ラストカレッジ

四葉くらめ

ラストカレッジ

『それ』を自然現象と呼ぶにはあまりにも作為的で、誰がやったかは分からないにせよ、誰かが地球を攻撃してきているというのは、今となっては地球に住む全人類の共通認識だった。

 最初は地球の北の果て、すなわち北極点にいんせきが落ちた。隕石の大きさは直径約20㎞。北極は丸ごと炎の海となり、北欧やロシアにも間接的に被害が出た。

 これだけなら(当然おおごとではあるのだけど)まだ、起こりえないことではない。実際、地球の歴史をひもけばこのレベルの大きさの隕石というのも数億年に一度は落ちてきているらしい。

 問題は、隕石の接近をどの国も感知できなかったということである。

 各天文台の科学者たちは口を並べてこう言ったという。

いんせきは突如、地球の隣に現れた」と。

 不可思議は、これで終わらない。

 翌年の同日、また隕石がやってきた。北極点から千㎞ほど離れた地点、いや、この表現では誤解を招きかねないだろうか。正しく言うと〝円周上〟に隕石が現れた。そう、複数である。

 その正確な数はよく分かっていない。隕石の群れはまるでじゆうたん爆撃のように、隙間のないように、ある種芸術的に落ちてきた。

 ここまでされれば、たとえ陰謀論者でなかったとしてもこう思ってしまう。


 いんせきは落ちてきているんじゃない。

 落とされているのだ、と。


 そんな訳の分からない中でも、似たような現象が2度も起こればその二つの関係性を探ろうとする。差を計算する。微分する。未来を予測する。

 こうして分かったことは隕石の落下地点は正確に南に向かっていて、この予想が正しければ翌年は北緯72度上に落ちるだろうと言われていた。そして、実際その通りになった。

 違ったことと言えば、27度上にも隕石が落とされたことだろうか。

 当然、考えたくもないほどの犠牲が出た。

 そして、、4度目のその日がやってくる。人々は必死に安全な場所を探していた。


   ◇◆◇◆◇◆


明日あしたが最後の日かもしれないってときに、なんで大学なんて来てんの?」

 今年のいんせき落下まで残すところ今日一日となり、世間は当然慌ただしくなっている。テレビではコメンテーターやら評論家やらがやれ南極が一番安全だの、一度落ちたところには落ちる確率が低そうだのと、おのおのの持論を吐き出しては我先にとその安全地帯かもしれない場所に逃げ出している。とはいえ、この現象を起こしている宇宙人(かどうかも分かっていないが)はなんとなく性格が悪そうなので、そういうところにこそ喜んで隕石を落としてきそうである。まあそれこそなんの根拠もない持論でしかないわけだが。

 そんなときにあたふたするのもなにか違うような気がして、僕は休校となっている大学に理由もなく来ていた。がらんどうの構内。いつもは学生であふれている校舎や中庭にも今は人っ子一人いない。

 そう半ば決めつけて歩いていたら、予想に反して人がいて、しかもそれが見知った顔だったものだからつい話しかけてしまったのである。

 中庭から少し奥の方へ行ったところにある穴場のような場所のベンチ。彼女はそこに横になっていて、近づくまでまさか人がいるとは思わなかった。

 彼女は顔をこっちに向けると、軽く驚きの表情を浮かべて、慌てて自分の足下を見る。

 それにつられて僕の視線も彼女の足下へと向かう。一人だったからだろうか、その黒のタイツに包まれた脚は山なりになっていて、ミニスカートは少しめくれていた。なんとなく、黒に反して別の色が見えたような気がしないでもない。

 いそいそと脚をベンチから下ろして起き上がった彼女は、身体からだをぷるぷると震わせていた。おこりたいけど、自分が取っていた体勢にも非があるから怒れないといったところだろうか。

