第20話 虎狩2(曹操軍)
日は完全に暮れて月が顔を出す時間になった。水を満たした杯を傾けると体に心地よく染み渡る。体の細部に残っていた余熱を打ち消しているようで心からの快感を示す吐息を盛大に吐き出した。
「ただの水がここまで美味と感じるのは生まれて初めてですよ」
しみじみと杯を揺らしながら李典は表面を眺めている。張遼の側からは見えないがきっと杯には月が写されているはずだ。
「酒でないことが少し残念ですな」
一回だけ杯を揺らすと張遼は残っていた水を一気に飲んで肉の燻製を一噛みした。噛めば噛むほどに滲み出る油の味も信じられないほどに美味だ。
「酒も十分に確保してありますよ。勿論、鄴から取り寄せた特上ものです」
「そんなものをどうして?」
「たまには息抜きもしないといけないでしょう?まさか、女をこんなところに招くわけにはいきませんからね」
軽口を叩くと李典は燻製の肉に手を伸ばすとしばらく咀嚼してから飲み込んだ。
「それに酒なら皆で同じ快感を味わうことができる。折角こうして絆を深めることができているわけですからより結びつきを強く、それこそ孫権らが二度とこの場所に近づいて来ようと思わないほどに強固にするのが得策だと思いますがね」
少し高い声で得意満面に笑う李典の姿に張遼は少なからず驚きを覚えた。神経質で生真面目な面しか知らなかったからこんな気さくな一面を有していることへの衝撃は大きかった。歩み寄る機会はちゃんとあっただろうと胸の内に後悔が芽生えた。
「どうしました?まるで瑞獣でも目にしたような顔をしていますよ?」
「いえ、普段以上に饒舌だったので」
ごまかしても意味はないだろうと張遼は芽生えた感情を素直に吐き出した。どんな返事が返ってくるだろうと張遼は身構えるも返ってきた李典の言葉は何ともあっけらかんとしたものだった。
「元々よく喋りますよ。仕事をするうえで最も効率よく成果を上げようとするなら連携をとることが何よりも不可欠ですからね」
饒舌さとは裏腹に月明かりに照らされる顔は休む間もない義務の激しさを物語っている。何処となく顔色が悪く見えるのは気のせいではないかと思えた。
「李典殿。あまりお顔の色が優れないようですが?」
「お互い様でしょう。言う張遼殿も一睡もせずにいたときの顔にそっくりですよ」
声音はそのままに話題を逸らされたと張遼は感じた。これ以上の追及をしても李典は絶対に認めはしないだろう。ならば、これ以上は問うまいと蓋をした。
遼来~猛虎食む青嵐~ 焔コブラ @Bramble
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