Resonance

緋那真意

響きあうこと

 来愛らいあは、寂しい時は散歩をしなさい、とおばあちゃんに教わった。外の空気を吸い、人との出会いを持ちなさいということらしい。

 もっとも、外にいても誰もいないのはわかっている。育ててくれたおばあちゃんが亡くなってから人は見ていない。

 だから彼女は、人を知らない。


「他の人なんているはずもないか」


 独り言。たまに出てしまうのだ。


 今日も一人きりの散歩を終えようとしていた頃、一枚の写真に気付く。


「私と、私……?」


 そこには自分が見知らぬ場所で自分そっくりの女の子と一緒に写っている。一体どういうことなのだろう。


「私が二人いる……?」



 双子がいる、という話は聞いていない。何よりも、双子だとしてどうして自分の知らない場所で一緒にいる写真があるのだろう。

 疑問に思うと同時にその答えを見つけたくなってたまらない。夢中で支度を整えると家を飛び出す。

 すぐに帰るから、と書き置きを残して。



 杏珠あすは今日も自分に手紙を書いている。

 正確に言えば自分ではないし、その手紙は投げっぱなしで振り返りもしない。自分自身を別人に見立てて、彼女に今日楽しかったことや悲しかったこと、今言いたいことを書いて終わり。

 そうでもしなければやりきれないほど杏珠は生きることに疲れていた。周りの人の目に怯え、顔色をうかがい、責められないように前に出ない日々。親も友達も、何なら自分も信じられない。

 誰も信じられない自分が信じられる相手として作ったのが彼女だった。自撮り写真を合成して双子のようにうり二つな友達として設定し、手紙という形で誰にも言えない本音を吐く。だから、最初は罵詈雑言ばかりで振り返りたくもないような中身でしか無かった。

 当然それで良かったし、そうするつもりで作ったのだが、何度も同じことを繰り返しているうちに自分を虚しく感じるようになっていく。人の悪口を自分に告げ口しているという虚ろさに退屈しだしたのだ。

 だからそこで終わりになっても良かった手紙は、しかし終わりにはならなかった。



 来愛は家の前の道路を歩いていく。最初のうちは高層の建物に囲まれた一本道だったのが、段々と建物の背が低くなっていくのがわかり気持ちも楽になる。

 そんなとき、人に出会った。家の前でタバコを吸っているお爺さん。丁寧に挨拶をする。


「こんにちは」

「おう、こんにちは。向こうから来たのか?」


 来愛が歩いてきた方向に目をやり、ニコニコと笑う。


「はい、ここには人が居るんですね」

「わしの他には両手で足りるくらいしかおらんよ」

「向こうには私しかいませんでしたから」


 その言葉に老人は笑顔で頷く。


「じゃろうな。けれど、お嬢さんは出てきたわけで……良いことじゃ」


 一人で生きるのは肩もこるからの、とのどかな声で言いつつ、こう付け加える。


「この先に行くのなら気をつけてな。良いことも悪いこともあるが、素直さを忘れずに過ごしなさい」

「ありがとうございます」


 来愛は礼を述べて老人と別れると再び先に進んでいく。



 朝。朝食を買いに出た杏珠はたまたま出会った通りすがりの老人に挨拶した。


「おう、おはよう」


 老人も元気に挨拶を返してくる。


「いつもこの時間にお散歩されているんですか」

「まあな。この時間のほうが歩きやすい」

「この先もお気をつけて」


 短い会話の後、老人と別れた杏珠は胸をなでおろす。いきなり挨拶したら変かな、と心配していたのだが何と言うこともない。少し安心した杏珠は目的の買い物を終えて帰宅すると、朝食を食べながら手紙の中身を考え始めた。



