人家族。

 同級生の子たちと比べると些か若くて綺麗だった二人は幼いながらに自慢だったような気がする。

 時に運命は残酷だと思う。私が五歳のころ父親に犯された。

 その時は自分が何をされているのかを理解できず、ただ体の痛みと味方だと思っていた人間の見たこともないほどの醜い笑顔にただ恐ろしく涙を流す他なかった。

 恐怖に打ち震え、ただされるがままだった私は次の日泣きながら母に昨晩あったことをそのまま伝えると、なにやら酷い言葉を浴びせかけられてただひたすらに殴られ続けた。

 痛い痛いと泣き叫ぶ私の髪を掴み殴りつけ、地面に叩きつける。ブチブチと音がして綺麗だねと褒めてくれた髪の毛が纏めて抜け落ちた。

 逃げようとする私の体に追い縋り両足でしっかりと捕らえて、跳ね返る頭を何度も何度も打ち続ける。

 私の声が聞こえていないのかアザができようがコブができようが眼球が破裂しようがお構いなしに私を一日中殴り続ける母の顔は、昔読んでもらった絵本に出てきた山姥のように落ち窪んだ目と老けた顔つきをしていた。

 私の知る優しかった両親はもう居ないのだと悲しくなった記憶を最後に、気づけば母は警察に取り押さえられていた。

 それと同時に私は左目の視力と親からの愛を失った。


 私は親を恨んでいるのだろうか?

 あれから十三年経つが未だに答えは出ていない。

 

「愛ってなんだろう」


 きっと愛は人を狂わせるものなのだと思う。

 私の元から親がいなくなって、親戚の人達からの資金援助でなんとか高校までやってきたがその内の一体何人が私の身体を貪ったのだろうか。

 幼い頃の経験から反抗すれば殴られることは理解していたので、無抵抗を貫き続けていると勝手に向こうの家庭が崩壊していく。

 そんな風景を何度も何度も見ていると、いつのまにか世界から色が、匂いが、味が消えた。

 恐らく心が死んだのだと思う。

 そこまでして又はされてなぜ私は生きているのか、正直自分でもよくわかっていないところがある。

 何か自分でも認識していないような目的でもあるのかとそんなことを考えながら下駄箱を通り、カッターで切り刻まれた靴を取りボロ雑巾のような上靴と履き替えていると後ろから誰かが近づいてくる気配がする。


「詩織、今帰りか?」


 私のクラスを担当している真壁先生だった。


「はい」


「また今日もこんな時間まで読書か? 先生は本なんてものを読んで生きてこなかったからなあ。あんなもの何がいいのかさっぱりだが、お前が楽しそうにすごしているなら俺も嬉しいよ」


 一体私の何を見てそんなことを宣っているのかは理解できないが、真壁先生はきっと何か言いたいことがあって私を“こんな時間”まで待っていたのだろう。

 このまま下らない問答を続けるのも面倒なので私から切り出すことにする。


「先生、当たり障りのない話は辞めて単刀直入にお願いします」


「あ? ああはは、そうかそうだな悪い詩織。じゃあ、まあなんだ今日はその、お前家に一人か?」


「暫く前から私はずっと一人暮らしです。それも知っているでしょう? それともわざとですか? それになんの意味があるのかは分かりませんが私の身体を使いたいならハッキリとそう言えば良いではないですか」


 苛立ちを隠そうともせずに一息に私が捲し立てると、真壁先生は口をヒクヒクと痙攣させ顔を真っ赤に染める。

 今にも怒鳴ろうかといった表情をしているが、なんとか深呼吸をして押さえ込んだようだ。

 それはそうだろう。体裁上は爽やかな好青年の先生で通っているのだ、一人の女生徒を泡食って叱りながら嬲る醜態など誰が見るか分からないこの場所で晒すわけがない。

 腐っても教師なのだそれくらいの知能は最低限有しているらしい。性欲は猿もいいところだが。

 私が日常的に見ている姿とこの学校の不特定多数の人間が見ている姿にはどうも大きな乖離があるように思う。

 怒り心頭を抑え込み外面だけは平静を装った先生は不気味なほどのニコニコ笑顔を携えて私の耳元で囁く。


「お前がそういう態度をとり続けるなら、俺はいつだって写真をネットにばら撒けるんだぞ? そうなればお前は終わりだよ詩織。今晩もたっぷり可愛がってやるから楽しみにしとけよ詩織」


