第7話 田中の混浴初体験記

草津三湯の一つ「御座之湯ござのゆ」は、昔の湯治文化を現代に再現した温泉だ。


内観も外観も、浴室に至るまで木造りにこだわり、万代源泉と湯畑源泉の2つの内湯と、入り口付近に3つの洗い場があるだけの、余計なものは一切排除した作り。


この温泉と、草津一の広さを誇る西の河原さいのかわら露天風呂に、僕は半年に一度訪れる。


西の河原風呂は、サウナどころか洗い場もない露天風呂だが、サウナ並の高揚感が得られる泉質で、草津温泉ではここと御座之湯が正解。


今日は閉ざされた至福の拷問から、開かれた天国へ来た。


昼過ぎにゆったりと出発し、2時間半車を走らせ、夕方前に西の河原風呂に到着した。旅は時間を決めず、気の向くまま動くが正解。


入り口付近には、すでに20数人が列をなしていた。


今日に限って随分人が多い。


確かに今日は三連休初日の金曜日だが、妙に若いカップルが多いような気がする。


最後尾から列に加わりゆっくり歩を進めていると、受付前に立てられた看板を見て僕は愕然とした。


「毎週金曜日は混浴の日 17:30~20:00」


やってしまった。


西の河原風呂の金曜日は混浴デイだった。しかも時刻は17時20分。前も後ろも若いカップルだらけ。一人挟まれた僕。完全に混浴狙いの変態クソ野郎。


急に肩身が狭くなった気がした。


違うんだ。


僕はそんなつもりで来たんじゃない。開かれた天国って、そういうことじゃない。


しかし、混浴開始10分前に一人で来ている自分をどう釈明する。まるで仕事のように正確な10分前行動。どれだけ見たいんだ。


「男性、一名様ですねー……」


この変態が、と受付の人にも思われているような気がする。なんで2時間半もかけて来て変態扱いされなければいけないんだ。混浴制度なんかやめてしまえ。


だいたいお前らカップルも混浴風呂なんか入りに来るな。貸し切り露天でAVみたいに、せこせこやってりゃいんだ。お前らの性癖を公衆に持ち込むな。


いやいや、待て待て。


混浴に入ることと性癖は全く関係ない。


マナーとルールを守っている以上、僕に文句を言う権利はない。


これではまるで、モテない男の僻みだ。SNSで美男美女を目掛けて罵詈雑言浴びせることでしか自己肯定感を得られぬ非モテ男子と僕は違う。女性経験こそないが、僕は僻み系男子ではない。


混浴タイムが嫌なら、この時間帯を避ければ良いだけのこと。事前に調べてこなかった僕の確認不足であり、彼らに非はない。


僕は平静さを取り戻しながら中に入った。


若者で溢れ返る脱衣所をよそに、僕は奥へと進む。


第2脱衣所はガランとしていた。


彼らはこの存在を知らない。


西の河原露天風呂の男性脱衣所は一見狭く感じるが、奥に縦長の第2脱衣所が併設されているのだ。


木を見て森を見ずとはこのこと。若者よ、全体を見るんだ。


服を脱ぎ、貴重品をしまうために有料ロッカーがある第1脱衣所に戻ると、若者たちは、脱いだ服を有料ロッカーに入れながら支度をしていた。


ロッカーに空きがないと判断した彼らは、なくなく有料の貴重品入れロッカーを使用していた。奥に第2脱衣所があるというのに。若者たちよ、目の前のことだけにいっぱいになっていると、答えに気付けないぞ。


卒業旅行だかなんだか知らないが、今はさぞ楽しいだろう。しかし、世の中はトラップだらけだ。そもそも第2脱衣所は、トラップでもなんでもない。そんなことに気付けないでどうする。


彼らの準備が終わると、僕はやれやれとスマホと財布を有料ロッカーに入れ、露天風呂へと向かった。


外はまだ明るかったが、湯けむりで全体があまり見えない。いずれにせよ、これならたいして見えないじゃないか。混浴目的もクソもない。僕は変態ではない。


かけ湯を終え、湯に浸かる。入り口付近の下流はぬるめだが、あまり移動すると女の存在を探しているように見える気がしたため、ひとまず下流に腰を据えた。


やはりいい。疲れた身体が生き返る。


混浴は迂闊だったが、来てよかった。次からは金曜日は避けよう。


しかし、さすがにこのままではぬるすぎる。草津まで来て味気ない。僕はゆっくりと上流の熱い湯を目指して、移動を始めた。


湯けむりでよく見えなかったが、どうやら100人以上はいるようだった。湯あみを着た女性も多い。


混浴タイムは男湯が混浴になるため、男性は受付で渡される無料の湯あみパンツの着用が義務付けられている。混浴に来る女性は、全身湯あみを有料でレンタルするか、持参した水着を着用する決まりだ。