 そして、たっぷり10秒のを開けたあと、

「えっち……」

 と小さく抗議してきたのだった。



「で? みなと君はなにしてるの? 普通こういうときって家族とか恋人とかと過ごすと思うんだけど?」

『湊』というのは僕の名字だ。彼女――南条とは学部が一緒でいくつかの授業で一緒になり多少話したことがある。とはいえ、彼女との関係と言えばせいぜいその程度で、少なくともこんなときに会いたいと思うほど親密な間柄ではなかった。

 それなのに、こうしてベンチの隣を勧められて、最後の時を一緒に過ごしているというのはどうにも妙な気分だった。

「恋人とかいるように見える?」

「ごめん。傷つけるつもりはなかったの……」

「おい、そこで落ち込むな。傷ついてないよ。むしろそんな反応される方が傷つくんだけど?」

 てへ、と笑う。実際、彼女だって落ち込んだわけではないのだ。ただ、会話の押し引きを楽しんでいるだけ。

「でも家族は? いないの?」

 そして、それこそ危うくは地雷になりかねないことに関してはズバッと聞いてくるのだからなんともつかみづらい女の子だった。

「いるにはいるんだけどな。正直折り合いが悪くて、会いたくないんだよ。向こうは向こうでもう別の家庭があるしね」

「あー、そういうやつね」

 別にさほど珍しい話でもないのだと思う。父親は父親で家庭を捨てて出て行って、母親も別の男を作った。残された僕のところには運のいいことに金だけは残っていた。おかげで、バイトを頑張ればこうして大学にだって通えている。まあそれも明日で無意味になる可能性もあるわけだが。

「で、南条はなにしてるんだ? 普通こういうときって家族とか恋人とかと過ごすと思うんだけど?」

 さっきの南条の言葉をそっくりそのままお返しする。それが嫌だったのか、少しむくれた顔をする。

みなと君にはわたしが恋人作って大学生活をエンジョイしているように見えるんだ?」

「少なくとも、いつでも恋人を作れてエンジョイできるとは思っているな」

 僕のその言い方に皮肉を感じたのか、南条の顔が更に膨れる。まるで風船のようだった。

「そんなにほおを膨らませると不細工になるぞ」

「女子にそれはひどいと思うんだけど」

 ぷすーと息を吐き出す。でも、それがはしたないということもなく、普通にわいいのが南条のすごいところで、「いつでも恋人を作れる」と言ったのはなにもお世辞というわけではなかった。

 ただ、どうしてか南条は色恋沙汰に関わりたくないと思っているようで、男子とそういう雰囲気になるとかわしていた。その躱し方がやたらと自然で、きっと高校時代から――あるいはもっと前からこうして過ごしてきたのだろうなと感じさせる、そんな所作だった。

「わたし、『好き』って気持ちがよく分からないんだよねー」

「分かってるやつなんてそんなに多くないだろ」

 なにをもつて好きなのか。この気持ちは恋なのか。きっとそこまで考えていない。好きだから好きだし、勢いあまって告白したりする。あるいはよく分からないままに交際を初めてみる。で、結局合ったり、合わなかったりする。そこに『好き』ということへの理解はきっと必須じゃないのだ。

「恋人じゃないなら家族は? 南条も折りが悪いクチか?」

「あはは……」

 彼女は少し笑う。困ったように。それはどうにも演技に見えなかった。

「悪い人ではなかったんだけどねぇ」

「今では悪い人なのか?」

 過去形なのが気になってそう聞く。

「少なくともわたしにとっては、悪い人かなぁ。いけにえにしようとするし」

「は?」

 予想していなかった単語に思わず思考が停止する。

「ぷぷ、その顔、面白い」

 そんな僕の顔を指さして南条が笑う。でも、心の底から笑っているようには見えない。

「いやね、なーんか変な宗教に染まっちゃったらしくてさ、いんせきは神様の試練だー、とか。罰だったかな? ちょっと忘れちゃったんだけど、それでいけにえが必要って言われて、隕石が降り注ぐ前日――つまり今日のことなんだけど、今日の終わりにわたしをいけにえにささげるんだってさ」