 別に名前に愛着なんてないけれど、不思議なものでこう何度もネットリと呼ばれ続けると不快になる。

 耳元で散々辱める語彙の限りを尽くし多少は気が済んだのか、清々とした表情に蔑みの瞳を浮かべ私を思い切り押し飛ばす。

 視力のない左側から押されたこともあり、受け身をしくじりなすすべなく地面に倒れ込む。


「おっとすまない詩織。大丈夫か? 先生の配慮が足らなかったな。ぶつかってしまったよ」


 どうやら下駄箱付近に誰か近づいてきたらしい。

 猫撫で声に貼り付けた笑みで私に手を差し伸べ恭しく抱き起こす。

 

「またあの子真壁先生に優しくしてもらってるよヤラシーねぇ」


「仕方ないよ、だってあの子は先生の特別だもの」


「こらこら、お前たち聞こえてるぞー」


「もう、冗談だって先生。邪魔者たちはさっさと消えますよーサヨナラー」


 事情も知らない阿婆擦れどもがごちゃごちゃと目の敵にしてくるのも鬱陶しいけれど、妙に上手く良い先生を演じているコイツは本当に人間なのだろうか?

 そばにいるだけで感じる不快感はおおよそ人の皮を被っただけの汚泥にしか見えない。

 やれやれと肩をすくめ女生徒たちを見送った後向き直り今夜八時に家の鍵を開けておけと吐き捨ててから職員室へと帰っていく。

 不気味に右へ左へ揺れながら歩く特徴的な先生の動きは、もうあまり何も感じなくなった私に少しの吐き気を催させた。

 

 ボロボロの靴で舗装の甘いでこぼことしたアスファルトを歩くのは想像以上に辛いものがある。どれだけ精神面がおかしくなっていようと女子高生の華奢な身体の呪縛からは逃れられない。その上まともな食事もしていないのだから碌な力も出ず、大の大人に掴まれれば反抗することなどできないのだ。

 そんなところも彼らに言わせれば庇護欲と加虐欲を引き立たせるらしい。一見二つの相反する欲望は所詮どちらも同じ欲望と言うことらしい。下賎な思考回路しか持ち得ない人間には私は性欲解消のための都合のいい愛玩玩具程度にしか見えていないのだろう。


 無限に続くかに思えた長い帰路もいつかは終わりが来るもので、ボロ小屋と言っても差し支えないほどの一軒の平屋に辿り着く。

 空回りする鍵を何度かガチャガチャと抜き差しして引っかかりを感じるまで続ける。

 十五回目の抜き差しでやっと手応えを感じガチャリと音がして鍵が開く。

 扉を開けば玄関もそこそこに小さな洗面所とその向かいには錆まみれでまともに使えない簡易的な台所がある。

 軽く洗面器で手を洗い、短い廊下を突き当たって右へ曲がると六畳程度の居間へと入り制服を脱ぐのも億劫で床に敷いたままにしてある布団へと倒れ込む。

 どうやら自分が思っているよりも疲れていたらしい。横向きの視線の先にある時計が何時を指しているのかを確認する間もなく瞼が閉じてゆく。

 揺れる視界に混濁する意識、そして訪れるのは暗転。


 目が覚めたのは必要な分の睡眠を取ったからか、玄関から油の刺していない蝶番の軋む音が聞こえてきたからか。答えを考えるのも面倒臭い。

 もうそんな時間かとうんざりする隙も無いほどにズカズカと招かれざる客は私の元へと向かってくる。

 居間に入ってくるなり床に鞄を放り投げ、布団に横になっている私の上に跨る。

 ネクタイを左手でゆっくりと解きながら右手で私の左頬を打つ。

 

「起きろぉ詩織ぃ。真壁先生が来てやったぞぉ」


 若干呂律の回っていない喋り方に虚な瞳、開かれる汚い口から漂ってくるのはアルコールの香り。

 先生がいつもここにくる前にコンビニに寄って安い発泡酒を二缶空け少しばかりの罪悪感を消してくるのは知っている。

 右手はすでに私のカッターシャツのボタンを外しきっており、肌着をめくりあげようと下腹部を弄った。

 

