つないで、むすんで

七雨ゆう葉

優しくて、悪戯な神様

「んで、章大しょうた初詣はつもうで、何を祈願するんだ?」

「うーん、そうだな……。何だろ。受験とか?」

「なんだよそれ。俺たちまだ二年生だろ。ちと時期尚早やしないか。てっきり明里あかりと付き合えますようにとか、そういうのかと思ったのに」

「おっおい、何言ってんだ……。明里とは別にそんなんじゃ……。ただの友達だよ」

「とか何とか言って、結構お似合いだと思うぞ。俺見てて思うんだけど、明里の方も章大に気があると思うぜ。そう言えば恵理子えりこも、似たような事いってたし」

「だから違うって……」

「なあ雅樹。一日ついたちの日だけど。明里の前で余計なこと言ったら許さないからな」

「ハハッ、わかってるよ。俺のこと何だと思って。友達だろ?」

「ならいいけど」

「まあとにかく。それじゃあ章大。一日の午後一時、駅前に集合な」

「ああ。わかった」


 冬休みの年明け前。友人の雅樹からの電話を切ると、章大は大きくため息をついた。

 明日は一月一日。この日の午後からは、クラスメイトの雅樹、そして明里と恵理子の四人で初詣に行く約束をしている。十月の席替えを機に同じ班になり、話すようになった四人。その中で章大は、雅樹にはああは言ったものの、隣の席となった明里のことをしだいに意識していた。表裏の無い性格で、いつも溌溂はつらつとし、普段から笑顔の絶えないクラスメイト。そんな彼女とは、年明け一月の席替えでおそらく離れてしまうだろう。それを見越してかそうでないのか、度々アシストを送って来る雅樹。友人としての気遣いであれば感謝したいところだが、章大としては正直余計なお世話に感じていた。


 そういうのは、こっちのペースでさせてくれ……。



 ◆



 迎えた一日、当日。晴天に恵まれた午後。集合場所の浅草駅の改札を抜けると、喧騒も喧騒、付近一帯には既に驚く程の人だかりができていた。

 すごい人。これは……まいったな。

 雅樹に明里、恵理子の姿は見当たらない。一番乗りなことに、何だか張り切ってるみたいに思えて、考え過ぎと自覚しつつ恥ずかしくなる。

 浅草寺へと向かう隊列の群れ。するとその大群の中に、まるで列での時間を楽しむかのように仲睦まじく談笑をする学生カップルの姿がふと目に留まった。咲かせた破顔を見合わせながら、手を繋ぐ彼彼女。やがて彼女の手は彼のコートのポケットへと潜り込んでいった。


「…………」


 章大は半ば無意識に、自身と彼女をその二人のアングルに投影し、ただ時を待った。

「あっ、お待たせ」

 それから三分後。寒空の中、やって来たのは、グレーのスクールコートに白のマフラーを巻いた明里、だった。

「ごめんね、遅れて」

「ううん、全然。オレも今来たとこだから」

「そうなんだ。――あっ、そうそう」

「改めて、あけましておめでとうございます」

「ああ、あけましておめでとう……ござい、ます」

 そんなに月日が経ったわけでもないのに、妙に意識してしまう。新年の初日となると尚更だった。

「今年もよろしくね!」

「あ……うん。よろしく」

 昨晩、深夜に四人のチャットグループ内でも挨拶は交わしていたのに、生の声音から放たれた明里からの「今年も」の言葉に胸がくすぐられる。

 挙動不審ではダメだ。堂々としてないと……。心中で大きくかぶりを振り、章大は通常のテンションへと切り替えることに努めた。


「にしても、ちょっと遅いな」

「うーん、確かに」

 その後。五分、十分と経過するも、他の二人のやって来る気配が無い。連絡もない。何かあったのだろうか。もしや人身事故か? 章大は気になり、スマホを取り出した、ちょうどその直後。


≪ゴメン! 今日だけど、家の用事が急遽入っちゃって(恵理子)≫

≪悪い、なんか風邪ひいちゃったみたいでさ(雅樹)≫


 同じタイミングで、チャット内に二人からのメッセージが入る。

 すると間を置かずして、雅樹から自分宛の個別メッセージが届いた。


≪悪いな章大≫

≪でもちゃんと初詣には行くんだぞ≫


 っ、アイツめ……。

 何が悪いなだ。嘘つきやがって……。さては、恵理子と結託でもしたな。

 雅樹からのメッセージ。その最後には、ご丁寧にサムズアップの絵文字が付いていた。

 完全に計られた……。慌てて明里を見やると、彼女は親切にチャット内に「体調は大丈夫?」「お大事にね」と返事を送っている。明里はきっと、何も知らない。

「二人とも、来れないみたいだね」

「そう、みたい……だな。どうしよっか?」

「でも……折角だし、二人でお参りしてこうよっ、ね」

 一瞬残念そうに見えた明里だったが。いつもの元気で明るい、名前通りの彼女へとすぐに戻ると、「行こっ、章大」と言って手招きをし、列へと体を向ける。そのまま章大たちは、雷門へと歩を進めた。