湯あみ姿で髪を上げた女性は、湯けむりと相まって年齢がわかりにくい。20代くらいと思ったら50代くらいだったりする。極めて無駄な興奮の一喜一憂。


真ん中あたりまで来て全貌が見えてきた。やはり上流の熱い湯の方が人気があるようだ。もう少し人が減ったら、さらに上流に移動しよう。


今日は人が多いからあまりキョロキョロしていると、やはり女を探しているように見えると思い、僕は正面だけを見ることにした。


僕が浸かった位置から真正面の数メートル先に、男湯と女湯を隔てている扉つきの木の塀がある。混浴タイム中のみ、女湯からその扉を開け、男湯へ来ることが許されている。


扉付近には、湯明かりがつけられているため入ってくる女性がよく見えた。


やがて、ビキニ姿の若いギャル風女性が入ってくるのが見えた。その瞬間、男性陣が一斉にその方へ目をやったのを、僕は見逃さなかった。この変態どもが。


「こっちの方が熱いみたいだよ」


彼氏らしき男と合流すると、男はそのギャル女を連れ、上流へ移動した。歩いて移動する女性のお尻が、湯に浸かっている男たちのちょうど眼前に位置するため、彼女のお尻は磁石のように男たちの目を吸い寄せながら進んでいった。


彼氏はどこか満足そうだった。お前ら、俺の女に興奮しやがって、ふふふ、でもこの女は俺のものだぜ。どいつもこいつもバカばかり。


しかし僕はそんな彼氏より、ギャル女に疑問を抱いた。


なぜそんな際どいビキニをここに着てくるのか。


湯あみのレンタル代を払うのが嫌なのか、湯あみ自体がおばさん臭くて嫌なのか、あるいは、シンプルに男たちにビキニ姿を見てほしいからなのか。


セクハラが感じた側次第なら、あの女もセクハラということになるのではないのか。


「私から溢れ出る抑えられないこの色気、ごめんなさいね」という理屈が通るなら、「僕から溢れ出る抑えられないこのキモさ、ごめんなさいね」も通らないとフェアじゃない。つくづく理屈は役に立たない。


湯あみを履いての入湯は、開放感が損なわれるのに加え、股間付近に空気がたまるのも嫌だ。


湯あみを履いて湯に浸かると、中に空気がたまって股間のあたりが大きく膨らむ。少し動かしてやれば空気は逃げるが、水面に勢いよく浮き出るため、おならをしたかのような光景になる。


「屁すんなよー」「いや違うしー」と誰かといればそんな平和裏なやり取りもできるが、若いカップルに囲まれた中一人でこれをやるのは平和裏ではない。


股間付近から出た空気がブワッと水面に浮上したのち、突っ込んでほしそうな顔を一人するのも違う。何事もなかったかのように冷静でいるのも妙だ。


この湯あみっ屁一つで、局所的に気まずい雰囲気が流れる。なので、空気を出さずに、ずっと股間を空気で膨らませておくしかない。そして人がいなくなったのを見計らって静かに放屁する。


なんでこんなことに気を使わなければならないのだ。とにかく混浴タイムは、一人身の立場がない。


ほどなくすると、再び若い女性が扉から現れた。先のギャル女とは違って、真面目でおとなしそうな、眼鏡をかけた黒髪の二人組だった。


脱衣所で見かけた大学生グループの連れかと思ったが、そうではなかった。彼女たちは男湯に男性の連れがいるわけではなく、女性二人だけで男湯に来たようだった。


女性二人で男湯に来る意味。


僕の辞書にその答えは載っていない。


男の裸を見たかったのだろうか。


いや、男の裸に慣れるため…?


年頃にして、21歳か、22歳か。まだ男性経験がないことも十分考えられる。


彼女らが上流に行こうとする動きにつられるように、僕も上流に移動した。


すっかり日が沈み、暗くなっていた。遠くに見える山間が、ライトアップによって紫色に輝いている。反対の空には満月が浮かぶ。


いい夜だ。やはり草津はいい。


今頃、あのギャル女の彼氏は狼になっているだろうか。帰りの車で、そんな妄想をしながら、一人草津をあとにした。

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