#5
水面が激しく波立ち、鎧を纏ったウォーターソルジャーがゆっくりと姿を現した。暗い地下水路の中、その金属製のボディが鈍く光り、水滴がカチャカチャと音を立てて滴り落ちる。鎧に備え付けられた全身の装飾が展開し、次々と分離した。
次の瞬間、分離パーツがミサイルのように火を吹き、アルファとハルを目掛けて一直線に飛びかかってきた。
自律機動砲台――所謂、ファンネルだ。
ハルは初めて目の当たりにする人工生命体の異様な姿に目を見開いたまま、その場から動けなくなっていた。
「早く逃げるよ!」
アルファは即座に判断し、躊躇することなくハルをお姫様抱っこの形で抱き上げた。
「ちょっ、ルナ!?」
ハルが動揺する間もなく、アルファは地下水路の出口を目指して一気に駆け出した。
〈ファンネルの落下パターンを解析中〉
テレパシーシステムの声が冷静に指示を送る。後方からファンネルが、火の玉のように狭い水路の壁や天井を突撃する。
背後に迫るファンネルたち。だが、その瞬間、唐突に上下左右へ急旋回し、壁に当たると反射するように進路を変えた。
〈直線的な動きじゃない……まさか動きを読んでいるというわけですか……〉
アルファのAIが即座に新しい回避ルートを計算するが、次々と変化する動きに解析が追いつかない。
爆音が響き渡り、破片が飛び散る中、アルファはそのすべてをなんとかかわしていく。ファンネルが破壊した水路の床をナノテクで修繕された道から道へと飛び移り、水に足元をとられないようにする。その動きは、まるで全方向に目がついているかのように正確だった。
抱えられているハルの胸中には、別の不安が膨らんでいた。
(変よ……! ただの女子高生にしては……行動がおかしすぎる!!)
ハルはアルファの異常とも言える能力を間近で見て、頭の中が疑問で埋め尽くされていく。 先日、学校で重量のあるお掃除ロボットを運ぼうとして失敗。壊して苦笑いするルナの姿が脳裏に浮かぶ。それなのに、どうして急にここまでの運動能力を……?
ウォーターソルジャーの追跡は激しさを増していた。金属の足音がコンクリートの壁面に響き、距離はますます縮まっていく。背後に迫る気配が、二人を追い詰めるようだった。
「ルナ、このままじゃ追いつかれる! あたしを置いて逃げて! あんただけでも助かるかもしれない!」
ハルが覚悟を決めたように叫ぶ。その顔には諦めと恐怖が交錯していた。
「やだっ! だってボクたち親友でしょ!」
アルファはルナらしい幼い感情を装い、力強く反論する。だがその裏では、アルファの計算回路が限界までフル回転していた。
〈マスター、このままでは一分も経たずに追いつかれる可能性が100%です〉
アルファは通信システムを通じ、沖永に呼びかけた。その声にはわずかに焦燥の色が滲んでいた。
『ナノスーツは人間の身体能力の範囲内の負荷しか耐えられないように出来ている。これ以上の走力を出せば、ナノスーツが破れてしまう。もしそうなれば君の正体がバレてしまうぞ』
背後で爆発が起きるたび、衝撃波がアルファの背中を押した。髪の毛が焦げる臭いと共に、肩に衝撃が走る。
(こんな至近距離じゃ、いつか直撃してしまいます……)
彼女はさらに速度を上げようとするが、体を包むナノスーツが軋む音を立て始めている。セーラー服でかろうじて隠れてはいるが、背中の着脱部分がぱっくりと破れていた。
〈マスター、今は一刻を争う事態です。任務より人命を優先すべき状況では?〉
アルファの反論に、沖永の声が少し揺れた。
『アルファ、そんなことをすれば……ハルがルナの死を知ることになるんだ。もしその場でハルが助かったとしても、彼女は一生消えない傷を心に背負うことになる。そんなこと絶対にあっちゃいけないんだ』
その言葉には、沖永自身の苦悩がにじんでいた。アルファはその音声データを解析し、彼の動揺を確認する。普段の冷静で余裕のある沖永からは想像できない声だった。
『アルファ、考えるんだ。AIの君ならそれができるはずだ』
果たして、ハルの命を救いつつ、ルナの死を隠し通す方法が残されているのだろうか――。
