本論考は、なろう系が流行る理由について細かな手つきで明かします。その筋の良さは他のレビューアーの皆様が言及するとおりです。
ここでは、わがままに、本論からずれたところを述べさせていただきます。
本論考で、なろう系に対する洞察と共に、筆者自身の内面が繰り返し語られます。それは冷徹で、しかし論理だけでなく苦渋に満ちていて、自虐に墜ちるスレスレの道を進みます。読むと筆者の心理を追体験できます。筆者は自身の内面を語ることに成功しています。
ネット小説に触れ、なろう系にアンビバレントな感情を抱きつつ、ネット小説全体からは退場しない、筆者の苦しさが伝わります。
筆者は自身の内面の苦しさを出発点にして、なろう系という『怪物』の解剖に挑みます。
他人を直視できるのは、自分を直視できる人です。その態度は、なろう系の読者が持たないものです。
何を言いたいか、私の筆では上手く伝えられません。論考の本文をお読み願えませんか。筆者の言葉でなら伝わると思います。
なろう系を読んでしまう方の意見を中々お目にかかれないのでとても貴重な意見です。
なろう読者の根底にある考え方とか、つまらないのに人気である理由とそして実は存在していたテーマ性だとか、考察の域を出ないのですがいろいろ納得出来る説得力があります。
ずっと思っていた「思考を停止させて読める」とか「インスタント的に読みたい」とか小説を読むというまあまあ頭と行動力を使う動作に矛盾した意味不明な事を言っている人達の本当の意味も察することが出来ました。
本編では宗教で例えていましたが、他のレビューでも書かれていたある種の薬に近い気がしました。常人が飲むと副反応が発生して最悪死ぬ可能性がある。
病名も無い心の病を持った人が飲む物。
それは、病んでたら欲しがる人もいるわ。
そして健常者は確かになろう系を読む意味は無い。
本編ではもっと厳しい例えが出て来ますが、これから小説家を目指す為になろう系を書かなければならない苦行を強いられる人は是非読んでおく事をオススメします。
読者の人達も大変なんですね。
熱量が物凄い批評というのは、読む人を良くも悪くも激しく揺さぶるものだ。
この「なろう系」批評は紛れもなく該当するので、思わずレビューを書いている。
まず、この批評は、作者様も本文中に載せている朝三暮四様のnote記事「なろう系はなぜ『人気でつまらない』のか」と相互補完している。
順序はどちらでもよいが、両方(どちらとも熱量が半端ではないが)とも読んでおくと、「なろう系」のメカニズムを網羅的に把握出来ると思われた。
朝三暮四様が小説投稿サイトや書き手といった提供側の事情を描いているとするなら、こちらは「なろう系」を選ぶ読者側を題材にしている。
内容を有り体に言うなら「どうして明らかにヤバそうなものを選ぼうとするの?」という問いに対する、あらゆる方面からの分析だ。
作者の言い回しに害意はない。貶めたいとも、事を荒立てたいとも思っていない。ただし、正論が必ずしも心地よくないように、耳は痛くなる。
怜悧な指摘が続くものだと思っていたのだが、「CLANNADは人生」というこそばゆい名言のくだりから始まる、
作者様が本当に嫌だと思っている部分は、「なろう系」に対する自分のわだかまりを見事に言語化されていた。
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「なろう系」のみならず、Youtubeなどの他の媒体でも「ざまあ」を始めとしたインスタントに刺激・快楽をむさぼれる分野は既に1ジャンルを担っている。
個人的にはそういう類はファストフードやレトルト食品、あるいは紙カップ酒やストロング系チューハイみたいなものだ。スマホの時間潰し用ゲームでもいい。
人間の空白を満たしたい欲求と、低コストで大量生産(大量廃棄)のシステムとが噛み合った商品ということだ。
別にそれを常用する人を悪いとは思わない。ただ、それは一面だけであってほしいと切に願っている。
食べ物でもいいし、衣服でもいい。本でも旅行でもスポーツでも良いが、別の面では高級を志向して欲しいと思っている。
すべての面が時間潰しでは、あまりにやるせなさ過ぎるからだ。