第8話 月下三愚人再び

 時は亥の刻。川べりを一人の老人が、満月を愛でながら歩いている。


 ふと、視線を河原に落とすと腕組みをした鯔背いなせな男。立っているのは鼠小僧次郎吉。

「おう、次郎吉じゃねえか。ずいぶん待たせたなあ。でも、お前もこっちにくるのが早すぎるぜ」

「そうかもしれやせんが、あっしは何の未練も悔いもござんせん。すっきりと、こっちにきやしたぜ」

「そっか、おめえらしくていいな」


「それよりも、あっしは旦那にあやまんなきゃなんねえ」

「月華のことか? あいつはあいつで、遊郭で修行して芸事や教養なぞを身につけてな、そりゃあ立派な花魁おいらんになったぜ。月華太夫だ。どこぞの大店の若旦那が身請みうけするって言ってたな」 

「そうですかい。そいつはようござんした。あの小さな月華がなあ……」

 次郎吉と万字が同時に月を見た。


「わちきの噂でありんすか?」

 二人が声の方をふりむくと、そこには深紅の艶やかないでたちの花魁。


「え? まさかお前さん……月華かい?」

 花魁は、目を細めて笑顔で答える。

「あい。二十年前。ここであちきを助けていただき、ありがとうございました。あれから、あちきは幸せでありんした。大店の若旦那に見初みそめられましたが、流行りの熱病であっというまにこちらに……でありんす」


「そうかい。そいつは残念だったな。俺はあの絵を描いて以来、おめえの事が孫のように思えてなあ。心配してたんだぜ」

「あの浮世絵は、大事に持っております。わちきの宝物でありんす。あの日から今日までわちきは万字様の事を忘れたことはございませぬ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。今日は、三人が初めて出会った日と同じ満月だ。彼岸への旅行きには明りになってちょうどいいぜ」


「月の影は、旦那にはまだ春画のように見えますかい?」

 冗談めかして次郎吉が言う。

「いやあ、もう俺はすっかり老いぼれちまった。ありゃ月兎だ……。うん、いや花魁か? いや、月華だ。はじめて会った時の月華に見えるぜ」

 頭を掻きながら万字老人葛飾北斎。


「それでは、参りましょう」

 そう言って、花魁の月華は、右手で万字の腕を、左手で次郎吉の腕を取りゆっくりと宙に向かって足を踏み出す。


 三人は、月に向かってゆっくりと歩いて行った。



  完

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巷説 月下三愚人 赤葉 小緑 @AkabaKoroku

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