第一話 蛍石は始まりを告げる⑨



    ◆◇◆◇◆


 夜の王都は、遅くまでにぎわう中心部とそれ以外の地区で明暗が生まれる。

 宿は中心部より外れた場所にあるため、辺りは静寂に包まれていた。窓を開けると、遠くにぼんやりと宮廷前の大通りの光が見える。

 初春ではあるが、夜風にはまだ冬の名残りがある。窓辺に座っていると忍び込んでくる冷気が肌に心地よい。

 ファーネは昼間纏っていた軍服を脱ぎ、薄手のシャツと半ズボン姿でくつろいでいた。

 視線の先には、床に敷いた布団の上で丸まって眠る珠里がいる。

 鼻が詰まっているのか、寝息にたまに雑音が混じる。時おり、控えめないびきも聞こえる。

 今日出会ったばかりの彫刻師を見下ろす。

 珠里は、ファーネが滞在している宿に入るなり、入学試験で落ち込んでいたのが噓のようにはしゃいだ。

「すごい豪華な宿ですね。こんなれいな部屋で眠るの、初めてかもしれません。私の生まれ育った村にはないものばっかりです」

「素敵なカタチが、いっぱいですね。さすが王都です」

「おが広い、足が伸ばせました。お湯が出る輝石紋も初めて見ました」

 扉の装飾にはしゃぎ、天井の絵にはしゃぎ、じゆうたんの模様にはしゃぐ。そして、輝石紋を見つけてはうっとりと眺めた。

 それから、ファーネに促されて宿から借りた薄手の寝衣に着替えると、長旅の疲れを思い出したように眠った。

 ……変なやつ。

 ファーネは、だらしない寝顔を見つめる。

 十歳近く年上だというのに、まるでそんな気がしない。感情に乏しく何を考えているのかわからないのに、急に子供っぽく動揺したりはしゃいだりする。宿に泊めてあげると言った時はうれしそうに笑ったけれど、その笑顔はぎこちなくてどこか不気味で、思わず噴き出してしまった。

 なぜかその不器用さも幼さも嫌いになれない。裏表のなさについては、いっそすがすがしささえ感じる。

 そして、よくわからない部分の極めつきが、輝石だ。

 ファーネは手の上にある二つの輝石に視線を移す。

 どちらも、昼間に珠里から宿代の代わりにもらったものだ。

 刻まれた輝石紋は美しく、『滑落注意』と名付けられた紋にいたっては恐ろしいほど複雑だった。

 さらにファーネを驚かせたのは、刻まれた線の深さや幅にばらつきがないことだ。人間業とは思えない精巧さだった。もし珠里の説明した通りの機能があるのだとしたら、宿代などでは釣り合わない代物だ。

 ……こいつが高い技術を持っているのは間違いない。そもそも、まったく新しい輝石紋を考え出すなど、一握りの天才にしかできない芸当だ。

 不可解なのは、知識の偏りが甚だしいこと。輝石彫刻の技術は飛び抜けているが、金属器についてはまるで知識がなかった。まったく新しい輝石紋を生み出すという行為が、どれほど特異なことかも理解していない。

 ……とにかく、こいつは近くに置いておいた方がよさそうね。

 ファーネは、視線を手の中の輝石に戻す。

「もし、こいつが試験に落ちることがあれば──その時は、紋の国もその程度ということね。こいつは、私がもらうわ」

 顔を窓の外に向けた。

 夜空に浮かぶ星の中に、北極星を探す。

 天の中心にあり動くことのない星は、ファーネの祖国アメストリアでは守り神だと信じられていた。

 星々の瞬きを見つめながら、ファーネは遠い祖国と、その土地に暮らす親しい人々の顔を思い浮かべた。



 翌朝、門前に合格者の名が張り出された。

 輝石科目の合格者は十一人。その中には、珠里の名前があった。


=====


この続きは2024年1月23日ごろ発売予定の

『紋の国の宮廷彫刻師』(角川文庫刊)でお楽しみください!

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紋の国の宮廷彫刻師 瀬那和章​/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko

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