「早く下ろしなさい! このままじゃ二人とも死んじゃうわ!」
ハルは必死にもがきながら叫ぶが、アルファはそれを無視して彼女をしっかりと抱えたまま走り続けた。
衝撃は進行を止められず、スカートが裂け、剥き出しになった太もも。だがそこから覗くのは赤い血ではなく、冷たく輝く金属のフレームだった。
出口まではまだ遠い。入り込んだ通路が深かったせいで、逃走経路は思ったよりも長く、険しい。
アルファは走りながら腕の中のハルを見下ろした。その白くか細い肌に触れるたび、AIである自分にも伝わるかのような人間の体温。その温もりの儚さが、胸の奥で鈍く重い痛みとなって押し寄せた。
視界に映るハルの顔が一瞬揺らぎ、記憶の底から別の顔が蘇る。ルナ――かつて救えなかった命。彼女が冷たくなっていく身体を腕の中で感じた、あの絶対に忘れてはいけない記憶。温もりが消えゆく瞬間の絶望が再び蘇り、アルファの人工知能に刻まれた信念を強く呼び覚まさせる。
「もう誰も死なせない」
アルファはルナの母に誓った言葉を、静かに口の中で繰り返した。それは医療用AIとしての誓い。過去の過ちを、もう二度と繰り返すわけにはいかない。
アルファは歩みを止め、迷いを振り払うように腕の中のハルをそっと地面に下ろした。
「やっと、分かってくれたのね……早く、逃げて……」
ハルの声はか細く震えていたが、その中には確かな覚悟が宿っていた。
「ハル、君のことはボクが守るからね」
アルファは静かに告げると、握りしめた拳の中で淡い光を帯びた小さな球体を生成した。
前方ではウォーターソルジャーがこちらを睨むように迫ってくる。ギラギラと鱗状に輝くその体が、不気味に波打ちながら、次の攻撃に備えているようだった。飛ばしていたファンネルを鎧に戻し、再び間合いを詰める姿に、アルファの瞳が冷たく黒から金色に光る。
アルファは躊躇することなく、生成した球体を地面に叩きつけた。その瞬間、眩い閃光が周囲を覆い尽くす。
「きゃああっ! め、目が……っ!」
ハルは悲鳴を上げて目を閉じ、両手で顔を覆った。強烈な光に視界を奪われた彼女は、まるで自分が闇に呑まれたような錯覚に陥った。一方、ウォーターソルジャーも思わぬ閃光に動きを止め、その鱗状の体を小刻みに震わせている。
その一瞬の隙を逃さず、アルファはスマホを取り出して画面を操作した。アクセスコードを入力すると、ボロボロになった「ルナの皮」が光の粒子となって分解される。
重厚な機械音が響き、白と黒のボディに、戦闘用の赤いラインが走る。背中からスラスターウィングが展開され、余剰熱が蒸気となって噴き出した。
美しさと強さを兼ね備えた女神。
本来の姿に戻ったアルファは、もはや怖いものなどなかった。
『これが君の出した答えってわけだね』
遠隔から状況を見ていた沖永が、感心したような声で言った。
〈えぇ、マスター。私にはまだ人間の心を救う方法は分かりません。それでも――今の私にできることを全力でやらせていただきます〉
その言葉を最後に、アルファは羽を大きく広げ、音速で飛び出した。
襲いかかるファンネルの群れを、アルファは目にも留まらぬ手刀で薙ぎ払う。
斬撃のような速度。触れただけでファンネルが爆散し、火花となって散っていく。
圧倒的。
先ほどまでの逃走劇が嘘のような蹂躙劇だった。
〈ターゲットロック。終わりです〉
全てのファンネルを塵に変えたアルファは、ウォーターソルジャーの眼前にゼロ距離で現れた。
右拳に全エネルギーを収束させる。赤い光が渦を巻き、破壊の唸りを上げる。
『技の名前を叫ぶのも忘れないで! 強くなれるから!』
〈シャイニング・スマッシュ〉
アルファは生前のルナの言葉を思い出し、必殺の一撃を放った。
その拳は敵の胸板へと突き刺さる――はずだった。
――ズプッ。
不快な水音が響く。
拳が敵の身体を貫通したのではない。敵の体が突如として粘液状に崩れ、衝撃を無効化したのだ。
液体となったウォーターソルジャーは、そのまま排水口へと吸い込まれるように流れ落ち、暗闇の奥深くへと消えていった。
残されたのは、蒸発していく水たまりと、静寂だけ。
(……逃げた?)