「……君の母親は馬鹿なのか?」

「馬鹿かどうかは分からないけど、頭のネジは締まらなくなってるのかもね」

 到底信じられないことに思わず人の母親をののしるも、彼女はそれに怒りもしなければ、逆に母親に対して怒りの感情があるようにも見えなかった。

「今日はこのあとはどうするんだ?」

「うーん、そうだなぁ。夕方ぐらいまでは構内をぶらついて、そのあとは家に帰って晩ご飯を食べるんじゃない? 今日は目一杯、最後の大学を楽しむのです」

 少しおちゃらけた表情でこともなげに言う。

 まるで当たり前のように。それが彼女のルーティーンであるように――実際、もしいんせきのことがなければ、そうでなくとも彼女がいけにえになんてされなければ、それは彼女のルーティーンであったはず。だから間違いではないのだが、その普通の行動がむしろ気持ち悪いと思った。

「あはは、みなと君ってさ、いい人そうだよね」

「都合のいい人間になったつもりはないけどな」

「いやいや、本当の意味でいい人――善人って意味だよ。そうだなー、このあと『逃げないのか』とか言ってきそう」

「…………」

 たぶん……先に言われなければ言っていたと思う。

「でね、もしわたしが『逃げたい』って言ったら手伝ってくれそう」

 手伝うぐらいは……したかもしれない。

 どうせ今日は他にやることもないのだ。それなら手を引くぐらいはしたのかもしれない。

 そして、なんだかんだで、最後まで彼女を守ろうとしたかもしれない。

「まるで主人公みたいで、少し気持ち悪い」

 彼女が笑う。『気持ち悪い』という言葉もどうしてかネガティブな感情は伝わってこなくて、僕もつられて笑う。

「その笑い方は本当に気持ち悪いからめた方がいいよ」

「おい、真顔で言うな。傷つくんだけど?」

 軽くにらみつけながらそう言うと彼女はすぐにまた笑い出す。しまいには声を上げながら僕の肩をバシバシとたたいてきた。結構痛い。おいやめろって。

「あー、笑った笑った。うーん、そうだなぁ。まあ最後だし。出す……というか振り絞ってもいいのかなぁ……」

 ひとしきり笑うと南条がぶつくさと独り言をつぶやき始める。そうかと思えば、「よしっ」と気合いを入れると僕の顔をじっと見てきた。彼女の顔には緊張が入り交じっていて、僕にもその空気がでんする。

「その……おひとしなみなと君に、少しお願いがあるといいますか……」

「断る」

 なんとなく嫌な予感がして、思わずそう言ってしまった。

「断らないでよぉ。乙女のいついちだいのお願いごとなんですけど!」

『乙女の』とかいう修飾がされている時点でもう「そっち」方面確定である。それを貧乏くじというか、役得というかは当然その乙女が誰かによって変わってくるのだが、彼女の場合なんの問題もなく「役得」側に入ってくるのが余計にたちが悪い。

「キス、して欲しい」

「残念ながら僕は未経験者でな。それにそういうのはやっぱり好きな人とすべきだと思うぞ」

「大丈夫、わたしも初めてだから。わたしのファーストキス、みなと君にあげるから。それにわたしは誰かを好きになってる余裕とかないんだよ。だからぶっちゅーってえげつないの経験させてよ」

 キス未経験者がそんなはしたない擬音を使うんじゃない!

