誰がツグミを殺したか(下)

「一応言っておきますけど、システム停止の前にも後にも、このフロアでコツグミの声は聞いていないですよ」

 鳥飼の思考を見透かすように、ぶすくれた相羽は己の耳のあたりを指で軽く叩いた。

 日本国民である以上、警視庁に勤める彼らにも当然、コツグミの装着義務がある。警告を受けるような不審な動きは誰もしていない、と、相羽は念を押しているのだ。それは例えば、システム停止を企て、フロアに侵入した不届き者がいたとしても同じこと。

「分かってるよ。一応言っておくが、俺の小鳥ちゃんも静かにしてたぞ」

 鳥飼もまた、わさわさとした髪に埋もれる機械を指差して冗談めかした。相羽をはじめ、部下たちが声を上げずに少しだけ笑う。

 機能停止が人為的なものだと仮定して、何者かによるツグミへの干渉と、システム停止の時系列が逆転することはあり得ない。現時点でツグミが動いていなくとも、システム停止直前にコツグミが警告を発しなかった以上、この部屋の中に犯人はいないという論理が成立する。

「中に原因が無いなら、外ってことになるな。海外か?」

 鳥飼が言及したのはサイバー攻撃の可能性である。国内ネットワークはツグミの縄張りであり、少しでも不審な真似をすれば忽ち告発対象となる。とは言え、堅固なツグミの監視体制も外国にまでは及ばず、海の向こうで働かれる悪事については手の出しようが無いのが実情だった。だが。

「それらしい痕跡は無いですね。そもそも、ツグミが侵入を許すはずがありませんよ」

 まるで常識を語るように、風岡がきっぱりと断言した。

 制度適用が日本国内に限られる分、ツグミの国外に対する警戒心は極端に高い。海外からのアクセスに対するセキュリティレベルは「鎖国」と揶揄されるほど排斥的である。ウイルスや海外ドメインが付け入る隙など無いことは、開発チームの一員だった鳥飼が誰よりもよく知っていた。「だよなぁ」と、鳥飼は先と同じ言い回しで賛同するしかない。

 ツグミの防御体制は鉄壁だ。国民の行動に対しても、ツグミ自身に対しても、悪意の介入を潔癖なまでに許さない。だからこそ、その防壁を破ってツグミを抹殺する手段が、鳥飼にはどうしても思いつかなかった。

 眉間に皺を寄せ、再びディスプレイと睨めっこをしながら、鳥の巣頭を掻きむしる。

「とにかく、原因を突き止めないことには復旧作業もままならん。騒ぎになる前に事を収めなけりゃ」

「え、上には報告しないんですか?」

 相羽の呑気な発言に、鳥飼はがくりと項垂れて苦々しく唇を歪めた。

「阿呆、しないわけにいくか。このあとすぐに一報入れる。ただ、『騒ぎ』ってのは庁内レベルの話じゃなく――」

「鳥飼さん」

 不意に鳥飼の言葉を遮ったのは、システム技術室最年少の若手男性職員、飛田とびたである。

 目を瞬かせた鳥飼と相羽、風岡が揃って首を回すと、三人の視線の先で青年が一心不乱に操作しているのは、一台のスマートフォンだった。

 指の動きを止め、スマホを鳥飼の眼前に突き出しながら、飛田は震える声で告げる。

「まずいです……!」

 液晶に表示されているのは、国内最大手の短文投稿SNSの、パブリック投稿のタイムライン。

 その上を凄まじい速度で流れていくのは、深夜にも関わらず活動しているらしいユーザーたちによる、膨大な数のメッセージだった。


『信号無視しそうになったんだけどコツグミ鳴かなかった なんで?』

『海外違法サイト閲覧できるっぽい どうしたツグミ』

『誹謗コメ発見 放置とかありえないだろ ツグミ仕事しろ』


 鳥飼は目を見開く。

 内容や表現こそ十人十色だが、その主旨は概ね同じ。偶然に、あるいは故意に、犯罪の片鱗に触れた人々が気付いてしまったのだ。

 ツグミが正常に稼働していないことに。

 現状はまだ、お偉方に伝えていない。例え報告したところで箝口令が敷かれるのは明らかで、記者発表は限界ぎりぎりまで先延ばしされるだろう。だが、文字どおり肌身離さずコツグミを連れ歩いている国民全員に、異常を気取らせないままでいることなど不可能だ。

 これこそ鳥飼が恐れていた「騒ぎ」の、それもほんの序の口に過ぎない。当惑と不安、そして好奇心をありのまま露出させた文字列が、鳥飼の視界で次から次へと現れては消えていく。

 こうなればもう、誰にも止められない。メッセージは爆発的に拡散され、真夜中の日本を侵食していく。その様相を、少しずつ変化させながら。


『ツグミ止まってるらしい 犯罪起きたらどうなるんだろう』

『もしかして、今なら悪いことしてもバレない?』

『コツグミ外しても警告されない! 自由だ! やりたい放題だ!』

『コンビニで商品パクってみた バレてなさそう ツグミ役立たず確定』

『ツグミ動いてないらしいから、ちょっとムカつく上司殺してくるわ』


 悪質なメッセージ群の内容は瞬く間にエスカレートし、正視に耐えなくなってきた。信憑性は薄いが、事実、それだけで一発告発対象になり得る悪辣な誹謗中傷も大量に出回っている。自慢げに暴露される悪事や犯罪予告の全てが低劣な冗談だとは思えなかった。

