第9話 田中の水風呂初体験記2

水風呂を見つめていた。


結局、ととのうの正体は分からず仕舞い。その後調べてみたところによると、水風呂の水温や、サウナ室の温度も重要だということを知った。


土曜日にしては早起きした僕は、今日はホームサウナではなく、自宅からもっとも近い行きつけサウナAに来た。


ここは午前11時までにチェックインすると、土日料金900円が750円になる。


200円で利用できる僕のホームサウナである市営温浴施設に比べれば割高だが、時間にゆとりがあるときは、民間施設の方が良い。設備が整っているし、木々に囲まれた露天風呂が気持ちよく、長居にはうってつけだ。これくらいの贅沢なら、罰は当たらない。


僕は内湯に浸かりながら、奥にある水風呂に表示された「17度」の文字を見つめていた。


ここのサウナは95度。


僕が以前トライしたホームサウナの水温は18度で、サウナ室は80度。


ととのうとは、交感神経と副交感神経の切り替えで起こる。サウナに入ると血管が拡張し、副交換神経優位になる。次第に、サウナの熱さに順応すべく交感神経優位となり、血中アドレナリン濃度が上がっていく。


そこで水風呂に入り、交感神経優位のまま血管が収縮した状態で外気浴をすることで血管が拡張し、副交換神経が優位になる。ととのうは、この瞬間に起きる。


副交感神経優位によるリラックスと、アドレナリンによる興奮が共存している状態だ。日常ではあり得ないこの状態を引き起こすのが、サウナと水風呂。つまりは急激な温度差がもたらす作用であるからこそ、水風呂の水温と、サウナ室の温度が重要になる。


行きつけのホームサウナに比べると、ここの銭湯は温度差が広い。


僕はサウナ室へ向かった。もちろんここのサウナも入ったことはあるが、水風呂は試したことがない。


10分後、サウナ室を出て、水で全身を流す。


ここの水風呂は17度。ホームサウナは18度。1度の違いとは思えないほど、冷たく感じた。この水温計が信じられない。


いつしか人は数字に支配された。どれだけ体調が良くても血圧が140以上なら薬を飲めと言われる。グルメ評価サイトも星の数で味を決められる。結婚相手も年齢、年収、身長、体重、全て数字で判断する。人類がAIに支配されるなんて言うが、人はとうに数字に支配されている。


ホームサウナの18度が事実だとすれば、この水風呂は14度くらいに感じる。しかし水温計が17度というなら17度なのだ。


機械の方が絶対おかしいと思いながらも、ゆっくりゆっくり身体を沈めていき、1分を頭で数える。


外へ出て、リクライニングチェアーに腰掛ける。


ホームサウナはガーデンチェアのような簡素な椅子しか置かれていないが、このあたりはやはり民間施設。優雅なリクライニングチェアーがあるところもいい。


感じたことのない身体の温かさだった。これは、今日の気温や風、天候も影響しているのか。寒い膜に覆われた表皮と、温かい内側、その両方が、ホームサウナで試したとき以上にはっきりと分かる。これが、温度差がもたらす現象か。


気持ちいい。


次第に、みぞおち付近を中心として、小さく震えているなにかが、全身に広がっていくような感覚が僕を襲った。


僕はそれ、、を怖く感じた。


なんだ今の。感じたことのない感覚。


なにかが全身に広がっていく奇妙さ。


ととのうの源泉を掴めそうな気がした。しかし、広がっていくなにかに恐怖を感じ、僕は我に返った。


あのまま気持ちを解放していたら、もしかしたら。


3回目の水風呂を出たあとのこと。


またみぞおち付近から全身になにかが広がっていくような感覚に襲われたそのとき。


強い風が吹いた。


木々を大きく揺らす風が身体を吹き抜けると、寒い膜で覆われた全身の表皮がいっぺんに刺激され、あれ、、が勢いよく全身に広がりだした。


うわっ!


と僕は我に返り、身を起こした。


これだ。


多分これだ。


全身に広がっていくなにか。風にさらされ刺激を受けたことで、一気に来た。みんなはあのまま委ねて、恍惚の中へと入っていくんだろう。


その先に行ってみたいような。怖いような。


行ってみたい。その先へ。


しかし、体内から突き上げてくる衝動にも近いようなあの感覚を、みんなは怖いと思わないのだろうか。僕が敏感すぎるだけだろうか。怖がりすぎているだけだろうか。


「お兄さん、シャワーがちょっと元気だね」


「あぁっ…! すいませんっ…!」


またやってしまった。


初老のおじいさんが苦笑いしながら僕に注意しにきた。


ととのうの正体を考えながら頭を洗っていたら、また後ろの人にかけてしまった。


僕に我を忘れさせてしまう、ととのうの正体は結局この日も分からぬまま、僕は銭湯をあとにした。

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