霧降る里の失踪人
秋色
〈前編〉
僕は大学時代の友人、南と早春の山村に来ている。ここは超有名というわけではないが、温泉も湧いていて、桜の時期にはちょっとした人出になる。桜の時期に早い今は人の姿も疎らだ。澄んだ冬の空気の中、小鳥の囀りだけがオルゴールのメロディのように旅館の窓の外から聞こえてくる。
ここに来るようになったいきさつは、二週間ほど前に遡る。
僕はその土曜日、南に食事に誘われた。大学時代を共に過ごした友人である南と僕とは、たまにこうして食事をしている。話題はと言うと、思い出話と互いの職場のグチ。
でも、一般企業で営業職の南と高校で有期雇用の常勤講師をしている僕とでは、立場が違う。僕としては、彼が光の差す場所にいて、自分が日陰にいる気がしていた。
卒業後、一年間この仕事をやってきたが、自分でも教師に向いているとは思えないし、あと一年で契約を更新せず、一般企業に就職しようと考えていた。
逆に南は、「矢代はいいよな。世界史教えてるなんて。歴史好きのオレからしたら、ホント羨ましいよ」なんて言う。
「いや、外の世界にいるから、そう見えるんだよ。それにオレはクラスメートの力になれなかった過去がある」
「クラスメートっていうか、好きな女の子の……だろ? 前に言ってた。そんなに背負い込む事ないさ」
「第三者だからそう言えるんだよ!」
僕は励ましてくれている南に対して、逆ギレ気味に声を荒げてしまった。
南は、それでも「まぁ、そう
***
クラスメートで好きな女の子でもあった更紗は小学四年生の時に、僕の住む街に引っ越してきた。それ以来、高一までずっと同じクラスだった。中学はクラスが二クラスしかない学校ではあったけど。
僕達は近所に住み、小学生時代は同じピアノ教室に通っていたため、よく話すようになった。勉強がよくできて、大人しく優しい更紗と友達というのは、いつも胸の中に宝物を持っている感じ。
更紗と同じ高校に行きたくて、死ぬ程勉強を頑張った。更紗は言っていた。いつかピアノの先生か、学校の先生になりたいと。午後の陽射しを浴びる部屋で、子ども達にピアノを教えている更紗。目に浮かんだ。まるで額の中の絵のようにきちんと。そのイメージは僕の中で、星座のように固定されている。
なのに高校に入ると更紗は、雰囲気が変わったし、学校も休みがちになった。
あどけなさがなくなり、大人びた綺麗さが際立つようになった。コロンを付けているのか、近くにいると、デパートのロビーのような甘い香りがした。そして話し方も、誰に対しても素っ気なくなった。
いつの間にか更紗は、先生達から厄介なやつという風に扱われていた。
そして二学期の初日、担任の先生が「夏休みで気がたるんでいる生徒も多いようだが、我が校の伝統を傷付けないよう、品行方正であってほしい」と話した時の事だ。
更紗は、突然、ガタンと音を立てて、椅子から立ち上がると、「今の生徒のためにならない昔からの伝統なんて、ぶっ壊したって構わないと思います!」と言い切った。そして皆があっけにとられる間に、カバンを持って教室を出て行き、それ以来彼女は学校に来なくなったのだ。先生の諌める言葉以外に彼女に何か起こっていたとしか思えない。噂で、夏休みの間に補導されていたと聞いた。
欠席する彼女を心配し、ラインのメッセージを送っても、既読の後で素っ気ないメッセージが送られるだけ。「ありがとう」とか、「もう学校はやめたので」とか。
***
湯霧峯村は、僕の故郷の市内にあり、桜の時期以外だと、初心者の登山道として地域の登山愛好者に人気のある場所だ。今頃、新芽を膨らませている木々も多い。
それで自分も今日はちょっとしたトレッキングとなるだろうと、ホームセンターのワラジャーで山道専用の靴を買って備えて来た。と言っても全国レベルでは、この村はほぼ無名の場所。
