第2話 サウナ室のプーチンテレビ事件

テレビがないサウナ室に初めて入ったとき、


「無音こそ至高」


と思った。


考えごとをするにも、瞑想をするにも、やはり無音はいい。一人の世界に深く没頭できる。


そう思ったのも束の間で、すぐに周囲の音が気になり始めた。


誰かのため息、座り直す音、自分の音。


やがて無音の中で無音を保つのがストレスになり、誰かが入口の扉を開けるときだけが音を出しても許される、息継ぎのようになった。


個室ならまだしも、みんなと入る共用サウナには、やはりテレビはあった方がいい。静寂の中際立つ環境音を、紛らわせてくれる。


僕のホームサウナは、真正面の位置にテレビがあるため、下段前を通るときは、みんな少しだけかがむ。


この配慮が僕は好きだ。


身体がテレビを覆う一瞬に不快感を示す者などいないが、それも分かった上で、形式的にみんな屈んで通過する。


スーパーで、商品棚を見ている人の前を通るときの会釈、エレベーターで“開”を押して待ってくれていたときのお礼、車で道を譲ってもらったときのハザードランプ。


本来、やらなくてもいいような小さな配慮、礼節。


これぞ粋。


世界の半分はやさしさでできている。


そう思える気持ち良さ。 


合理性を追求するなら不要だ。しかし、この“小さな配慮”で、揉め事の大半は避けられる。いかなる争いごとも、“小さな不快感”から始まるからだ。


もちろん、テレビ前を堂々と通過する不心得者もいる。しかし、常連組のやさしさチームワークは、そんな不心得者に壊されない。


常連組のテレビ前通過儀礼は美しい。勝ち名乗りを受ける力士が、懸賞金を取るように手を添え、「ごめんなさいよ」と言わんばかりに通る。


しかし僕はこれをやらない。


20代の僕には不釣り合いだからだ。


年相応というものがある。


僕のサウナマナーが随一なのは言うまでもないが、分不相応な作法は、作法とは呼ばない。おじさんの真似をする子どもの如く“茶化し”が見える。それは非礼だ。


若い僕のテレビ前通過儀礼は、腰を90度に折り曲げ、身体のどの部分もテレビ画面に被らないよう通過するのが正解。


たまに1階のプールで1km泳ぐ僕にとって、腰折り90度など軽いもの。1mmもテレビに被さず通る。


ホームサウナのテレビは、NHK固定のため土曜の夕方前は、相撲をやっていることが多い。


僕は相撲に興味はないが、常連組は熱心だ。優勝を決する重要な一戦のときには、全員が固唾を呑んで見守る。


やがてどちらかの力士が相手を投げ飛ばすと、サウナ室がワッと一つになって拍手が沸き起こる。「やりやがった」「やっぱりな」だの解説者気取りで、ブツブツ言い合いながら、一斉に立ち上がって出ていく。


常連組による一言二言の挨拶以外は基本無言のサウナ室だが、ここ一番の大勝負では、小さなパブリックビューイングと化し、全員が一つになって声を上げる。


相撲が終わると、18時のニュース。


この日は、ロシアによるウクライナ侵攻が物々しく報じられていた。


アナウンサーが、プーチンのコメントを読み上げる。


「“祖国に対して再び本当の戦争が行われている。我々は国際テロを撃退し、ドンバスの住民を守り、我々の安全を確保する”、とおよそ10分間の演説で、プーチン大統領は改めてウクライナ侵攻を正当化した上で…」


するとボス猿が、サウナ室にいる全員に聞こえるような、日常会話的トーンで、言葉を発した。


「てめえで始めといて、なに言ってやがる」


ボス猿の一言に、全員が「そうだそうだ」と顔で同意した。相撲とは違った一体感が生まれた、珍しい瞬間だった。


さすがボス猿。コメンテーターとしても大衆心理を掴んだ。


しかしそんな一幕は、あっさりと破壊された。


「自分でジブーのクォーもヒメテル」


聞き慣れぬ声がサウナ室に響いた。


ボス猿の後方から聞こえてきた声の方へ目をやると、お役所さんだった。


50歳過ぎと見られる、いかにも役所にいそうな真面目そうなその見た目から、僕は勝手に“お役所さん”と呼んでいた。


お役所さんも、ウクライナ侵攻になにか思うところがあったのか、ボス猿に続き突然口を開いた。


「自分でジブーのクォーもヒメテル」


「…」


「…」


「…あぁ?」


ボス猿がやや後方を振り向きながら聞き直すと、


「自分で自分の首を締めてる」


とお役所さんは言い直した。


「あ、ああ…」


自分の一言が決まった瞬間をあっさり壊されたボス猿は、少し不満そうに座り直した。


噛んだ。


最初完全に噛んだ。


お役所さんがなんと言ったか最初分からなかった。全員の頭上に「今なんて?」が浮かんだ。


サウナ室のテレビ画面に向かって日常会話的トーンでコメントを入れるのは、深酒してサウナに入るのと同じくらい危険な行動の一つである。


なぜならその一言は、マナーを無視してでも言うべき一言でなければならないからだ。


ボス猿の一言は、全員の総意を得た歯切れの良い一言だったが、お役所さんは普段毒を吐き慣れていないのか、ボス猿に被せに行った勇気は認めるが、無惨にも噛み倒した。


見事な一言を放ったボス猿の印象は、お役所さんが噛んだ印象にあっさり上書きされた。


この一連の珍事をはっきりと認識した僕は、笑いを堪える我慢大会に突入した。吹き出しそうになり、すぐにでも出て行きたかったが、最低8分は滞在する自分ルールに対して、まだ5分。


サウナとは、自ら過酷な環境に飛び込んでいく、ある種のセルフ拷問だが、これは望んでいない拷問だ。


暑さと格闘するために来たのであって、笑いと格闘するためではない。


ここで吹き出してしまったら一巻の終わり。ただでさえこの中で一番若くて浮いている僕だ。吹き出してしまうくらいなら、ここを飛び出そう。


でもあと1分。堪えろ。


悲しいことを考えろ。


プーチンがここに爆弾を落としてきたと考えろ。


しかしそうすると、お役所さんはあの噛み訂正が最後の一言となってしまう。


「自分でジブーのクォーもヒメテル」


「…あぁ?」 


「自分で自分の首を締めてる」


「あ、ああ…」


そのあとロケット打ち込まれて終わり。あんたが一番首を締めてる。


まずい。変なことを考えてしまった。もう吹き出してしまいそうだ。


8分経ったのを確認すると、僕は飛び出すようにサウナ室を出た。


危なかった。


あそこで吹き出してしまったら、僕の存在が表に出てしまう。表に出てしまったら、誰かとの関わりが生まれる可能性がある。


誰とも関わりたくない僕にとって、危険な瞬間だった。


完全に無防備だった。あんなところからミサイルが飛んでくるとは。


そのあとの外気浴は、いつにも増して開放感が強かった。

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