「相変わらずこんなボロい家に住んで、詩織は可愛いぃなぁ。年端も行かない女の子がこんなところで一人暮らしなんて危ないじゃないか」


 それが今現在進行形で加害している側の人間の口から出るのかと多少の驚きが口から漏れる。

 何を勘違いしたのか気をよくした先生は外したネクタイを私の首に巻きつけてゆっくりと締めた。

 

「気持ちいいか? 生を感じる行為をしている最中に死をチラつかせるととっても気持ちいいだろう? 弱く脆い命を自分の手でいつでも壊すことができると実感していると体の疼きが止まらないんだ。さあ、もう限界だよ詩織、僕のズボンを脱がせてくれるかい?」


 徐々にキツく締め付けられていく首からにじり寄る死を感じ取り、言われるがままにベルトの留め具を外しにかかる。

 カチャカチャと金具が擦れる音とガチガチと脳へ向かう酸素が薄まり歯がかち合う音が不協和音となり狭い部屋に響く。

 チャックを下ろし確かな膨らみを見せる下着を露出させたところで視界が一瞬反転し口からよだれが一筋垂れる。


「おっとすまない。強く締め付けすぎたみたいだ。大丈夫かい詩織」


 急に首元からネクタイを外されたことで身体が順応せず、上手く息を吸えずに激しく咳き込む。

 遮断されていた分の酸素を補給しようと必死に呼吸を続ける口を先生のアルコールに塗れた口が塞いだ。

 突然のことに対応できずに互いの歯がガチガチとぶつかり合い不快な感覚を伝えるが、そんなこと気にした風もなく舌を絡めてくる。

 まともに酸素を吸う事もできず目の前が白黒にチカチカと点滅しだすが、私の力ではどうすることもできない。

 押し上げられた肌着の後には心許ない下着が一枚あるだけ。それの上から胸を強く揉まれる。

 ゴツゴツと節くれだったその手は本当にあの優男然とした先生のものなのか不思議に思う。

 スカートを捲りショーツの外側から硬いモノが擦り当てられる。

 今更これくらいの事でどうと感じるものでもないが、苦しいものは苦しい。

 天井のシミを数えていれば終わるからとタコが出来るほど聞かされた言葉を頭の中で反芻し数える。

 一、ニ、三……。数える心の中の声と、ぴちゃぴちゃと私の口、首筋、鎖骨へと順繰りに、しだいに全身を舐めて回る音が重なりあう。

 ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ。

 最後に一度大きくグラインドして腰を打ち付けて終わると、先生は大きな欠伸をして私の上からゆっくりと降りた。

 隣に寝転び私の髪の毛を掴んで持ち上げ、腕枕をする。

 

「気持ちよかったなぁ詩織。僕の愛を受けられてお前は幸運なんだぞ? 若くて顔がいいからってセクハラ紛いの言葉をぶつけてくる同僚も多いんだ。誰があいつみたいなババァとヤリたいなんて思うんだっての気持ち悪い屑め」


 一人勝手に気持ちよくなって満足したのかベラベラと捲し立てるように喋る。

 酔いが回っているのか普段より大きな声で耳元で話されると頭蓋に響いてガンガン痛む。

 このまま無言を貫いていればいずれは飽きて帰っていく。

 いつもそうだったのだから今日もそうだと思い込んでいた。


「なあ、今日は泊まってもいいか? 実は僕には嫁と息子がいるんだが昨日喧嘩してしまってな」


 ――は? コイツが今何を言っているのかよく分からなかった。

 嫁と息子がいる? ということはつまり家族がいる上で生徒を食い物にしているということなのだ。

 コイツが独身で持て余す性欲を私の身体にぶつけているだけならばまだ許せたのかもしれない。

 ああダメだ、私のタブーとコイツが重なっていく。ジクジクと何も感じないはずの左目が痛む。いつもこうだ、何も見えない使い物にならないこの左目は私の苦しい時に限って痛みを伴って私を苦しめる。痛い辛い気持ち悪い吐きそうだどうするどうすればいい抑えきれないこのよく分からない気持ちを私はどこに吐き出せばいいぶつければいいのだ。

 そうだつまりコイツは昔の私の父と同じなのだ。つまり守るべきものを守ることのできない屑だということ。

 つまりつまりつまり――殺すべきでは?

