お化け灯籠(とうろう)

四谷軒

独眼竜と黒衣の宰相、そして刺客をめぐる秘密

 東京、上野公園には巨大な灯籠とうろうがある。

 高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。

 まるでお化けのように、大きいそれは、お化け灯籠と呼ばれる。


 この灯籠は、佐久間勝之という大名の寄進によるものであり、彼は、京都の南禅寺と名古屋の熱田神宮にも同様の巨大な灯籠を寄進しており、上野、京都、名古屋の三基を、日本三大灯籠という。


 さて――このお化け灯籠は、寛永八年(一六三一年)に寄進され、寛永寺の参道の、上野東照宮へ分岐するあたりに置かれた(現在は東照宮寄り)。

 このお話は、その灯籠を横目に、伊達政宗が寛永寺を訪れるところから始まる……。



 無駄にでかい灯籠だ。

 伊達政宗は、鼻から息を「ふん」と吹き出しながら、その灯籠を横目に、寛永寺への参道を進んだ。

 時に、寛永八年。

 戦国は終わりを告げ、江戸幕府が成立し、世は天下泰平の気風が生まれつつある。

 あのお化けのような灯籠を作って、寺なりやしろなりに寄進することこそ、その象徴であろう。

 だが。


何処どこの馬鹿者だ。あんなを奉納しやがって」


 政宗は当年とって六十四歳。

 老境に入る年頃だが、客気かっきは消えない。むしろ増える一方だ。

 だからあのようなお化け灯籠を寄進して得意がるような輩に、鼻で息をしたくなる。


「……誰だったか、たしか南禅寺や熱田神宮にも、あんなもんを奉納した奴が」


 寛永寺で佐久間勝之という名を思い出すことになるのだが、今は思い出せず呻吟し、そして思い出せないことは年齢のせいではないかという危惧を振り払うように、「ええい!」と怒鳴った。


「くだらん! あんなもん、どうでもいい!」


 忌々いまいましげに、路傍の石を蹴る政宗。

 大丈夫だ、安心しろ。

 強気な態度とは裏腹に、政宗は内心、己に語りかける。

 このような内心を抱くにはわけがある。


「天海め……この政宗をわざわざ呼びつけおってからに。一体、何を企んでおる、くそ坊主」


 天海。

 この高齢の僧侶は、徳川幕府における黒衣の宰相として知られる。

 側近として仕えた家康はすでにいが、二代の秀忠、三代の家光にも仕え、隠然たる勢力を誇っている。

 そして天海は、寛永寺の住職を務めている。

 その寛永寺へ来いとの誘いがあった。

 これは何かある。

 政宗の第六感が告げていた。


「何を企む、天海。だが、抜かるまいぞ。この政宗、今までも才知を誇る相手をいくらでも騙して来たではないか。そう、あの蒲生氏郷すらも」



 伊達政宗は豊臣秀吉による小田原征伐に参陣して豊臣政権下に入ったが、それは面従腹背であり、いわば秀吉の「代官」として会津に下向した蒲生氏郷に従うふりをしながら、その寝首をこうと企んでいた

 政宗は葛西大崎一揆という動乱を密かに扇動し、氏郷の追い落としを狙った。

 しかし氏郷は、信長・秀吉といった天下人から賞賛された器量の持ち主である。一揆を鎮圧するどころか、政宗が一揆を扇動した証拠を手に入れていた。

 政宗の花押かおう入りの書状である。


関白さま秀吉書状これを見せ、検断してもらう」


 氏郷はこのことを秘密にしていたが、忍びからそれを知った政宗は、氏郷を「慰労したい」と宴に誘った。

 氏郷は怪しんだが、ここで断れば書状を秀吉に見せることを気取られる。


「行こう」


 この時、氏郷が佐久間勝之という武将を伴ったことが、彼を救った。

 佐久間勝之。

 尾張の勢族、佐久間家の男であるが、柴田勝家、佐々成政、北条氏政と主を転々と変え、今は氏郷に仕えている。

 つまり、それだけの才と武がある男であった。

 さてこの勝之が先行して政宗が酒宴を張る場所へと入ると、何やら胡乱うろんな雰囲気に勘づいた。


「におうな」


 勝之は用を足すふりをしてその場から離れた。

 道に迷ったというていで歩いていると、伊達家の伏兵の存在に気づいた。


「お逃げくだされ」


 勝之の注進を受けた氏郷は、一も二もなく遁走とんそうする。

 わざわざ自ら膳を運んできた政宗は、勝之相手に酒を注ぐ羽目になった。


 ……こうして政宗は氏郷から訴えられることになる。

 しかし、花押の鶺鴒せきれいの目の部分に針ほどの穴が有るものこそ真筆であり、氏郷の提出した書状にはその穴がなく、偽物であると主張して――「無実」を勝ち取って、今に至る。



「さて伊達どのにおかれましては、愚僧の招きに応じていただき、まことに慶賀の至り」


 寛永寺。

 その庭に面したある一室にて、天海と政宗の会見は行なわれた。


かしこまった挨拶など不要」


 政宗はどかっと座り込み、出された茶碗になど目もくれずに、さっさと要件を言えとその隻眼を光らせた。


「では仕方あるまい」


 天海も、この無遠慮な態度に応じるように、身を乗り出す。

 怪僧然とした天海がにじり寄ると、それなりの迫力があるが、政宗はそれを平然とにらみつけた。


「政宗公、貴殿……秀忠公のお体がよろしくないのを知っておられるか」


「知っておる」


 政宗はつまらなそうに答えた。

 寛永八年の今、徳川秀忠は体調を著しく崩し、翌年の寛永九年には死去する運命にある。

 外様大名の筆頭というべき政宗には、当然、秀忠の体調については公式非公式に話が伝わっている。


「で? それが何だというのだ。人はいずれ死ぬ。おれにその死を止めろとか言われても困るぞ。それは坊主の仕事だろう。加持祈祷、何でもせよ。何でもして、秀忠公の御身をお救いせよ」


