主人公の画家、漆野和生は美大の研究室にいたころに、絵のモデルとして現れた小夜子に一目惚れをした。
小夜子をモデルにして絵を描くうちに、距離は縮まって行き、2人は夫婦になる。幸せな日々はいつまでも続くと思っていたが、妻はある出来事をきっかけに変わってしまう——。
『死肉食む妻』というタイトルでなんとなく察しがつくと思うのですが、とても猟奇的な物語です。ただ、それだけではありません。
おそろしいことが起こっているはずなのに、艶かしい表現なので、美しく感じるんです。
作中にピアノを弾く場面があるのですが、おそろしいことが起こっている間も、ピアノが奏でるクラシックの音楽が聞こえてくるようでした。
この物語は主人公と、被害者の視点に分かれています。被害者側を読んでいる間は恐怖が伝わってきて、手に汗が滲みました。どこにも逃げ場がない密室……気が狂った方が楽かもしれませんね。
残酷描写、暴力描写が苦手な方は要注意ですが、不思議と重苦しさは感じないので、ぜひ読んでみていただきたいです。とにかく美しい。
目を覆いたくなるような猟奇的な内容ですが、それよりも、妻への強い愛を感じる物語でした。
ひたひたと進んでいく物語には、常に悍ましさが付き纏います。どこに目を向けても恐怖がありました。
加害者、被害者双方の思考や感情、行動が詳細に追われているのが凄いです。あまりにも具体的に描かれた解体、極限状態におけるヒトの反応等に、特に驚きを覚えました。
物事の善悪は、何によって決まるのでしょうか。それは時代やその時の状況、各人などによって変わるものなのではないでしょうか。
戦争、過去の人体実験、実験用マウス。実在する様々なものが連想されました。
ヒトは環境に適応する生き物です。それは自らを変えていくということだけでなく、置かれた環境に慣れる、感覚が麻痺するということでもあります。
生き物は食べなければ死んでしまいます。食べるという行為は生きるということそのものであるし、他の命の上に成り立つ行為でもあります。
目的のために他者を殺す、殺しが「許される」「仕方がない」と思う、倫理観が失われる。
それは一方から見れば正気、他方から見れば狂気かもしれません。
私たちも、知らず知らず不条理に染まり、「狂っている」かもしれません。