月の消えた日
大隅 スミヲ
三題噺「接触」「回復」「予定調和」
ノイズしか聞こえてこなかった。
おそらく通信機器は壊されているのだろう。
もしくは、このあたりに電波妨害を張り巡らせたのかもしれない。
私は嫌な予感を覚えながらも、真っ暗な道を進んだ。
月が姿を消したのは、昨晩のことだった。新月ではない。月齢周期によれば、昨夜は上弦の月がハッキリと見えるはずだった。しかし、夜空を見上げても月の姿はなかった。
天体マニアたちがそのことに気づき、SNSに投稿したことによって、月が消えたことが一気に広まった。
月の神を信仰する宗教団体『月夜見会』。連中は、古の時代より、月の神である
この月夜見会の動きをいち早く察知した警察庁は、警察庁特別捜査官たちに特命を下す。西野月明を止めよ、と。
各地に散らばっていた特別捜査官たちは、西野月明を止めるべく、動き出した。
東京都内某所。
まるで西洋の宮殿を思わせるような作りの建物。
ここは信者たちからのお布施によって作られた、月夜見会の本部であった。
この宮殿が建設されたのは、西野月明が教祖となってからだった。それまでは千葉県と埼玉県と茨城県の境にある町で細々と活動しているだけの宗教団体だったのだ。
ただ、月夜見会の歴史は古く、平安時代初期の書物にもその名前が登場するほどである。そんな月夜見会を一代でここまで大きくしたのは、西野月明という人物の力と言えるだろう。
警察庁特別捜査官である私と後輩の鈴村は、その宮殿の内部に潜入していた。
西野月明は全国にいる数万人の信徒に対して、月が消えたことによる終末思想を語り、今こそ立ち上がるべきだと信徒たちに武装蜂起を囁いていた。
これを警察庁はテロ行為であると判断し、公安部に月夜見会の監視とテロを未然に防ぐように指示し、それと同時にふたりの特別捜査官を月夜見会の本部へと送り込んだのだ。
潜入するのは簡単だった。特に警備員もいない月夜見会の本部には、闇に紛れて入り込むだけで良かったのだ。しかし、問題は中に入ってからであった。
「無線、通じたか?」
「ダメっすね」
「スマホは?」
「こっちも圏外です。やっぱ妨害電波っすかね」
「その可能性はあるな。信者たちに余計な外部の情報を与えないために妨害電波を出して、外部との連絡や情報入手を断っているのかもしれん」
私はそう言うと、マグライトの明かりを足元に落とした。
警察庁特別捜査官。私たちには、そのような肩書きがついていた。特別捜査官は、警察庁のどこの組織にも所属しない存在であり、警察庁長官直属の部下という立ち位置にある。特別捜査官の存在は全国の警察官に知られており、すべての事件への介入が認められていた。
「どうかしたんすか?」
突然私が足を止めたことで鈴村が聞いてくる。
「静かに。誰かいる」
私は声を潜めて鈴村に言った。
遠くの方から真っ暗な廊下を歩く甲高い靴音が聞こえてくる。
足音からして、ヒールの高い靴を履いているようだ。
「女っすかね」
鈴村の言葉に私は無言で頷く。
「そこにいるんでしょう?」
女の声が聞こえてきた。
私はマグライトのスイッチを入れたり切ったりをリズミカルに繰り返した。
すると、向こうからも同じようにマグライトの光が点いたり、消えたりした。
合図に間違いはなかった。
「味方だ」
私はそう鈴村に告げて、警戒を解いた。
「通信網が遮断されていてね」
「そうよ。施設内の通信はすべてブロックしているの」
闇の中から姿を現したのは、痩せ型で高身長な女だった。
足元はハイヒールを履いているらしく、歩くたびにカツカツという甲高い音が響く。
「ここに西野はいないわ。あなたたちの動きを察知して、別の場所へ逃げた」
「なるほどね。まあ、構わないさ、すべて予定調和だ」
「そう、それならいいわ」
「私たちの目的は、内通者であるキミに接触することだった」
「あら、じゃあ目的は達成したってこと」
「そういうことになるな。あとはここの電力と通信網を回復させるだけだ。数時間後に、公安部の警官隊が雪崩れ込んでくる」
「わかったわ。電力室に案内する」
そう言って女が背を向けたところで、鈴村が持っていたスタンガンを女の首筋へと当てた。
暗闇の中に一瞬だけ光が見える。
気を失い倒れる女の身体を私は支えると、手と足をすばやく拘束して、口には猿ぐつわを噛ませた。
内通者であるこの女が警察庁と月夜見会のWスパイであるということは、特別捜査官たちに周知されていた。
私と鈴村がここに来た目的。それは西野月明ではなく、この女の回収であった。
西野の方は、また別の特別捜査官が処理に当たっている。
女の身体を布状の袋に詰め込むと、クリーニング会社のロゴが入ったカートに乗せて、私と鈴村は暗闇の中を移動した。
クリーニング会社のカートは、途中で信者に出くわしてしまった時のためのフェイクだった。私たちはプロフェッショナルだ。任務を遂行するための、少しでも時間が稼げれば良いのだ。
私たちは何事もなかったかのように、月夜見会の本部施設を出ると、駐車場に停めておいたライトバンの後部シートに袋を詰め込んだ。
途中、一度だけ信者に遭遇してしまったが、我々がクリーニング業者だと勘違いしたらしく、その信者はにっこりと微笑んで頭を下げた。
「ご苦労様です」
その信者の言葉に笑いを噛み殺しながらも、私たちは頭を下げてその脇を通過したのだった。
月の消えた日 大隅 スミヲ @smee
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