 

「分かりました先生。では泊まっていってください。それより沢山運動してお腹空いたでしょう? 私の料理味見してみてくれませんか?」

 

「おお、なんだ詩織ぃ。料理できたのか? 楽しみだなぁこの際汚い台所なのは目を瞑ってやるから作ってみなさい。僕が食べてリポートしてあげるよ」


 どこまでも上から目線で無意識に人を見下げる癖の抜けない塵が、少し早く人より生まれただけの子供でしかない人間を教師と呼ぶのはとても憚られるものだとつくづく思うがこの際そんなことはもうどうでもいい。

 居間で寝転ぶ塵に少し待っていてくれと伝えてから台所へと移動する。ちょうど布団がある位置からここは死角になっており私が何をしようと塵からは見えない。

 普段からあまり料理をする訳ではないこともあり、埃まみれになった鍋を取り出し冷蔵庫を開く。一通りの野菜と肉があることを確認して取り敢えず肉じゃがを作る事にする。昔まだ優しかった頃の母がよく作ってくれた私の大好物であったのと、味の濃い食べ物にすれば薬を盛り込みやすくなるだろうという目論見だ。

 とは言え問題はその薬である。一般的な高校生がそんな大層な薬など持っているはずもなく、今手元にあるのは精々市販の睡眠薬程度だ。これがどこまで大人の男に作用するのかは少し不確定なところもあるが、アイツは今酒も入った状態であることを鑑みれば十分に効果を発揮してくれるのではないかと期待したい。

 とにかく時間との勝負だ。あまりもたついていると不審に思ってこちらに近づいて来ないとも限らない。覚束ないまま料理を開始する。肉と野菜を切る包丁、鍋に入れた食材を混ぜるための菜箸、調味料を測り入れるための軽量スプーン。料理は続けつつ、どれを使えば痛めつけて殺すことができるのかの算段もつけていく。

 そうこうしているうちに肉じゃがが完成する。時間もないためあまり熟成させる手間をかけることはできなかったが、それなりの物は出来たはずだ。

 無理やり味付けを濃くするために少し醤油を入れすぎたかもしれないが、どうせすぐに微睡に包まれるのだ。この際濃い味付けに多少の文句を言われるのは甘んじて受け入れることにする。

 鍋から茶碗へとよそい、最後に砕いておいた睡眠薬を適量より多めに混入させる。

 

「お待たせしました。料理は最近練習しているところで、あまり上手ではないかもしれません」


「いやいや構わないさ、詩織のその気持ちが嬉しいんだよ。多少不味くても我慢してあげるさ」


 持っていった茶碗をひったくる様に私の腕から取り上げて、ずぞぞと一気にかき込んだ。

 何かが入れられているかも知れないとはつゆも考えていない間抜けな顔。自分より弱い立場の人間から反抗されるとは絶対に考えていない強者の傲慢で貧相な思考。

 精々幸せな夢を見るといい。その先はきっと地獄だから。

 暫くの間咀嚼音と罵詈雑言を交互に投げ続けながら元気にしていた塵はしだいにウトウトとしだし、最終的には先ほどまで二人まぐわっていた布団に倒れ込む。

 何気なく移した視線の先に汗と涙が混じり合う染みを見つけて私が行為の最中涙を流していたことを客観的に認識する。

 気付かなくて良いことに気付き、自分の感情がより狂っていくのを感じる。今まで何度もこういう事はあった筈なのだ。何故今回はこれだけ心の奥に疼く黒い感情を曝け出そうとしているのか、下腹部の辺りをジクジクと痛めつけているこの感情はなんなのか?