 ただ、こんな投稿をするような人種は幼稚な愚物であり、さしたる脅威ではない。真に恐るべきは、犯行表明などせずに密かに犯罪に及ぶ輩の存在である。SNSにはびこる低俗な人間が犯罪予備軍の氷山の一角だとするならば、暗い海面の下には一体どれだけの悪意が潜んでいることだろう。

 一年間に渡り抑圧されていた人々の、溜まりに溜まった不満が、鬱憤が、憎悪が、ツグミの停止を契機にして、世の中へ一気に溢れ出そうとしていた。

 それぞれにスマホやPCでSNSを閲覧し、唖然とする鳥飼たちの頬を叩くように、フロアの固定電話がけたたましく鳴り響く。ようやく異変を察知した上層部からのものだろう。ツグミ導入以降は激減した一一○番通報が、今しも通信センターをパンクさせていることも容易に想像がついた。

 収まらない呼び出し音が、ネット上に溢れる国民の声が、一斉に鳥飼を責め立てる。「ツグミは何をしている」と。

「早くどうにかしないと」

「鳥飼さん、どうしましょう」

 相羽が、飛田が、狼狽しきって鳥飼の指示を仰ぐ。モジュラーケーブルを乱暴に引き抜いて電話を黙らせると、鳥飼は椅子に座る時間すら惜しんでシステム管理用PCに齧り付いた。だが、キーボードをどれだけ叩いたところで、事態収拾の糸口は見つからない。

 いっそ機械本体をバールで殴りつけてやれば、鳥飼を器物損壊罪や動物殺傷罪で告発するために起動するのではないか。焦る鳥飼の頭に、そんな荒唐無稽な発想すら浮かんだ――その時。


 鋭い鳥の声が響き渡った。


 出し抜けだった。ピピピピ、と、ビィビィ、が入り混じる、耳をつんざくような激しい音の嵐がフロア中に吹き荒れ、狂ったように鳴り止まない。一斉に悲鳴を上げ、部下たちが反射的に己の耳を塞ぐ中、鳥飼は見た。

 真正面、鳥飼の視界を埋め尽くす巨大なモニター。その中央に浮かび上がる、今の今まで暗黒に沈んでいた日本地図が、禍々しい赤色でじわじわと染め上げられていく。その正体は、各地における警告と告発の発生状況を示す光の点滅である。

 画面隅に表示された累計グラフは忽ち長く伸び上がって、その先端に現れるカウンターの数字も目にも留まらぬ速度で大きくなっていく。

 地図の周囲に散りばめられた監視カメラ映像の中では、今まさに何某かの悪事を働こうとしていたと思しき警告・告発対象者たちが、驚愕と恐怖で凍り付いていた。

 木霊する警告音は、この部屋の中で発されたものではない。カメラを介した向こう側で鳴り響く音が、スピーカー越しにここまで伝わってきているのだ。 

 咄嗟に、鳥飼はモニターに表示された現在時刻を確認する。午前二時零分二十四秒。原因不明のシステムダウンから、きっかり二時間。

 ツグミが生き返ったのだ。

 動くことも、声を発することも、瞬きすらできないまま、鳥飼たちはモニターを眺めて呆然と立ち尽くす。

 日本地図は目に痛いほどの赤い光で爛々と輝き、映像の中では告発対象となった人々が硬直し、あるいは泣き叫び、あるいは怒り狂っている。『嘘だろ』『なんで』『今のは違う、ただの冗談で』『クソが、ふざけんな!』――悲嘆と釈明と罵声に紛れ、誰かが漏らした一言が、鳥飼の耳朶に突き刺さる。


『騙された――!』


 瞬間、鳥飼の体を戦慄が走り抜けた。

 キーボードから離した右手をゆっくりと持ち上げ、鳥の巣頭に住み着く小さな機械に恐々と触れる。


 ――死んだフリをしていたのか。


 自ら機能を全面停止し、監視機能が働いていないことを、国民にわざと気付かせた。

 制度に不満を抱きながらも、「ツグミが見ているから」と渋々善良を演じていた、だが、確実に存在する「悪人」をあぶり出すために。


 騙し討ちからの一斉告発によって、全国民の見せしめとするために。


 そんな機能があることなど、鳥飼は知らない。設定していない。ツグミが自ら考え出し、そして実行したのだ。

 どうしてこうなった、と、鳥飼は自問する。

 ツグミは何を思ったのだろう。

 どれだけ鳴いて警告しても、人の心から悪意が無くなることのない現実を憂い、一計を案じたのだろうか。

 それとも、犯罪の激減によって力を持て余し、暇つぶしのために一芝居売ったのだろうか。




 鳥飼のよく知るツグミは死んだ。

 目に見える悪だけを恐れて鳴いていた、あの臆病で純粋な小鳥を殺したのは、誰だ?






 Fin.

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誰がツグミを殺したか 秋待諷月 @akimachi_f

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