 そう言いたかったものの、める間もなく南条の唇が迫ってきて、ロマンチックでもなんでもないキスが飛び込んできた。

 当然、飛び込みなんてしたらどうなるか。歯と歯の激突である。

 その衝撃に驚いたのか、慌てて南条が唇を離す。

「……」

 南条がなにか言うのを待っていたが、顔を真っ赤にしてなにも言ってこないので、僕はため息をいて口を開ける。

「へたくそ」

「それはひどくない!? こっちは余裕がないんだよ! っていうかなんでそんな冷静なの!? やっぱり実は経験者か!?」

「南条が下手すぎて逆にこっちが落ち着いちゃったんだよ」

「また下手って言った!?」と南条が半泣きで言う。どうやら本当に一杯一杯らしい。もう少しからかいたかったが、泣き出されても困るのでこの辺りでめておいた方がよさそうだ。

 さて、僕もどうやるかはよく知らないんだけどな……。

「……っ!?」

 まだなにかわめいている南条の口を慎重に僕の口でふさぐ。今度は歯が当たることもなかった。

 すぐに唇を離す。息を吸い込んで、また塞ぐ。それを何度か繰り返すと、南条も慣れてきたのか、自分から僕の唇へと顔を近づけるようになる。

 その行為は恋人同士がやるもののはずなのに――僕らがやるのは不純であるはずなのに――不思議とけん感はなかった。

 そっと触れるだけだったキスが少しずつその時間を増していく。一瞬が一秒になり、一秒が数秒になる。もし、どちらかがもう一歩、へと踏み出してしまえば、すぐに相手を受け入れてしまう、そんな雰囲気があった。

 もしかしたら、その一歩を踏み出すための合図のようなものがほしかったのかもしれない。

「南条……」

 僕は彼女の名前を呼んだ。これに吐息混じりの声で「うん……」とかつぶやかれたら、きっと僕はその一歩を詰めていただろう。

 しかし、彼女が言った言葉は違うものだった。

「名前で呼んで……?」

 名前。名前……?

 当然、ここで言う名前とは『下の』名前なわけだが……。

 ……南条の下の名前ってなんだっけ?

 そもそも普段会話するような仲ではないのだ。年に数回、会話だって「おお」、「やっほ」ぐらい。

 当然、名前までは覚えていなかった。

 僕のその困惑の理由を悟ったのか、彼女は今日一番の笑い声を上げた。

「あはははは! そっかぁ、みなと君、わたしの名前覚えてなかったんだ! もう。そんななのにキスなんてして、やらしーなぁ」

 そう言って南条はスッと僕のそばから離れていく。離れたと言っても手を伸ばせばすぐに届く距離だ。避けられたわけでもなければ、遠くなったわけでもない。いつもの僕らの距離に戻っただけ。それなのに、それを寂しく感じたのは、僕が南条ともっとキスをしたいと思っていたということなのだろうか。

 名前も知らないくせに?

「ああもう、そんな悲しそうな顔しないでよ。普通のキスも十分楽しかったし、その……気持ちよかったよ? っていうか普通にくてびっくりした」

「そりゃよかったよ。悪かったな雰囲気壊して」

 例え彼女がいいと言っても、悪いのは明らかに僕の方なので謝っておく。

「まあねー。好きでもない人の名前って中々覚えられないものだから。でも、これで悔いは無くなったかなー」

 そう言って再度顔を近づけたかと思うと、南条は唇を触れさせてすぐに離れる。

 その長さは当然、数秒でもなく、一秒でもなく、一瞬だった。恋人同士でもない二人がキスをするのだ。せいぜいこんなものだろう。

「それじゃあ、ありがとね。みなとゆう〟君」

 そう言って小走りで駆けていく。

 最後に見せた笑みが「わたしは覚えていたけどね?」と言っているようで、それが少し憎たらしくて、それなのにわいくて、これだから美人というのはたちが悪いのだ。


 危うく好きになってしまいそうだから。


 でもまずは――。

「次に会ったときは名前を訊かなくちゃな」

 彼女とまた再開できるか、それは分からない。恐らくできないだろう。

 彼女だけじゃない。僕だって明日以降、まだ生きているか分からない。もしかしたら、ここにいんせきが落ちてきて、死んでしまうかもしれない。

 それでも、南条の名前を覚えたいと思うこの感情だけは、確かに今、僕の中にあった。


   〈了〉

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ラストカレッジ 四葉くらめ @kurame_yotsuba

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