 初めての心の動きに困惑と動揺。私自身正直まともな判断力を有しているとは到底思えない。

 単純な怒りの気持ちだけではないと漠然と理解しているが故の懊悩の中、塵の寝息が耳に入って来てはっとする。少なくとも今はこんな事をしている場合ではない。

 力のない私が成人した人間を殺すときにはまずどうすればいいのか、そんな都合の良い教科書を私は持っていない。とにかく反抗されてはおしまいだ。狭い家の中をひっくり返しながらロープになりそうなものを探す。

 見つけたのは小学生の時に三番目に引き取ってくれた人たちが買ってくれた縄跳び。その人たちは珍しいことに奥さんと旦那さん二人揃って私を延々と凌辱し続けたことをふと思い出した。彼らとの別れは早いもので夜眠る前にガスの元栓を閉め忘れ、さらに偶然が重なりガスを通していたチューブに亀裂が入っており部屋中に充満。二人は敢え無く一酸化炭素中毒で死んでしまったのだ。私を引き取って二年目のことだった。

 あのままその二人に飼われ続けていたら私の人生はどうなっていたのだろうかと考えない事もないが詮無い事である。

 今はそんな昔話よりも手足を縛る物が見つかった事を素直に喜ぶ。口角を上げた時にカサついた唇が割れて血が滲む。

 

 眠っている人間は余計な力が籠っていない分重いらしい。

 私の細腕ではどうにもなりそうにないので、窓を開けて小さなボロ庭に放り出してあった大きなスコップを持ってくる。

 家の中が土で汚れるのも厭わず塵の体の下に差し込み梃子の原理を用いて上体を起こす。そのまま上手に体の向きを変えて壁にもたれ掛けさせる。 

 スコップはひとまずそばに置いておき、だらんと垂れている両腕を体の後ろに回し縄跳びで縛る。変な話だが私は過去に幾度も縛られてきた経験から解けにくい体の縛り方は熟知しているのだ。まさかこんなところで役立つとは思わなかったが、持つべきは変態の義親と言ったところか。

 力が関係ないのならば早い物で、着々と腕と脚を縛り簡単には身動きが取れない様にする。

 それから用意するものはさっき肉を切った包丁、鍋をかき混ぜた菜箸、そして計量スプーン。さらには偶然見つけた半田ごて。きっとこのボロ家の前の住人の持ち物だったのだろう。料理をしている時に戸棚の奥から見つかったのだ。

 あとはこの大きなスコップも私の力強い味方になってくれる事であろう。

 ここまでお膳立てをすればもう大丈夫だと自分を納得させ、未だ眠り続ける塵をスコップで殴り起こす。

 先程のお返しだとばかりに左頬を思い切り殴りつけるとゴスッと鈍い音がして歯が何本かと赤の混じったよだれが床へと飛び散る。


「な、なんだ!? は? 詩織?」

 

「先生、おはようございます」


 突然の痛みによる突発的な起床にまだ頭が上手く働いていないのか目を白黒させてうわ言のように私の名前を呼び続けている。

 痛む箇所を触ろうとしているのかなにやら腕をもぞもぞと動かしているが縛られている以上それは叶わない。


「な、なん。なんでなんだよなんなんだよそれ、スコッ……この顔の痛みはそれで殴ったのか!?」


「流石先生、状況を飲み込むのが上手ですね。その頭の回転の速さで教育免許もさっさと取れた事でしょう。でもあんまり道徳の勉強はしてこなかったみたい」


 喋りながらもう一度めり込む様にスコップで頬を殴りつける。ギャッというフィクションじみた声を出して地面に倒れ込む塵。もう何本か歯が抜けた様で口から血が脈々と流れ出ている。


「や、やめ。辞めてくれ詩織。俺が何したっていうんだよ!」


 この期に及んで出てくる言葉がそれなのかと若干呆れるが、まあ元々期待していた訳でもない。というよりこれからの私の行いは特に理由はないのだ。ただひたすらにこの塵を痛めつけて殺す。それ以外の何も無い。


「そうですね。まあ私の置かれていた状況を客観的に見る人が誰かいるならば、これからする事は復讐……になるのでしょうか? でも別にあなたに対して特別怒っている事はないんです。無意識に人を見下すことや、クラスの中でわざと私だけを依怙贔屓して孤立させたこと。後は……ああ、私の裸の画像を野球部の人達に回したのも先生でしたか? 確か顧問でしたよね。理由がどうしても欲しければ、まあそんなことに対する仕返しとでも思ってくだされば結構ですよ」


「違う、違うんだ。詩織あれは出来心で」


「そうそう、呼ばれるたびに虫酸が走るので名前を一々呼んでくるの辞めてもらっても良いでしょうか。それだけは何故だか本当に嫌です」


 振り翳したスコップを頬にぶつける寸前で止めるとカヒュッと言う情けない声をあげて縮み上がっている。大の大人がみっともない。よく見ればズボンに染みが浮かび上がり、それがどんどん広がっていっている。


