第3話 結婚しないひとりのサウナ人生

“劇団ひとり”


と僕が勝手に呼んでいる常連がいる。


恐縮気味の強張った表情で、膝を曲げず早歩きでスタスタ歩くその様が、見た目もさることながら表情の作り方、仕草、その全てが、どこかお笑い芸人の“劇団ひとり”に似ている。


ひとり、、、はいつも、サウナから出て水風呂に浸かったあと、銭湯内に置かれているガーデンチェアのような白い休憩椅子へ向かい、足を組んでゆったりと眠る。それがひとりのルーティーン。


40代後半と思われるひとりは、常連組ではかなり若い部類に入る。髪も黒々しくコシもあり、わずかに中年体型にはなりつつあるが、背も高く若々しさが残る。


僕はこの男を認めている。


ひとりのサウナマナーはかなり高い。


サウナ室で彼は、必ず下段正面に座る。


このサウナ室は、中段から真正面の位置の高さにテレビがあるため、下段正面はもっとも不人気の位置。テレビを見上げる格好になるので、首が疲れるのだ。そのため、ここに好んで座るものは、ひとりしかいない、、、、、、、、


他の場所が空くと、


「こっち空いたよ」


と常連組に言われるが、ひとりは


「ここが好きなんすよォ…」


と、恐縮して動こうとしない。


ひとりはテレビを見ない。ずっと下を向いて、熱さと向き合っている。


テレビの見やすさは、彼にとって関係ないのだ。


本当は、中段や上段に座りたいだろう。サウナは、上に行くほど熱さが強いので、上段が空けば必ず誰か移動する。それほど上段は人気なので、ひとりほどの好き者なら、上段に座りたいはず。


それでも彼が中段や上段を求めないのは、無駄な争いを避けるためだ。


あそこ空くかな? おっ、空いた。でも誰かそこに移動するかな? しないかな? しないなら俺が、という余計な駆け引きを好まぬ、平和主義サウナー。


本当の好き者は、安易に自分の欲望に忠実にならない。全体を俯瞰で捉え、ベストな行動を取れるのがプロ。己の欲求のまま動くは素人。


ひとりにとってのベストは、不要な争いを生まず、文字通り一人の世界に没頭することなのだ。だからこそ彼は、一番不人気なポジションを最初から取りに行く。


この男、できる。


彼も僕同様、本当は誰とも関わりを持ちたくないに違いない。しかし、この銭湯を気持ちよく定期利用するために、常連組とは良好な関係を保っておくのが吉。年齢的にはまだ常連組コミュニティに入る必要はないと思われるが、ひとりはボス猿への挨拶を怠らない。


サウナ室でボス猿が、


「(さっきは)よくお休みでしたよ」


と明らかに年上のボス猿がややからかい気味に敬語で話しかけると、ひとりは


「あれが気持ちいいんすよォ…」


とまた気恥ずかしそうに、半身だけ振り返りながら、小さく会釈して答える。本当は、話しかけられたくもないだろうに。


ひとり、立派なり。


おそらく会社でも、その気遣い力と世渡りのうまさで、着実に歩を進めているに違いない。威圧感も与えないその人柄から、若い世代からの信頼も厚い。少し頼りないところはあるが、話しかけやすい、いい上司。


上司の機嫌取りも見事で、接待ゴルフでの完璧な立ち回りが、彼の出世に繋がったと言っても過言ではない。に違いない。


しかし、その人当たりの良さから、上司からは時折無理難題を押し付けられ、ゆとり部下からはわがままを言われ、その狭間で苦しむことがよくあるひとり。だから週に一度のサウナで、リフレッシュしている。に違いない。


ひとりは指輪をしていない。


清潔感もあるし、会社での着実なスタンスも考えれば、結婚していてもおかしくはない。


独身だろうか。


世の女性はつくづく見る目がない。ひとりや僕を選ばないとは。


鏡も見ずに、自分の理想ばかり言うのが女だ。


ひとりの魅力、男の本質を見抜けるような目を持てない限り、幸せな結婚など夢のまた夢。安易な見た目や価値感に惑わされ、ブランドもののバッグを選ぶように男を見定めているから、うまくいかないのだ。


僕に結婚願望はないが、ひとりにはあるのだろうか。彼はいささか、趣味に没頭しすぎるてらいがある。に違いない。


おそらくひとりは、毎週末ここでサウナを満喫しては、家に帰って芋焼酎をちびちびやりながら、プラモデルをいじっている。に違いない。


幼少期、高くて買ってもらえなかったプラモデルを大量に買い、気が済むまでいじっている。


ひとり。そういうところだぞ。


そういうひとりよがりが、君が結婚できない理由だ。


確かに、結婚すれば自分の趣味にかけられる時間やお金は目減りするだろう。それが嫌で、独身貴族を満喫しているのかもしれないが、そろそろ身を固めてもいい年頃だ。お母さんも心配している。


多様性の時代ではある。結婚するしないは個人の自由だ。しかし、人類は子孫繁栄を選択してきたから今僕らはここにいて、サウナを満喫できている。


いや。


ひとりの人生だ。


他人が口出しはすることはできない。彼は彼の人生を、争わず、妬まず、自分の趣味を、マナー良く謳歌している。誰に文句を言うことができよう。


いつか君が良縁に恵まれることを、僕は陰ながら祈っている。


気持ちよさそうに椅子で眠るひとりを後に、僕は銭湯を出た。

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