 来愛は初めて十字路に差しかかった。直進方向は広々とした視界が広がっているが、人の気配が感じられない気がする。

 左右のどちらに行こうか悩んだ末に、右を選ぶ。


「また、家に後戻りしちゃいそう」


 そう、つぶやく。家が道の左手側にあったので、また家と同じ方向に進むのも気が進まない。

 右に曲がろうとすると、車が向かいから走ってきた。あっという間に通り過ぎていく。


「忙しそうね」


 車を見送った来愛はゆっくりと道を進む。少しずつ人の気配が増えていく。



 昼前に友人とのやり取りを一区切りした杏珠はため息をつく。


「イマジナリーフレンドとばかり遊んでないで外に出たら、か……」


 友人から遊びに誘われて、断りきれなかったことを若干後悔する気持ちもあったが、そろそろ家のことだけ話題にするのも退屈してきたところである。


「……変なの。いない人をいるように話すなんて」


 そう友人のことを皮肉るが、それを言うなら自分が一番それに当てはまってしまうのに気づき苦笑する。

 その日の手紙は少しだけ筆が進まなかった。


 次第に人でにぎやかな場所に進んできた来愛は、どこか休む場所を探していた。

 色々な人が来愛を見て声をかけてくるが、あまり良い印象を受けない。それまで人と触れ合った経験のない彼女には断るだけでも中々の重労働だった。

 付き合いきれなくなり、人気のない方向へと進むうちにベンチのある緑地に行き当たり、そこで一息つく。


「おばあちゃんはここから逃げてきたのかな……?」


 そうだとしたら気持ちはわかると来愛は思う。あんなに人があふれていると、何が良くて何が悪いのかが分からない。

 それでも来愛は心を落ち着けて、前を向いて立ち上がる。


「でも、おばあちゃんが誰とも付き合わなかったなら、私もいないはずだもの」


 来愛は両親のことを憶えていない。おばあちゃんが血のつながった人なのかも分からない。

 しかし、何もないところから人は現れない。道を進むにつれて行き交う人が増えていくのがその証拠。


「もう一人の私も、きっとどこかにいる!」


 再び歩き出す。どこをどうやって進んできたのかさっぱり分からないが、どこに行くにせよ道の先には何かがあると信じていた。



 友人と食べ歩きを楽しんで帰ってきた杏珠を待ち受けていたのは、母からの呼び出し。それを見て顔色を変え、慌てて身支度を整えて家を出る。

 実家に着くと、そこには祖母の遺体が安置されていた。八十八年を生き抜いた祖母の顔はどこか安らかだった。

 おばあちゃんもあんたを見て安心してるよ、と母から優しく言葉をかけられて杏珠は目尻に涙をにじませる。おばあちゃん子だった彼女の心のなかには、いつでも祖母の笑顔があった。

 葬儀を終えたあと、もう帰って良いという両親に頼み込んで七日間を実家で過ごした杏珠は、きちんと祖母に別れを告げて自宅に帰っていく。



 来愛が人のいる道を歩くのにもすっかり慣れた頃、休憩に入った喫茶店の主に話しかけられた。昔、祖母が住み込みで働いていたという話を聞かされた彼女は無意識に息を呑む。


「知らない誰かと結婚して遠くに引っ越したまでは知ってたが……」

「店主さんは、もしかして……」


 その言葉の先を慌てて噛み砕く来愛を見て、店主は苦笑する。


「俺は気が小さくてな……遂に言えないまま終わっちまった。けど、来愛ちゃんを見て安心した。何があったとしても、立派なお孫さんを残せたんだ」


 しみじみと話す店主は来愛を祖母が暮らしていたという部屋へと通された。部屋はがらんとしていて物置にも使われていない。唯一、祖母が置いていったという姿見が窓の外に見える夕日を浴びてオレンジに輝いていた。

 夜になり、来愛は店主の厚意に甘えてその部屋で休ませてもらう。明日からどう過ごすかはもう決めていた。



 実家から帰ってきた翌朝、出勤前に杏珠は何気なく姿見に映る自分を見つめる。


「じゃ、行ってくるね来愛」


 ずっと仲良しだった相手にそっと呼びかける。

 ずっと書いていた手紙は昨日の夜に一区切りをつけていた。何時までも内に引きこもってばかりではいけないと、祖母の葬儀の間に心を決めていた。

 はじめは世の中への恨みにあふれていた手紙はゆっくりと柔らかくなっていき、最近では良かったことばかり書き出す日記のようであった。

 そのまま続けても良かったのだが、今度こそは区切りをつけることにしていた。手紙の向こうの来愛も、すべき事を後押してくれているように思える。

 穏やかに家を出て仕事に行くが、お昼になって折角作った弁当を家に忘れてきた事に気付いた杏珠は、仕方なく仕事場近くの寂れた喫茶店に入る。しかし、その入口で杏珠は気絶しそうなほどに息を呑んだ。



 来愛は祖母と同じように喫茶店に住み込みで働かせてもらっていた。喫茶店は繁盛しているとは言い難かったが、顔馴染みの常連客の多い環境は未だ人に慣れない来愛には最適な環境だった。暖かい空気に囲まれながら、仕事にも慣れていく。

 すっかりお店の看板娘として定着した頃のこと。用事で出かけていった店主に店番を頼まれた来愛は、誰もいない店内でコーヒーを飲んで休憩していた。今日は常連が立ち寄ることも少ない日だと知っていたから、少しばかり休んでいても文句も言われない。

 そんなとき、不意に店の扉が開いて誰かが入ってきたのに驚いた彼女は慌てて「い、いらっしゃいませ……!」と振り返りながら立ち上がり、お客の顔を見て固まってしまう。

 自分そっくりの女性がそこに立っていた。相手も自分と同じように驚愕に顔が凍りついてしまっている。


「嘘……?」

「わたし……? それとも来愛……?」


 見知らぬ自分から名前を呼ばれた来愛は、気がついた時には相手に抱きついていた。

 あの写真は、嘘ではなかった。



 いきなり抱きつかれた杏珠は完全に混乱していたが、一つだけはっきりとすべき事を理解していた。


「落ちついて来愛。良くわからないけど……すごく嬉しい」

「……そう言えば、お名前は? まさかそこも私と一緒……?」

「そうならもっと良かったけど……ちょっと残念。私は杏珠っていうの」


 そう苦笑いすると、来愛に改めてコーヒーとトーストを注文して向かい合う。

 何から話したらいいか分からないが、彼女も同じ気持ちに違いない。それでも最初に口を開くのは自分だと杏珠が思ったその時、先を越されてしまう。


「写真のことは大丈夫よ。あの写真がなかったら、きっと私は杏珠と会えなかった……」

「ありがと、来愛。文字通りの……運命の悪戯ね」


 二人は一緒に笑い声を響かせあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Resonance 緋那真意 @firry

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