「あらら、お漏らしですか? 人の家だからって粗相をするのはいけませんね。全て舐め取ってください」


「は? そんなことできるわけ」


 言い切る前に今度は左の太腿にスコップを振り下ろす。ボグッとくぐもった音を響かせるが果たして華奢な私が殴ったところで痛みを感じるのだろうかと疑問に思う。なので後もう五回ほど殴りつける。涎を撒き散らし叫び続けているが無視して更に五回殴る。

 

「さあ、早く舐め取ってください」


「わかった! わかったからもう殴らないでくれ!」


「……」


 無言でスコップを振り上げるとズボンの染みの広がりを早まらせつつ地面に顔を擦り付け舌でベロベロと舐め出した。暫く眺めていたが、見ていて気持ちのいい物では無いので後頭部に一撃振り下ろす。

 何かが折れた音と共に粘り気の強い赤い液体が地面を流れていく。

 

「なんで殴ったんだよ!」


 地面から顔を上げて振り向けば、折れた鼻とそこから止めどなく溢れ出る鮮血。ドクドクと流れ出る鼻血を抑えようとする手は後ろ手に縛られている。なんだか見ていて面白かったので今度は正面から折れた鼻面めがけて振り抜く。すこーんと良い音を響かせて先生の高かった鼻が千切れ飛んだ。高級な家ではトナカイの頭を飾っているらしいが私のボロ家には先生の血に塗れた赤鼻が飾られた。

 

「ああ、あああ! 痛い痛い」


 顔のあちらこちらから血を吹き出させて転げ回る先生の声がいい加減に耳障りだったのでズボンとパンツを脱がせる。長い習慣に慣れたものでスムーズに脱がしきると先ほど殴りつけた左の太腿が青黒く変色しているのが見えた。

 私の突然の行動に呆気に取られたのか、痛みを忘れたように茫然とコチラを見ている。

 不愉快なその視線に苛立ったので菜箸を使い左目を突き刺した。硬い感触を突き抜けると急に柔らかくなりズルズルと奥まで進む。箸を押し返す様に血が溢れ出してくるが負けずにズンズンと押し込む。


「これで私とお揃いですね」


 先程まで痛くて叫んでいたのが今度は唸る様な声に変わる。ハイトーンで綺麗だった声の面影は最早なく、きたならしい濁声を血の混じったよだれと共に閉じたような口の歯の隙間から際限なく垂れ流し続けている。

 それをこじ開けるように手を差し込んでみるが思う様に開かない。埒が開かないので包丁で両頬を切り裂く。ブチブチと口の筋繊維を切り裂いていき物理的に閉じることができない様にする。だらんと開いた口に先ほど脱がせたパンツを詰め込み、学生鞄から取り出したガムテープで自力で閉じられない上顎と下顎を貼り付け固定する。

 今まではガムテープで口を塞がれるのは私の側だったがなるほど確かにこれは少し面白いかもしれない。声が漏れ出ないのだ。溢れ出る血をこの塵は飲み込むしか無い。


「どうですか先生、気持ちいいですか?」


 最早コチラの言葉が聞こえているのかどうかも定かでは無いがまだまだこんな物で死んでもらっては困るのだ。まだ計量スプーンも半田ごても使っていない。せっかく用意したのだから使わせて欲しい。

 取り敢えず箸が刺さったままの目は邪魔くさいので早速計量スプーンを使い抉り出していく。眼の周りにある骨にスプーンの丸い底を当ててそのままグイグイと押し込んでいくと想像よりも簡単に眼孔へと入っていく。不快な感触を感じながら今度は眼球をくり抜くようにスプーンをそこから三百六十度回転させて引っ張り出すと視神経に繋がれたままぬるりと取れた。

 まあ眼球とは言うが球一つがコロンと入っている訳では無いと理解はしていたが、ここまで色々な線がついてくるのかと妙に冷静に思う。が、気持ち悪いものは気持ち悪いのでさっさと包丁で視神経を切り落とす。

