〈後編〉
「まさか……。地元で有名な二人が同時代の人物で、しかも知り合いだったなんて。すず姫の方は、半分、虚構の人位に思ってた」
「歴史なんてそんなもんだよ。モーツァルトだって、マリー・アントワネットに会った事あるし」
南は温泉まんじゅうと一緒に置かれていた緑茶のティーバッグで淹れた緑茶を僕に勧めた。香ばしい香りが漂う。
「でも、それとこれとは……」
「うん。これはもう一つの疑問点と合わせて、失踪事件の大きな鍵だ」
「どういう事?」
「その前に、矢代はこの事件の事、実際はどうだったと思ってる? 若い、身分のある女が一人で外にいた時、龍にさらわれたという話。すず姫は元々、自然を愛し、野道を一人で散策する事が度々あったらしいんだ。本当に龍にさらわれたと思うか?」
「いや。龍は架空の動物だから、それはあり得ないな。いくつか可能性が考えられるとしたら……。まず一番目に、一人で散策している時に崖から落ちたとか、沼に落ちたとか、かな。二番目としては、誰かに拉致されて連れ去られたとか」
「なるほど。それは二つともあり得そうだ。現代でもたまにあるだろ? 神隠しみたいに、ある人物が突然消え去るって。そういう時には、矢代が言ったみたいな事実が結構あるんだと思う。でもその可能性も残念ながら、チョッたんのために、あらかた打ち消されてしまうんだよ」
「なんで?」
「なぜなら、いいか? チョッたんは、大人になって、その知恵をフルに活かしてここの社会を変えた人なんだ。おそらくギフテッドと言われるくらいの頭脳の持ち主だったはずだ。そんな人が例え、幼い子どもの頃であっても、恩人が危険な目にあっている時に、五色の龍にさらわれたとか、勘違いすると思うか? いや、あんま賢くない子どもでも大好きなお姉さんが危険な目にあっていれば、重大な事だって分かるさ」
「えっと、じゃあチョッたんは、実はすず姫をそんなに好きじゃなかった」
「もう、なんでそうなるかなぁ。ほら、他にもっと人が姿を消すポピュラーな理由があるだろ」
「ポピュラーな? あ……。家出?」
「そう」
「じゃあ五色の龍というのは?」
「姫がチョッたんにそう言わせた」
「子どもに言わせるなんて、そんなに上手くいくだろうか?」
「子どもは子どもでも天才的に、頭の良い子だからね」
だけど何のため、と僕は心の中で呟く。”何のため”……それは僕があの頃、何度も心の中でつぶやいた言葉だ。
更紗が、高校を辞め、僕らの前から去ったばかりのあの頃。優しい更紗は、僕の中ですず姫と重なる。
「でも、すず姫失踪の証言をした女の子がチョッたんだったっていうのは、一つの大胆な仮説だろ? 源義経がチンギス・ハンと同一人物みたいな」
「まーな。DNA鑑定したわけじゃないからな。でも年を取ったチョッたんが、話の中でその事件に触れているのを聞いたという人の記録も残ってるんだ。ある人物が農家の毎日の仕事を綴った日記だ。チョッたんが、その事について語った話を書き記している。今度、郷土資料館で見てみるといいよ」
「だけど、いくらすず姫に言われたからって嘘の証言なんてするかな。伝説じゃ、両親はたいそう悲しんだとあったろ。そういう挿絵を憶えてる。特に証拠もないんなら、チョッたんの名誉毀損に当たるぞ。いや、すず姫の、かな」
「証拠以前に、不思議な事がある。チョッたんがいくら天才でも、農耕のやり方で色々工夫を試みた時、麓の村よりかなり離れた村の人物が協力しているんだ。加納村、今は加納町と名前が変わってる。湯霧峯村の貧しい家で生まれ育ったチョッたんなのに、そこに知り合いがいたなんて、ちょっとした謎だと思わないか?」
「えっと、それはつまり……」
「その村の人物とはすず姫じゃないかな」
「でも、まずなんで、すず姫はそんな所まで行き、身を隠さなくちゃいけなかったんだ。親を悲しませてまで」
「親は、すず姫を地元の有力者、つまり例の希少な鉱物で潤っていた人物に嫁がせようとしてたからな。その鉱物もすぐに採掘出来なくなったんだが。とにかくそんなに難しく考えなくていいんだ。人が逃げるのには、昔も今も大して違いはないはずだから」
昔も今も。僕の中で、また、あの日の更紗の姿が目に浮かぶ。
――今の生徒のためにならない昔からの伝統なんて、ぶっ壊したって構わないと思います!――
「だけど何時代だっけ。はるか昔だろ? 女一人でやってけたのかな」
「一人じゃなかったかもしれない。わらじの話を思い出してみろよ」