地名は、霧の深くなる地域である事から付けられているとか。
「ここは温泉も湧いているのにな」と僕が言うと、
「そうだな。腰痛、膝の痛み、リウマチなんかにも効くって言うよ。ほら、温泉まんじゅうもある」と、南は旅館の部屋のテーブルに置かれた二つの小さな包みを指した。
僕はその小さな包みを手に取った。そこには、「すず姫日記」と書かれてあり、儚げな眼を伏せた女性の横顔が描かれてある。
「すず姫って、この辺の伝説だよな。小学生の時、バスハイクとかでガイドさんがよく話してた」
「そうなんだ。そして俺がここにオマエを誘ったのも、まさにその話のためなんだ」
「すず姫の? まじで?」
南は歴史オタクだ。歴史に関する事については、夢中になって話す。特に各地の郷土史については、めちゃ詳しい。きっと今日はすず姫伝説について語りまくるに違いない。
「何か、すず姫ブーム、来てる? そういや、さっきすず姫の恋みくじって売ってた。『女子高生の間で噂』って書いてた。まさかね。確かに若い女の子が二、三人来てたけど。
あれって恋愛にご利益なさそうな悲しい話だろ。べっぴんさんで心優しいすず姫が、立派な若者との嫁入りを前にしたある日、霧の中から現れた五色の龍にさらわれ、幻の湖に消えた……確か、そんな話だったはず」
「そうだ。姫って言っても城があるわけでなく、由緒ある家のお嬢様ってだけなんだが。
村はその頃、希少な鉱物で潤っていて、一部、とても裕福な家があったので、民話の最後には、
「それは、こじつけと思うけど」
「うん。ところでこの光景を見て村人に知らせたのは誰だか知ってるか?」
「確か、すず姫がお菓子を分けてあげたり、虐められてるのを助けてあげてた少女じゃなかったかな?」
「そうなんだ。普段から親切にしていた少女。貧しい家の子っていう話だった」
「これってちょっと暗い話だよな。すず姫の草履が脱げて、下僕が代わりにわらじを履かせたから不幸になったって話で、この村ではわらじを編むと不幸になるとかも言われてるって。ばあちゃんが昔、言ってた。ま、今の時代、わらじなんて履かないから、関係ないけどね」
「うん。このわらじというのも、ちょっと鍵なんだよな」
「何の? 俺としちゃ地元で同じように語り継がれてるチョッたんの民話の方が楽しくていいかな」
「おー。女性版、吉四六さんみたいなトンチのきいたおばさんの話だろ。そうそう、今まさに、その話をしようと思ってた。あのチョッたんというおばさんは、トンチだけじゃなくって、その昔、希少な鉱物が採れなくなり、貧しくなった村を救った英雄だ。
地元の農家で農耕の方法や流通の仕方に工夫を加え、栄えさせた、なかなかの頭脳の持ち主で、やり手なんだ」
「ああ、そう言えば小学校の社会科の副教材にあったな。私達の街の歴史、みたいなので」
「そう言えば……なんて知識じゃ勿体ない。その時代、もし彼女がいなければ、この地域も他のとこみたいに、饑饉で大勢の人が命を失っていたかもしれないんだから」
「そっか。そんなすごい人だったんだ」
話題はすず姫から、チョッたんに変わったんだなと思った。それでも南の熱弁は止まらない。やっぱ、誰か聞き役が欲しかったんだろ。まんまと僕に降り掛かってきた。
「すず姫の話題から外れたと思ってるかもしれねーけど、実は、このチョッたんとすず姫とは、一つのラインで結ばれてる」
「え? 同じ時代の人だったの?」
「同じ時代どころか、すず姫が龍にさらわれたと証言した少女それこそが、このチョッたんだったと言われてるんだ」
南のこの抑揚のない言葉に僕は、何だかヒンヤリとした。その瞬間、さっきまで窓の外でうるさいくらいにさえずっていた小鳥たちの囀りも一瞬止まり、辺りがしんとした。
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