第2話 突然のカミングアウト

 コンサート会場からホテルまでは、地下鉄で一駅の距離だ。

 終電は出たあとだが、歩けない距離ではないのでタクシーは必要ない。春を迎えて、少しずつ夜も過ごしやすくなった。ほおをなでる夜気も、一仕事終えたハヤトには気持ち良く感じられる。

 繁華街は真夜中を過ぎてもにぎやかだ。眠ることを知らない大都市は、のどかな田舎の地方都市から出てきて間もない青年には刺激が強すぎる。

 コンサートでいろいろな都市をまわっているが、昨日から訪れている関西の街も、東京に負けないくらいきらびやかでまぶしい。


 街中を歩きながら手ごろな店を探すが、この時間ともなるとアルコール中心の店しか開いていない。運悪く、ほどよいファミリーレストランとは出会えなかった。

 さりとて食べ損なったハンバーガーが、今さら喉に通るとも思えない。

 だれかと一緒ならまだしも、ひとりで居酒屋に行くほどの度胸は、まだハヤトに備わっていない。


 行き場所を求めながら歩いていたが、なにも見つけられないままホテルのそばまできてしまった。

「まあいいか。今夜くらいカップ麺でも」

 ハヤトは独りごちながら、ホテル前のコンビニに入る。

 時間が時間なので、予想通り弁当やパンもほとんど売り切れ状態だ。ふう、とため息をつきながらカップ麺を選んでいると、ジャケットに入れたスマートフォンが振動して電話の着信を知らせた。


 急いで取り出すと、北島ワタル、とディスプレイに表示されている。

「バンドリーダーがクルーにわざわざ電話だって?」

 いぶかしく思いながらハヤトは電話に出た。

 聞き慣れた声が申し訳そうに「すまなかったな」と言う。

『クルーのあずまさんから連絡が入ったんだ。ハヤト、差し入れを食べられなかったんだって?』

 そうですと返事をすると、ワタルはファストフードの店員でもないのに謝る。

「に……いえ、のミスじゃないですから」

 ハヤトは反射的に答えた。


『ところでもうホテルに戻ってる?』

「いえ、まだそばのコンビニにいるところです」

『コンビニ? ……あ、本当だ』

 本当だってどういうことだ? とハヤトが疑問を抱いた直後に店の自動ドアがあいた。

「北島さんっ」

 ワタルが息を切らして入ってきた。なんでも、メンバーと夕飯をすませてホテルに戻るところだそうだ。

「腹減ってるだろ。みんなでホテルの最上階にあるバーに行くところなんだけど、一緒においでよ」

「でも……ぼくが一緒に行ってもいいんですか?」

「いいよ。メンバー五人しかいないんだ。あそこのマスターは料理好きでね。バーなのに料理のメニューも豊富だから、夕飯はそこですませればいいよ」


 ワタルたちが関西に訪れるたびに泊まるホテルで、バーも毎回の行きつけだ。芸能人も多く訪れるところだから、扱いも慣れている。

 ワタルに引っ張られてコンビニを出ると、オーバー・ザ・レインボウのメンバーが勢ぞろいでハヤトを迎えてくれた。

 まだ彼らとのつきあいも浅いハヤトは、大スターたちを目の前にして金縛りにあう。ほかのクルーたちのように打ち解けるところまでいけない。

 人と人が信頼しあえるところまで行くには、時間が必要だ。


 動けないでいるハヤトの腕を引いたのはワタルだった。

 ロックスターたちに囲まれて小さくなりながら、ハヤトはホテルの最上階にあるバーまで連れて行かれた。


「もう慣れた? バイトもたくさんいて、指示をこなすだけでも大変だろ」

 隣に座るワタルから聞かれ、ハヤトは軽くうなずく。

「ぼくもまだはバイトみたいなものですから」

「コンサートひとつとっても、たくさんの人たちの支えがあってはじめてできるんだよ。規模が大きくなれば、もっともっと人が必要になる。今回のツアーはドームじゃないからそこまでじゃないけど」

「アマチュアのうちは全部自分たちでやってたことだけどね」

 ワタルの言葉を、ボーカルの哲哉てつやが継ぐ。


 ハヤトは学生時代のバンド仲間に想いをせた。

 みんな地元に残って就職したり家業を継いだりしている。そんな仲間たちを残し、自分だけが東京に出てオーバー・ザ・レインボウのメンバーとともに仕事をする気はなかった。

 仲間とともに、地味でもいいから、地元で愛されているバンドを続けるつもりだった。


 でも仲間のみんなは、ハヤトに舞いこんできたチャンスを心から祝福し、送り出してくれた。

 それは内定をもらっていたホテルの社長も同じだった。

「サポートメンバーとして契約したのに、どうして下働きをさせるんだって思っていないかい?」

 ワタルの指摘が図星すぎて、ハヤトは顔が熱くなる。

 ステージに立つつもりで上京したのに、最初に与えられたのは裏方の仕事だ。会場でぐいぐい押してくる前列の客をおさえるときも、会場のセッティングをするときも、どうしてここに立っているのだろうと何度も疑問を感じていた。


「ワタルはね、ハヤトくんに裏方の仕事を体験してほしかったんだよ。自分たちのステージをささえてくれる人たちはみんな大切な存在だからね」

 ハヤトの不満げな顔を見て、直貴なおきが種明かしをする。


「それ、本当なの? ……あっ!」

 あわてて両手で口をふさいだが、遅かった。


 まずい。

 自分が北島ワタルの弟なのは、今はまだ公にしてはいけない秘密だ。新人なのに特別扱いされたくなくて、自らの望んだことなのに。

 だが今は兄がそばにいたためか、気が緩んでしまったのだろう。

 自分が提案した秘密を自分で暴露した。あまりの情けなさに、ハヤトはますます顔が熱くなる。


「心配しなくてもいいって。ハヤトくんがワタルの弟だってことは、メンバーはみんな知ってるんだからさ。これから六番目のメンバーになる人のことはみんなちゃんと理解してるよ」

 直貴がうれしそうに言う。カミングアウトしてくれるタイミングをずっと待っていたそうだ。


「六番目の……メンバー?」

「そうそう。次のライブからはステージに立って、ギターのサポートをしてもらうからな」

 そのときハヤトは理解した。サポートメンバーのためにアンコールの曲を追加した理由を。

 今日でチームから離れるメンバーに対するサプライズで、メンバー五人では公然の秘密だったにちがいない。


 ああ、やっとそのときが来るのか。考えただけでも武者震いする。でも自分が六番目というのはちがう気がする。

「ぼくは七番目のメンバーだよ。六番目は沙樹さきさんでしょ」

 そういうとワタルがいきなり咳き込んだ。メンバーは一呼吸おいて大笑いを始める。西田にしだ沙樹はワタルの恋人で、アマチュア時代からバンドをサポートしてくれた大切な人物だ。

「たしかに、西田さんを忘れちゃいけないな、ワタル先生」

「こら哲哉。うれしそうに言うんじゃない」

「だって、数少ないワタルのウィークポイントだからさ」

 ハヤトの何気ない言葉が発端で、メンバーは笑いに包まれた。


 途端に距離が縮まる。これがずっと欲しかった。

 中途半端な立場ではなく、中途半端な距離を解消したかったのか。自分でも気づかなかった本心をハヤトはやっと理解する。


 ――秘密を暴露したからこそ、絆が強まったんだ。


 ここにはぼくの居場所がある。

 心からそう思える仲間たちに出会えた運命に、ハヤトは感謝する。

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ふたつの秘密 須賀マサキ @ryokuma00

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