 コロコロと少しの間左目を先生の右目の前で弄んだ後スコップで念入りにすり潰した。

 どう言う感情を浮かべているのかは残念ながら汚れ過ぎて分からないが、真っ青と真っ赤を掛け合わせて最早真紫の顔をがぐがくと小刻みに揺らしている。

 さて、これで後は半田ごてだけだが取り敢えずコンセントにプラグを挿して先を熱することにする。手待ちの時間ができる事を予想してさっさと熱するべきだったなと少し反省。まあ今回学んだことは次に活かせばいいのだ。まだまだ私を弄んだ人間はいるのだ。一人殺してしまえば後は二人もそれ以上ももう同じことだろう。

 流石にこてに熱を通すのには少し時間がかかるのでその間に先生の手の爪を剥がすことにする。大きくて綺麗な手で私の色んなところを愛撫しては殴りつけた思い入れのある手。残念ながらもうこれ以上誰の何処にも触れることはできないだろうが、最期は私の手で楽しませてもらおうと思う。

 使うのは包丁。切先を爪と肉の間に差し込んで一気に貫く。がぐがくと両足が痙攣してまた尿を漏らす。流石にこれ以上漏らされても臭いだけなので、一旦爪を剥ぐ手を止め下着も脱がされ無様に垂れ下がった股間を手に取る。何度も何度も無理矢理触らされたこれをまさか自発的に触る時が来るとは思わなかったが目的は百八十度違う。

 二股に裂けた間にある尿道目掛けて、菜箸をを突き刺した。穴があるのに不思議なものでスムーズに入る訳では無いらしく何度か抵抗を感じるが、膜のようなものなのかと思いそのまま気にせず箸の根元まで突き刺し込んだ。


「おめでとうございます先生。処女喪失ですね」


 際限を超えた痛みを受けると人は防衛本能か気絶すると言うが、断続的な痛みによってそれも出来ていないようだ。

 身体中をビクビクと痙攣させているが、暫く眺めていると大人しくなった。

 尿漏れを物理的に留めたので爪剥がしの続きに取り掛かる。手をとって上に向け、爪と肉の間に包丁の切先をあらためて差し込む。左手でそのまま包丁を支えてその上に右手でスコップを振り落とす。釘を金槌で打ち付ける要領で爪を剥がす。これが想像より綺麗に剥がれたので癖になりそうだ。段々と楽しくなってきたので残りの十九本もやってしまう。

 時間を忘れて爪を剥がしていると熱のこもった空気の匂いが鼻腔をつく。ああそう言えば半田ごてを熱していたのをすっかり忘れていた。

 時間が経ってしっかりと芯まで熱のこもった半田ごてを取り敢えず孔の開いた左目に突き刺す。ジュッと血を沸騰させる音と共に肉が焼けて貫いていく。これは良い、挿した矢先に肉を焼き固めて血が溢れ出てこないのだ。先にこれを使っていれば無駄に家の中を汚すこともなかったのにと思うが後の祭りである。

 熱が血を沸かせ肉を溶かし骨を炭化させていくのでさして抵抗もなく身体中を穴だらけにしていく。左目に始まり、左頬、右肩、左腕、右掌、両太腿、両脛、最後に足の甲。

 あれだけ挿入するのが好きな先生だったのだ、こんなに沢山自分の中に挿入してもらってとても気持ちよかったことだろう。

 さて、ここまでくればもうほぼ満足だ。このまま放っておいても死ぬだろうがそれはダメだ。ちゃんとしっかり私の手で最期まできっちりと殺さなければいけない。

 最後の一仕事だと両腕にかかる袖を捲り上げて深呼吸。精一杯の力を込めて先生の体を大窓から庭に落とす。

 地面に転がる先生をなんとか起こし正座の格好に整える。膝裏には箒を挟み太ももの上には庭に転がっていた大きめの石で抱石をさせる。ゔゔゔと掠れた唸り声だけが先生がまだ生きている事を教えてくれる。あれだけやってまだ痛みを感じるものなのかと疑問にも思うが答えてくれそうに無い。つくづく教師としての役目を果たす気のない人間である。

 最後に頸に包丁で切り込みを入れて準備は完成だ。 


「先生、私がなんでこんな事をしているのか分かりますか? 私は自分が今何をしたいのか、何を感じているのかも分かりません。貴方への怒りも悲しみも何も無いのです。それを教えてくれるはずの先生を今から殺すのだから罰として私はそれを永遠に知る事ができずに、これから死ぬまで過ごすのでしょう。でもそれでも良いのです。ここで、貴方を殺す事がきっと私には必要な事だから。だから先生、私のために死んでください」

