第4話 入墨の方お断り看板を出してもお断りできない問題

僕のホームサウナにはヤクザがいる。


一人や二人ではない。


笑えないほどいかつい入墨をした者が、10人近くいたこともあった。銭湯に行ったらヤクザがいたというより、ヤクザの銭湯に来てしまったという感じ。


本当にヤクザかどうかは分からない。いつかつ入墨をしている、ただのおじさんかもしれない。しかし、いかつい入墨をしているだけのただのおじさんが、世の中こんなにいるだろうか。


ちょっとヤンチャな若者や、職人さんがしているようなワンポイントタトゥーとは違い、背中全体、お尻や太ももにまで入っている。堅気の人間がそこまで入れるとは思えない。


「ヤクザですか?」と聞くわけにもいかない。誰とも関わりたくない僕にとって、こちらから話しかける選択肢はそもそもない。


ここは市営の銭湯だ。市営というからには、公金で賄われているはずだが、ヤクザは税金を納めているのだろうか。分からないことは多い。


サウナ室の上段に僕が座っていると、あとから入ってきた男が、僕の目の前の中段に座った。背中には、惚れ惚れするほど鮮明な般若が描かれていた。


サウナのヤクザ、下から見るか、上から見るか。


上からヤクザを見るというのは、日常生活においてまずない。ヤクザを見下ろすというのも妙な気分だ。サウナ室に先にいただけというアドバンテージに過ぎないが、どこか、ヤクザを従えたような気分でもある。


そのときだった。


僕の額から汗が滴り落ちた。


あっ


素早く手を差し出し、汗の落下を食い止めようとしたが間に合わず、汗は般若を目掛けて落ちていった。


汗はわずかにれ、僕の両足の真ん中あたり、ヤクザのお尻付近に落ちた。


もしこの汗が、ヤクザの背中に落ちていたら、どうなっていただろう。万が一、潔癖症のヤクザだったら激昂して、対応如何によっては指詰めか。コンクリート打ちっぱなしの無機質な事務所で指詰めさせられる光景が脳裏をよぎり、汗が引いた。


やがて、ヤクザを見下ろすという馬鹿げた優越感は醒め、後ろの壁にぴったりと身体をつけるよう、足を限界まで引いた。垂れる汗を全身で感じながら入るのがサウナの醍醐味なのに、絶対に汗を垂らしてはいけないサウナは地獄だ。


するとヤクザは、腕を組みながら上半身を捻らせ始めた。軽いストレッチか。すると背中の般若も、その動きに合わせるように動く。トリックアートのように、動いても動いても般若は僕を睨みつけてくる。こちらを見るな。


「おっ」


サウナ室に入ってきたボス猿が、いつもの挨拶をヤクザに向けた。さすがボス猿。ヤクザとも顔見知りか。芸能人なら一発アウトだ。


「何回目ー?」


ヤクザがそう尋ねると、


「もう三回目」


とボス猿が指を3本立てて答えた。


「頑張るねー」


とストレッチしながらヤクザが言うと


「へへ…」


とボス猿は小さく笑う。


一見、顔見知り同士の普通の挨拶に見えるが、やっぱり普通じゃない。


ボス猿はどう若く見積もっても60代だが、このヤクザはどう見ても40代前半。


銭湯で出会った40前後が、60前後に明らかなタメ口で話すのは普通じゃない。ひとりならもっと謙虚に話すところ。こんなわずかな一言二言でも、この40前後の方が上に見える。やっぱりヤクザだ。