アルファは拳を握りしめたまま、呆然と立ち尽くす。
完全な勝利の手応えは、あまりに不気味な形で空振りに終わった。
その様子を遠隔で見ていた沖永が、嬉しそうに拍手をしながら声を上げる。
『よくやった、アルファ。人工生命体第二号、ウォーターソルジャーの殲滅任務はこれで完了だ』
〈……マスター〉
アルファは一瞬、言葉を詰まらせた。それは違う――そう言いかけた時、背後で、衣擦れの音がした。
アルファは瞬時にアプリを起動し、戦闘形態を解除。光の粒子を纏って「西波ルナ」の姿へと再構成する。
破れた制服も、裂けた皮膚も、全て元通りに修復して。
振り返ると、視力が回復したハルが立ち上がるところだった。
変装が完了すると、アルファはそっと手のひらを見つめる。細く柔らかな「人間の手」に戻っていることを確認し、わずかに肩の力を抜いた。だが、その安堵はすぐにかき消された。
「ルナ……? さっきの音、何……? 人工生命体は……?」
ハルの焦点の合わない瞳が、恐る恐るルナを捉える。
アルファは、できるだけ人間らしく、安堵したように微笑んで見せた。
「逃げたみたい。もう大丈夫だよ、ハル」
手を差し伸べる。
だが、ハルはその手を取らなかった。
代わりに、じっとその「傷ひとつない綺麗な手」を見つめ、凍りつくような声で言った。
「嘘よ」
「……え?」
「……あれだけ凶暴な生物が簡単に逃げるわけない。それに……」
ハルは視線をルナの足元に目を落とし、彼女のスカートを強引に捲った。綺麗な白い太ももが露わになる。
「さっき、あんたの足……スカートが破れて『中身』が見えたわ。……銀色の、機械の足が」
「ま……まさか、見間違いだよ」
「見間違いなわけない!」
ハルが絶叫する。
彼女は一歩ずつ後ずさり、目の前の「親友の顔をした何か」を拒絶するように首を振った。
まったく予想もしていなかった展開にアルファのAIシステムは追いついていなかった。どうしてこんな展開になる? 自分の立ち回りは完璧だったはずだと。
「もしかして“ルナ"が人工生命体を倒したの?」
ハルは「ルナ」の部分を強調するように問いかけた。
しかし、アルファは答えられなかった。完全なAIであるはずの自分が、沈黙という選択をしてしまったことに戸惑いを覚えた。
ハルは答えのない沈黙にしばらく身を置いていたが、やがて短く息を吐くと、再び口を開いた。
「ルナは、私の知る限り……今まであんな身体能力は高くなかったわ。いつも私に頼りっぱなしで、戦うどころかちょっとしたことで逃げちゃう子だった。あの子が……あんな風に勇敢に立ち向かうなんて、絶対におかしい」
静かな声に、確信が宿っていくのが分かった。
「おかしいわよ」
ハルは繰り返す。その言葉は単なる疑念ではなく、すでに固めた結論を相手に突きつけるためのものだった。そして、アルファを真っ直ぐに見据えたまま、冷えた声で言い放つ。
「ねぇ、答えて。……あなたは誰?」
つづく
AlーPHA 光佑助 @roxas_1313
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