 横柄にして傲岸。

 独眼竜政宗の身上である。

 こうして相手を怒らせたなごころに転がすのが、政宗の得意にして愉悦である。


「では何でもさせてもらおう」


 だが目の前の僧侶はちがった。

 幕閣を支えて来た齢八十七の怪僧はちがった。


「政宗公、悪いが死んでくれ」


 天海が目配せすると、寺の庭から寺男とおぼしき男が、手に得物を持って、政宗と天海のいる一室へと入る。


「お、おい待て!」


 あまりの急な展開に、政宗は刀の柄に手をかける。


「貴様! このようなやり方で人を殺すとは。それでも坊主か!」


 天海は酷薄な笑みを浮かべる。


「伊達どの。そちとて」


 さりげなく後じさりして、政宗との距離を取りながら、怪僧は言った。


「そちとて、蒲生氏郷をこのように謀殺しようとしたくせに、何のゆえをもって、愚僧を非難するか」


「……な」


 なぜその秘密を知っている。

 そう言おうとした政宗に、寺男の得物――槍が迫った。

 かきん、と軽い音がした。

 火花が散った。

 政宗の刀が、寺男の槍を弾いたのだ。

 寺男は槍の柄を握り直す。

 また、突き出そうというのか。

 政宗がそう思った時。

 寺男の顔が、政宗の記憶を刺激した。


「貴様……佐久間勝之?」


「さよう……蒲生公をあの時――葛西大崎一揆で追いつめてくれた礼を、してくれようぞ!」


 勝之が迫る。

 政宗は舌打ちする。

 あのようなお化け灯籠を置いて、何とすると思うたが。

 この政宗を討たんとする願掛けか。


「伊達どの。助けてやろうか」


 これは天海だ。

 気づくと他の寺男たちに囲まれ、守られていた。

 いや、寺男ではなく、伊賀者か。


「助けるとは、何じゃ」


「伊達どの、そなた……仙台にて御公儀と合戦せんと企んでおるな」


「…………」


 「東奥老子夜話」という書物によれば、政宗は仙台で幕府軍を迎え撃つ計画を立てたとされ、麾下の将兵と共に地図上の演習──いわゆる図上演習──をおこなったとされる。


「秀忠公は、もう死を覚悟しておられる。ただ──伊達どののそのような行いを知り、いたく心を悩ませておられる」


 つまり、天海はその図上演習に用いた地図を差し出せという。


「……さすれば不問に付そう。秘密にしておく」


「……ッ」


 天海が話している間にも、佐久間勝之の槍は容赦なく襲って来ていた。

 勝之と政宗は同世代だが、大坂の陣で手柄を立てて藩祖となった男の槍は、まだまだ重かった。


「……さあ伊達どの、如何いかに」


 政宗とて、無防備で来たわけではない。黒脛巾組くろはばきぐみなる、忍びの群れを潜ませてはいる。

 だがそれを出してしまったら合戦だ。

 今なら、佐久間勝之が遺恨を果たさんとしているのを迎え撃っているに過ぎない。

 天海の周りの伊賀者も、天海を守るていを取っているから、集団で迫られているとは言えない。


「されどこちらも忍びを繰り出せば……そこの伊賀者らと、を構える」


 そうなれば合戦だ。

 天海は狂喜して伊賀者に命じ、政宗の首を取るだろう。

 今はまだ姿を見せていないが、徳川最強の忍び──服部半蔵が。


「……くっ、わかった。わかった!」


 政宗は懐中から地図を取り出し、床に叩きつけた。

 天海と勝之の目がそちらに向くと、すぐさま身をひるがえして、走り去っていった。



「追いますか」


「いや、よい」


 佐久間勝之はわりとあっさりと槍を下げた。

 そしてまるで、天海こそ己の主とばかりに拝礼する。


「手間を取らせた。だがこうでもせねばあの独眼竜のこと、天下取りというから逃がれられぬ」


「……お化け、でござるか」


 勝之は苦笑した。

 伊賀者たちはとうに消え、場には天海と勝之のみ。


「……そうよ。天下取りだのいくさだのは、もはやのようなもの。そういう世になった」


 だからこういう秘密は無い方が良いと言いながら、天海は地図を拾い、それを引き裂いた。

 勝之もそれを止めず、ただ風に舞う紙片を見ていた。

 天海は勝之に言う。


「本当にすまなかったのう。そなたにとっては、ただ働き同然だったがゆえに」


「いえ」


 勝之としては、むしろ望むところだったという。


「これで葛西大崎一揆でしてやられた蒲生公の無念も、少しは晴れようというもの」


 だからこそ、この話に乗ったという。


「それに……あの独眼竜が調子に乗ると、蒲生公が化けて出て来るやもしれませんし」


「それゆえに、あのような――お化け灯籠を寄進したのだろう?」


「さよう」


 天海と勝之は大声で笑った。


 ……こうして、寛永八年のその一日は過ぎ去り、その時起きた出来事は秘密とされた。

 今日ではその秘密を、誰も知ることがない――お化け灯籠以外には。



【了】 




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