「みなさん、大変込み合っておりますので、立ち止まらないようにお願いします」

 終始方々から放たれ続けるアナウンス。隊列に埋もれ、一歩一歩。速度はひたすらに牛歩のまま。明里と隣り合い進む中、章大の左手は彼女のその細い右手に触れるか触れないかの距離を行ったり来たりしていた。

「もうすぐだね」

「あ、ああ……うん」

 本堂までもうあと数メートル。だが参拝所に近づくにつれ、速度が速まったり遅くなったりと乱れ始め、不規則に殻回っていた。そんな中で章大は、事あるごとについ明里の手に目が留まってしまう。


 チャリン、チャリン。


「えっ? もう?」

「ホントだ。まだ前列でもないのに、みんなもうお賽銭投げてる」

 あまりの混雑だからか、賽銭台がまだ見えない中、自分たちより後列の参拝客の多くが硬貨を投げ入れ一斉に合掌を始める。途端に不規則に、激しくなる人波。結果流れに任せるような形で、章大たちも慌てて小銭を投げた。


 どうしよう……、何を、お願いしようか。

 そしたら……。


「どうか」

「彼女と、手を……つないで……」


 雅樹にあれだけ断言をしておきながら。章大はただ心のままに、よこしまな気持ちを天に任せ祈った。


 だが、終止符を打つ、その前に。


「ちょっと!」

「ああ! 押さないで! 潰れちゃう!」

「みなさん! 大変込み合っておりますので、立ち止まらないようにお願いします!」

 参拝客たちの咆哮にも似た叫びと、メガトラから繰り返し響き渡る注意喚起。導線の波に呑まれる形で、章大たちは祈祷を中断させられてしまった。

「っ、あっ」

「明里! あぶない!」

 すると圧力を増した人波に押し込まれ、明里が列の後方へと吸い込まれそうになる。章大は咄嗟に手を伸ばした。差し伸べた手。そこに向け、応えるように伸びる白く細い手。

 掴み、絶対にとつなぎ合う。結び合う手と手。章大は彼女を必死に手繰り寄せた。

「だい、じょうぶ?」

「う、うん……何とか」

「ありがとね、章大」

「あ、いや」


 あれ……? これって。


「大変込み合っておりますので、立ち止まらないで下さい!」

 流れたアナウンスに思考が制御される。まるで自分たちに放たれたかのような大音量だった。だが次の瞬間、再び手元に生まれた淡い熱。

「ねえ章大」

「じゃあさ。この一帯を抜けるまでは、つないだままでいよっか」

「えっ?」

 予想外の展開に胸が高鳴った。

 気をしっかり持て。挙動不審はダメだ。冷静に、冷静に。

 章大は即座に言い聞かせると、「そうだな……じゃあ、そうしよ」と何とか平静を繕い答えた。

 伝わる彼女の温度。中途半端に終わった祈りは、数分と経たずして、思わぬ形で叶う結果となった。




「あっ、これ!」

「ねえねえ! ちょっと見てもいい?」

 大通りを逸れ、別の街道を歩くも、ここでも人だかりが絶えない。そんな中、見かけた人形焼の屋台に目を光らせる明里。

「うん、いいけど」

 章大が返すと、彼女は言った傍から繋いだ手を離した。

 そこに他意はない。なのにいたずらにじらされたような気分で、もどかしさを覚える。そうして見えて来た屋台通りを前に、章大たちはたこせんにじゃがバター、りんご飴と様々に買い漁った。

 ふう。それなりに空腹も満たされた、と思った矢先。


 ぐぅ~~。


「えっ?」

「あっ!」

 それは、隣に立つ人物からの腹の虫の音。

「今、食べた後なのに?」

「あーもう、うるさいな~」


 コツン。


「だって。お昼、食べる時間無かったんだもん」

 恥ずかしそうに頬を赤らめ、マフラーに顔を沈める明里。

「ハハハッ」

「ちょ! もう章大! わらうなぁ~」

「じゃあ折角だし、どっかちゃんとしたお店にでも入って、何か食べていこうか」

「えっ、いいの? うん、行きたい!」

 膨らませた頬が直ぐに霧消する。そうして章大たちは、近くにあった蕎麦屋へと足を運び、そこで遅い昼食を摂ることに決めた。


 もはや、ちょっとしたデート気分。

 嬉しい。けれどその反面、章大にはただ一つだけ。

 言い表せぬ心残りを秘めたままでいた。



 ◆



「章大、今日はありがと。楽しかった!」

「うん。こっちも楽しかった」

 食事を終え、辿り着いた駅の改札前。

「あれ? 章大も電車じゃないの?」

「あ、ああ……うん。じつはこれからちょっと、寄るトコあってさ……」

「そう、なんだ……」

 今日は楽しかった。だからこれでいい。焦ったらだめだ。そう言って言葉を濁すと、章大は明里と別れきびすを返した。


 その後階段を昇り、再び遠巻きから雷門越しの本堂を見やる。

 いまだ手に残る僅かな温度。明里の温度。思わぬ形で、瞬く間に願いが叶ってしまった。おもいもよらぬスタート。でも、あれは不完全だ。居座ったままの心残り。章大は再び、その場所へと歩き出した。