 

 血が吹き出してくる切り跡を目掛けてスコップを縦に振り下ろす──顔に返り血が飛ぶ。


 もう一度ゆっくりと持ち上げてさらに振り下ろす──白いカッターシャツに返り血が飛ぶ。


 肉が裂け白い骨が見えた部分へ振り下ろす──紺のスカートに返り血が飛ぶ。


 振り下ろす──

 振り下ろす──

 振り下ろす──

 振り抜ける──


 もう幾度目か分からない振り上げては振り下ろす作業。その終わりを告げる音。先生の頭が地面に転がり落ちる。

 やり切った後に残る感情はやはり無。清々しさも人を殺したと言う恐怖感も何も無い。

 ああでも、なにか胸の中に孔が空いたようなそんな少しの虚しさのようなものがあるのかも知れない。

 だからこの虚しさの正体を知る為に、私はこれから同級生の家を一軒ずつ回って行き全員殺していこうと思う。

 疲れ果てた身体に鞭を打ち玄関を出る。もうスコップを握る握力もないがそれでも無理矢理ガムテープで手に縛り付け地面にガラガラと擦り付けながら星の瞬く夜道をゆらゆらと歩く。

 

 歩き始めてからどれだけ経ったのか、星たちは鳴りを潜め浅緋色うすあけいろに空が染まっていく。

 いつも通っている通学路を歩いていると大きな交差点が見えてくる。

 この近くには確か昨日学校の下駄箱で先生と話している時にヒソヒソと陰口を言っていた同級生の家があったはずだ。

 ちょうど良い、まずはそこに向かおう。

 ゆらりゆらりガラガラ。

 ゆらりゆらりガラガラ。

 ゆらりゆらりガラガラ。

 

 ふと前を向くと横断歩道をトテトテと進む子猫がいる。何気なく信号を見れば赤色。止まれの色を猫が理解できる訳もなく馬鹿みたいにのんびりと歩いている。

 そこに差し掛かる大きなトラック。運転手は大きな欠伸をして前をよく見ていない。このままでは多分轢かれるだろう。

 まあどうでも良い、子猫が死のうが今の私には関係ない。関係ないはずなのだがどう言う事なのだろうか体が意図せずに子猫の元へと進んでいく。ダメだこのままでは私も轢かれてしまうでは無いか。

 ああそうか、私は死にたいのだろうか。そうかも知れない。ならば仕方ない最期くらい子猫を助けて死ぬのも悪くないかも知れない。

 ガムテープを引きちぎって掌からスコップを投げ捨てる。重い両足を出来る限り素早く動かして横断歩道に飛び出す。子猫を抱き抱えると同時に私の背中にトラックがぶつかる。元々華奢だったのと、ぶつけられた勢いで交差点の真ん中まで吹き飛ばされる私と子猫。

 アスファルトに擦られておろし金で擦られた大根おろしのように生身であった太ももが削れて血の跡が路面標識の白文字を赤く染め上げた。地面にぶつかるときに頭をそれなりに強く打ったらしく意識が朦朧としている。

 それより子猫は無事なのだろうか?

 体が思うように動かないので視線だけで猫を探すと、どうやらうまく着地したようで怪我はないらしい。


「ああ、ならまあ、良かったかな」


 無事だった子猫がこちらにトテトテと寄ってくる。馬鹿なやつめ、危ないのだからさっさと逃げれば良いのに。そう思って私は自分が笑っていることに気がつく。

 そっか、私。誰かに歩み寄って、受け入れて欲しかったのかもしれないな。きっとそれを愛って言うのかも。最後に知れて良かったなぁ。

 遅い気づきにそれでも満足しながら、近づく子猫に手を伸ばした瞬間目の前に現れた大型トラックが子猫を轢き潰した。引き伸ばされた肉と毛と骨は地面に疎らにこびりつき、苺ジャムをトーストに塗りたくるようにペースト状に変えた。

 そのまま勢いの止まらないタイヤは私の頭も同じように潰し――


 

 



 

 


  

 

 

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愛されたかっただけなのに 白と黒のパーカー @shirokuro87

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