するともう一名、ヤクザBが入ってきた。後から来たヤクザBは、先にいたヤクザAに一瞥もくれずに、別の位置に黙って座った。


なぜかヤクザたちは、この銭湯で会話をしない。


たまたま入墨をしている者同士というだけで、知り合いではないのかもしれない。または別の組同士か。


と思えば、帰り一緒に出ていったりもする。やはり知り合いか。


ヤクザ同士が会話をしていると、市民に威圧感を与え、クレームが来て利用しずらくなるかもしれないからだろうか。または、過去にそういうことがあったか。


「利用してもいいが、市民の方には絶対迷惑をかけるなよ」と親分に言われて来ているのかもしれない。


この銭湯の入り口には、「入墨の方お断り」との看板が大きく出ている。建物の入り口と、銭湯の入り口、二段構えで出ている。全員があの看板を目にしている。


ルールは銭湯が決めるものだ。なので、「お断りって書いてありますよ」と店側の正義を借りて注意することもできる。理屈としては正しい。ただ、社会の理屈に反発するから反社会的勢力と彼らは呼ばれている。現実世界において、理屈はあまり役に立たないことの方が多い。


サウナ室を出て、湯に浸かりながらそんなことを妄想していると、ヤクザAがサウナ室から出てきた。


そこにタイミング良く、店員が入ってきた。


明らかにヤクザAの般若が視界に入ったはずだが店員はなにも言わず、シャンプーとボディーソープの入れ替えを始めた。


「注意しないの?」という思いと「そりゃ注意できないか」という思いが同時に浮かぶ。


ボトルの入れ替えを終えた店員が戻るころ、ヤクザBともすれ違っていたが、もちろん注意しなかった。


「セクハラもパワハラも、やっている本人に自覚はなくても、結局は感じた人次第なんですよ」なんてことをのたまうコメンテーターは、理解者のフリしたイカサマ人間だ。


「おはよう」という挨拶でも気持ち悪いおじさんに言われれば、若い女性には不快に感じるだろうし、本人にそんなつもりがなくても、目つきがいやらしいとか、高圧的とか、ただの挨拶がセクハラにもパワハラにもなり得る。


しかし、菅田将暉や吉沢亮になら、どんな声をかけられ、どれだけ顔を近づけられても、不快に感じないのだろう。本人の感情とは裏腹に、顔の造形だけでいやらしいかいやらしくないかを決めつけられる。


つまり、“感じた人次第”などという理屈は、ただの差別的見解なのだ。結局は顔の造形で決まるという現実を無視した、なんの役に立たない方便。


僕にとって銭湯で見る入墨は、恐怖でしかない。よく見ると、本当に小指がなかったりする。映画でしか見たことのない指。


感じた人次第でいいなら、銭湯で見る入墨は歩くパワハラだ。


「入墨の方お断り」と掲げている銭湯で、入墨の方に注意できた店員は日本に何人いるだろう。


僕がここの店員だったと妄想してみても、注意しないと断言できる。「見かけたら注意しましょう」と会社に言われても、しない。先輩と一緒なら「先輩お願いします」という顔をするし、後輩と一緒なら「見て見ぬふりをしよう」というサインを出す。


仮に注意したとして、


「はあ? 他にもいるだろうが」


と凄まれても怖いし、


「ああ。わかったよ(夜道気をつけろよ)」


と居直られても怖い。


ならば「注意しない」「見て見ぬふり」が正解。


店員が、入墨を見て見ぬふりする光景も、すでにこの銭湯の見慣れた景色となっていた。小さい子が般若を指さそうとする腕を、パパが素早く制御する光景も見慣れた。


ヤクザも同じ人間であり、同じサウナを愛する者ではある。税金を納めているかどうかは分からないが、出来ればこの空間だけは、平和裏に共存する方法を模索したい。


次に行ったとき、入り口の看板が変わっていた。


「入墨やタトゥーがある方は、タオルなどでなるべく隠して入りましょう」


妥協案。


ヤクザにもやさしいまち。


正確には、入墨にもやさしいまち。


それでいい。


これが、一般利用者や市からの、最大限の譲歩だ。


これからもお互い関わることなく、サウナを利用していこう。


しかしヤクザたちは、今日も元気に入墨を堂々と晒し、サウナ室で鎮座していた。


そもそも立て看板に書かれたルールを守るくらいなら、ヤクザになんかならないか。

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