「わらじ?」
「そうだ」
――すず姫の草履が脱げて、下僕がわらじを履かせたから不幸になったって話で、この村ではわらじを編むと不幸になるとかも言われてるって――
「実際、そんな事があって、使用人が不届き者だと辞めさせられたらしい。な、草履が脱げてどこかへ行ってしまって……代わりに即席のわらじを編んで履かせたのがお付きの爺や婆だったとしたら、そんなに怒るかな」
「普通、そんな事で怒らないだろ。かえって気が利いてるような……。あ、もしかして」
「閃いた?」
「それが若い男だったとか?」
「うん、そういう事だと思う。すず姫は、その男の所へ行ったんだよ。想い人だったんだよ、きっと。それでその雰囲気を察した親は男に暇を出した。解雇ってやつ」
姫は心から慕っていたその男のために全てを捨てて、故郷を後にしようと思ったという、それが南の推測らしい。でもこんな曖昧な事を自信持って言えるやつでもないはずだから……。
「何か、他にあるんだろ? 決め手となるような事が」
「ああ。バレたな。まずは元々、長年、自分の持っていたギモンからスタートしたかったんだ。実はさ、一ヶ月前に加納町のマンション建設現場から、江戸時代の物と思われる装身具が発見されたんだ。髪留めが幾つか。とうも、ここ、湯霧峯村の鉱石で作られた物らしいんだ。地中から発見されたらしく、元の土地の所有者は、株式会社ワラジャーの代表取締役。先祖伝来の土地らしい。例のホームセンター、つまり昔で言うとこの金物店のチェーン店の」
「なんだ。それを先に言えばいいのに」相変わらず、話を長くさせる天才だと思った。「でもそれって遺跡だったって事?」
「いやー、江戸時代の先祖の宝物を代々受け継いでいる家もあるさ。ワラジャーの代表取締役は、その地中に埋められてた物の存在を知らなかったらしいから、わざと隠してたんじゃないかな」
「すず姫か?」
「ん。カンが良くなったな。そう、他の着物みたいな燃えるものは燃やし、燃やせない物は地中に埋めた」
「もしかしてワラジャーって名前は、わらじから?」
「そこ。サンデー経済って番組で、この代表取締役が話してたんだけど、社名は確かにわらじからとっているらしい。わらじは一家の守り神とされてきたからって」
「はあ。すごいな。じゃ悲しい伝説は……」
「立身出世のとっても縁起の良い話」
「さっき、神社で縁結びの御守を買ってた女の子達は……」
「あながち見当はずれではない。むしろ縁結びの神様で合ってる」
でも胸苦しい気持ちが少し心の何処かにまだ残っている。
「何かまだ小骨が刺さったような顔をしてるな。それはオマエが故郷に取り残された側の立場で全てを見ているからだよ。矢代の初恋の人も悲劇の人なんかじゃなくない?」
「え……」
そう、やっぱり僕の中で、更紗を落ちぶれてしまったと考えてしまうのは必然で。どうしても子どもの頃、ピアノの先生か音楽の先生になって子ども達にピアノを教えたいって言ってた時代が忘れられなくて。
「でも色々難しいんだよ。今の更紗は昔とは違ってしまったから。会っても冷たい空気と気不味い雰囲気しかないな、きっと」
「ホントに八代にできる事、ないん?」
「それは……」
僕は妹の由佳が、先週送ってきた画像を思い出した。白いテーブルの上のチケット二枚。
チケットに書かれたタイトルは「ロックオペラ『嵐の中の子ども達』」。
妹は今、東京の大学に通っている。そして、演劇のサークル活動中に幼なじみの更紗に再会したらしい。バイトを掛け持ちしながら小さな劇団の劇団員として活動しているって。
――更紗お姉さんの劇団、今度、三月に公演があるんだって。更紗お姉さん、お兄ちゃんにも見てほしいけど、遠いから無理かなぁって。一応、二枚、チケットもらったからね。私がチケット代、払うって言っても、お姉さん受け取らないの――
僕は、猫がフムフムと頷いているスタンプを送って、そのままにしていた。
僕に出来る事――それは応援くらいかな。子どもの頃からの「推し」に向けての。
すず姫にとってのチョッたん程には役に立たないかも知れないけど。
――だよね――
僕は温泉まんじゅう、すず姫日記の包みに描かれた、まるでウインクしているような横顔に向かって、心の中で話しかけた。
〈Fin〉
霧降る里の失踪人 秋色 @autumn-hue
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