第一話 蛍石は始まりを告げる⑧


    ◆◇◆◇◆


 蒼元は居室に戻ると、受験者から回収した輝石をずらりと机に並べる。

 これから行うのは骨の折れる作業ではあるが、やるべきことは単純だった。

 目の前にある六十七個の輝石の中から、良い物を十個選ぶ。場合によっては、彼の権限によって一人、二人の増減は認められている。

 いずれも、この日のためにけんさんを積んできた者たちの集大成だ。無下に扱うことはできない。

 普通の試験官なら、そう思うはずだ。

 だが、蒼元は一番右端の輝石をつかみ、光に透かして眺めると、そのまま床に落とした。

 どれほど研鑽を積んでいようと、輝石鑑定師である蒼元の前では、できの悪い輝石紋にはそれ以上の価値はなかった。

 聖学府に入った者たちの学費は、すべて国庫から賄われる。将来の輝石技術を担うための技術者を育成することが、小国である貴耀国の生き残るすべだ。ゆえに、研鑽を積むのは当然であり、その先にある絶対的な実力こそが求められるものだ。

 蒼元は、また一つ輝石を床に落とす。

 拡大鏡を使って見るまでもない不出来な輝石紋ばかりだ。紋の深さも幅もばらばらであり、線もぶれている。当然ながら仕上がった輝石紋もゆがんでいる。これでは本来の性能は発揮できない。魔力の消費も激しい。

 次の石は、落としそうになったのを踏みとどまった。

 前の二つよりは幾分ましだった。これは、候補として残しておかなければならない。

「あなた、またその試験をやったの。好きねぇ」

 背後から、はちみついちごを混ぜたような甘ったるい香りが近づいて来る。

 蒼元は、ため息をつくような声音で答える。

「実力を見るには一番わかりやすい」

 背後に立っていたのは、長い髪を垂らした妙齢の女性だった。

 女性用に仕立てられた、花や鳥の飾りがふんだんに使われた赤い深衣をまとっている。美しい顔立ちだが、酒に酔っているかのようにとろりとした視線と、視えない壁にしなだれかかっているような立ち姿には、退廃的な雰囲気が漂っていた。

 女の名は、きやという。彼女も伝統ある聖学府の講師の一人であり、優れた輝石彫刻師だった。

「どう? 今年の受験者は、いい子いた?」

 蒼元の肩にあごをのせるようにして、机の上をのぞき込む。

「あら、第一紋が交じってるじゃない」

 珠里の刻んだ第一紋だった。他はほとんどが第二紋。第三紋も二つある。

 蒼元はこたえずに、次の輝石を手に取り、今度は拡大鏡で確認してから、そっと卓の上に戻す。

「そういえば、事前の審査であなたが絶賛していた輝石紋の子の石はどれ」

「その、第一紋だ」

 蒼元は手を止めずに答える。

「あらぁ。とんだ期待はずれだったわね」

 伽羅は細い手を伸ばすと、蒼元の手元から第一紋の刻まれた柘榴ざくろいしを奪い取る。

「可愛い。輝石の歴史の最初の方に登場する『蛍火』じゃない。この紋で聖学府に受かった子がいたら、それこそ歴史に残るわね」

「そうでもない。あとで貸してやる、それを金属器にめて力を引き出してやるといい」

「あら。あらあら。その言い方、また嫌がらせを考えている顔ね。その手には乗らないわ。あとでなんて言わないで、今やりましょう。私、今、この輝石に合いそうな金属器を持ってるわ」

 伽羅はそう言うと、輝石を摑んだのと反対の腕を深衣のそでの中から出す。

 そこには、銀の金属器が嵌められていた。

 飾り気のない銀の輪を二つ交差させた腕輪であり、輪の交差部分に輝石が嵌まるくぼみが作られている。

 宮廷輝石院の技士が作り上げた、輝石の力を効率よく引き出す業物だった。

 金属器とは、輝石を起動させる道具の総称だった。輝石は、ただ輝石紋を彫っただけでは起動しない。金属器に嵌めることで事象が発現し、制御が可能になる。

 金属器は用途に合わせて、腕輪や指輪のような装飾品から、なべや行灯のような日用品、剣や盾などの武具までさまざまな形に加工される。場合によっては、起動停止の制御や、輝石の魔力を効率的に引き出す補助などの機能も付与されていた。

 輝石を使うには、金属器の性能も重要になる。ゆえに、聖学府では、輝石彫刻師だけでなく、金属器技師の科目を設けていた。

 伽羅が輝石を金属器に嵌めようとしているのに気づき、蒼元は声を荒らげる。

「待て、やめろっ」

 間に合わなかった。

 輝石は、金属器にカチリと嵌まる。

 次の瞬間、雷が落ちてきたようなまばゆい光がはじける。

 二人の講師は、悲鳴を上げた。

 光はほんの一瞬。光が消えた後の部屋には、床にへたり込んだ二人の講師がいた。

「なに、今の、雷光みたいなの。とつに魔力の供給を止めたけど、もし止めなかったら危なかったわ」

 伽羅が目を押さえながら立ち上がる。それもそのはず、本来『蛍火』とは、辺りをぼんやりと照らす輝石紋だ。

「基本は『蛍火』だが、あまりにも精巧に彫られているため、極めて効率がよい。さらに、最大限の光を放つように改造が施されている」

「あなた、知ってたのね。これを、私に一人でやらせようとしていたの。あいかわらず性悪ねぇ」

 金属器から外した輝石を、伽羅は改めて見つめる。

「……なに、これ」

 そこで、やっと輝石紋の異常さに気づいた。

「こんな真っすぐな線、私だって引けないわよ。直線も円弧もすべての線が精密、紙に描いた設計図そのまま、輝石紋の理想形だわ」

「しかも彼女は、その輝石紋を彫るのに、たった二枚の紋眼鏡しか用いていない。直線と円だけだ」

「冗談でしょ」

 紋眼鏡とは、輝石彫刻師が、輝石紋を刻むときに使う片眼鏡だった。硝子ガラスには直線や曲線が刻み込まれており、それを下書き線代わりにして輝石に紋を刻むのだ。

 基本は同心円が刻まれた円と、格子状の線が刻まれた直線だが、その他にもえんや多角形、様々な角度の交線やせんなど数多くの形状があり、紋眼鏡を使い分けながら紋を刻むのが一般的だった。

「それに、本来の輝石紋から線を増やして、威力を上げているのね。改造できるのは大したものだけど……こんなの、『蛍火』としては使えないわ」

「わざとやったか、あるいは、まともな金属器が周りになかったかのどちらかだろうな。粗悪な金属器しかなければ、輝石の能力を上げて対応するしかない。地方だと、そういうこともあると聞く」

 輝石の能力は、金属器の出来栄えに大きく左右される。金属器の素材が低質であったり、加工が粗雑であったりすると、輝石の魔力がうまく制御できず、出力が下がったり、魔力を無駄に消費したり、最悪の場合、暴走することもありえる。

 素材も重要だった。金属器は白銀や金、銀といった貴金属が最適であり、しんちゆうすず、銅、鉄などの安い金属になるほど性能は落ちる。地方では、貴金属の金属器などそうそう流通していない。

「……じゃあこの子は、自分の実力をまるでわかっていない可能性があるってわけぇ。どうするの?」

「俺の判断基準は一つだ。この貴耀国のためになるかどうかだ」

 蒼元は、伽羅の手から輝石を奪い返すと、そっと卓の上に戻した。

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