第一話 蛍石は始まりを告げる⑦


    ◆◇◆◇◆


 講堂を出ると、珠里は思わず春琳に駆け寄った。

「待ってください、どういうことですか?」

「なんのことかしら?」

 春琳は、梨寧と連れ立って先を歩いていた。珠里の言葉に、面倒そうに振り向く。

「あの、試験が終わって講堂を出る時、皆さんの彫った輝石紋を見ました。みんな、第二紋か第三紋でした。第一紋の人なんて誰もいなかった」

 それを聞くと、春琳はあざけるような笑みを浮かべる。

「当たり前でしょう。聖学府の試験に、見習いでも彫れるような第一紋を彫るなんて馬鹿げていますわ」

「だって、あなたが──」

「私がなにか言ったかしら? たとえそうだとしても選んだのはあなた、ですわ。ここは、工房でろくな修業もしていない者が、踏み入れていい場所ではないわ。だから、親切に教えてあげましたの。せいぜい、私のせいで落ちたと言い訳すればいいですわ」

 春琳はぱっと背を向けると、そのまま歩き去っていった。

 そんな。そんなのっ。

 私だって第二紋も、もっと上の紋だって彫れるのに。すべてをなげうってここに来たのに。

 珠里が、その場にへたり込みそうになった時だった。

「今の、なに?」

 後ろからファーネの声がする。金属器科目の試験も終わったらしく、また面倒なところに出くわした、と言いたそうな視線で立っている。

「ファーネさん、それがっ」

 珠里は思わず、自分の身に起きたことを話す。だが、返ってきたのは細剣で傷をえぐるような言葉だった。

「愚かね。信じたあんたが悪い。事前の情報収集だって、その場でなにを選択するのかだって、実力のうちよ。あんたは前者を怠り、後者を誤った」

「そう、ですけど」

「それ以上の言い訳は無様よ。でも、せっかくだから、あんたが彫った輝石を見せて。輝石彫刻師なら、持ち歩いてるんでしょ? 真面目にやってもどうせ駄目だったかどうか、私が見立ててあげるわ」

「輝石紋が、わかるんですか?」

「当たり前よ。金属器技師はいつだって、自分の金属器に相応ふさわしい輝石かどうかを値踏みしてる。輝石鑑定だけなら、そのへんの彫刻師よりもできるわ」

「これ、最近彫った輝石紋です」

 珠里は、肩から下げたかばんから輝石を取り出す。輝石は通常、こんぽう用の綿が敷き詰められた小箱に入れて持ち運ばれるが、珠里の輝石は、しゆきんで丁寧にくるまれているだけだった。

 輝石を受け取ると、ファーネは窓際に歩み寄り、光を入れながら確認する。

すいしようね。珍しくはないけれど、物は悪くないわ」

「私が鉱山から見つけて、加工しました」

「カッティングまでできるのね。見事な出来栄えだわ」

「カッティング、ですか?」

「私の国の言葉で、鉱山から採れた原石を切り出して、加工や研磨をして相応しい形状にすることよ。それにしても、見慣れない輝石紋ね」

「銘は『かつらくちゆう』です。鉱山を歩いていると、足元がもろくなっていて滑落することがあるので。高いところから落ちた時に起動させると、着地の瞬間に体を一瞬だけ軽くして、落ちた時の衝撃をなくす機能を持っています」

「ふざけた銘ね。でも、すごく独創的な紋だわ。私の国では見たことがない。さすが『紋の国』の技術ね」

「いえ、その紋は私が考えました。この国は関係ありません」

 そこで、ファーネの動きが止まる。

 輝石から視線を外し、まじまじと珠里を見た。

「考えた? あなたが? このふざけた銘の輝石紋を?」

「はい。銘もふざけてはいません。わかりやすくていい名前です」

「……第一紋もある?」

「これが、今日の課題に出したのと同じ第一紋です」

 珠里はきんちやくから、別の輝石を取り出す。輝石はほたるいしであり、刻まれている輝石紋は第一紋の『ほたる』だった。暗闇を照らす機能があり、街灯やあんどんに用いられている。

「フローライトね、私の国でも良く見る輝石だわ」

 ファーネはしばらくそれを見つめてから、答える。

「あなたは、受かるわ」

「え? だって、第一紋の『蛍火』ですよ? 見習いでも彫れる輝石紋ですよ?」

「信じないならいいわ。結果は明日、門前に張り出されるんだったわね。それまで落ち込んでなさい」

 ファーネは手にした輝石を返そうと手を伸ばすが、珠里がそれを受け取ろうとしたところで、ふと思いついたように引っ込める。

「そうだ。あんた、今晩はどこに泊まるの? お金はあるわけ?」

「あっ、そういえば……王都に来るための路銀に、ぜんぶ使っちゃいました」

 珠里は、今になって初めて気づいてぼうぜんと答える。ここに来るまで、試験を受けることしか考えていなかった。

「あんたのこの二つの輝石と交換で、私が借りてる宿の部屋に泊めてあげる。もし受かったら、入学の日までいていいわ。どう?」

「本当ですか。ぜひ、お願いします」

 珠里は感謝を込めて笑みを浮かべる。けれど、引きこもっていた期間が長かったせいか、思ったように笑えず、口元が引きつるような表情になってしまった。

「あんた、笑うの下手すぎ」

 ファーネは噴き出すと、後をついてくる猫に向けるように優しく笑う。

 珠里は、紅玉のような瞳にほんの一瞬だけれて、思わず視線をらした。

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