 夕刻迫る時間帯の通りは、先程よりはだいぶ人の数が減っている。

 章大は雷門をくぐった。

 ――と、その時。


「えぃっっ」

「うわ!」


 バッグのようなものが背中にゴツンとぶつかる。というより、故意に突かれたような……。

「もう、なにしてるの?」

 章大は慌てて振り返ると、そこには解散し別れたはずの明里が立っていた。

「明里? え? どうしてここに?」

「だって章大、去り際が何だか不自然だったから。つい気になっちゃって、付けて来ちゃった。ごめん」

「でも、どうしてまたお寺に?」

「えっ? ああ、それは……」

「さっきさ、人の群れにもみくちゃにされて……きちんとお祈りできなかったから。だから改めてと思って」

「…………」

「そっか」

 納得し、どうにか理解してくれたみたいで、ふむふむと頷きを見せる彼女。

「じゃあ、あたしも一緒に行く」

「え?」

「つきあうよ」

「えっ⁉ つきあう⁉」

 反射的に漏れ出た声。「つきあう」とは、別にそういう意味ではない。会話の流れから明らかだ。冷静になればわかる事。にもかかわらず噴出してしまったその反応に、明里まで変に反応し、「ち、ちがうからね!」と頬を赤らませた。

「んもぅ、早くいこっ」

「あ、うん……」

 そうして先程とは異なり、隣り合う事なく、三歩先を歩く明里。そんな彼女を追うようにして、章大たちは再び本堂へと向かった。


 改めて。

 次はきちんと……。


 パン、パン。


 すると先に目を閉じ、静かに合掌し、祈りを捧げ始める明里。その合わさった細く白い両の手に、章大は目的を忘れ、またしても視線が吸い込まれた。


 パン、パン。


 彼女から数秒遅れて。章大も合掌する。

 十秒……二十秒……。

 参拝を済ませ、再び門の方へ。帰路を進む中、せっかくの二度目にも関わらず章大は、自虐心が拭えないままだった。

ができたら……」なんて、思ってしまった自分に。



「ねえ章大」

「え?」

「寒くなってきたね」

「あ、ああ。うん」

「だから、さ」

 そう言い放った瞬間、明里の右手が章大の左手に触れた。

「え? 明里? 今はもう、込んでないけど」

 言った傍から、章大は心底自分を責めた。何を言ってるんだ、オレは……。気持ちとは裏腹に、照れ臭さを隠そうとする自分の言葉を、その喉元を突き刺したくなる。

「いや?」

 極端に下がったトーン。申し訳なさそうに言葉を紡ぐ明里。

「う、ううん……全然。そういうわけじゃ」

「じゃあっ」


「いいよね」と言うように、明里が手を握ってきた。あまりにも唐突なその動作に、焦燥が噴泉する。

 汗をかかないように。かかないように……。その時の章大は、ただそれだけを願い、思いに更ける間もなかった。


「章大。すごい手、冷たい」

「そう、かな」

「うん。冷えてる」

「……だから」


「こうすれば温かいよ」


 絡み、包み込む指先。

 その一本一本に、彼女のキメ細かな肌が重なり合った。


 あれ……、これは。


 嬉しさと驚きと、動揺。あらゆる感情が章大の中に混流していた。

 でもその行為には、彼女の意図が透明度を増し、伝播していて……。想起する雅樹とのこれまでのやりとり。オレは……。

 たとえ照れ臭くても、恥ずかしくても、決して逃げてはいけない――そう思った。

 その華奢な彼女の手を強く、優しく、握り返す。すると彼女は歩幅を摺り寄せ、フッと小さく笑った。


「神様っていじわるだな」

「えっ? 何? 章大」

「ううん。いや、何でもないよ」

 つい言葉を零してしまう。

 嬉しい……。でもこんなにもすぐ、また願いが叶うだなんて。スタートラインに立った間隔すら無かった。

 雅樹も、神様も……。オレのペースでは許してくれないってことか。


 帰りの電車のホームは別々。場所はちょっとあれ、だけど……。改札を抜けたら……そうしたら言おう。ちゃんと気持ちを伝えよう。

 だけど、駅までまだ距離がある。今はとりあえず、何か話をして間をつなげないと。


「ところでさ」

「明里はさっき何をお祈りしたの?」

「え? あたし?」


「それ、は……その」


 その瞬間、繋いだ彼女の手の温度が高くなった、そんな気がした。

 何気なく空を仰ぐと、新年初日の落陽が浅草の街並みとスカイツリーを煌々と照らしている。

 けれどそのオレンジよりも、何よりも。


 隣を歩く彼女の横顔の方が、章大には美しく輝いて見えた。





 了

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つないで、むすんで 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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