誰がツグミを殺したか(中)

 呼び出しを受けた鳥飼とりかいかけるが職場に駆けつけた時、時刻は午前一時半を回ったところだった。

 東京都霞が関に立地する警察庁庁舎は不夜城だ。全館に煌々と灯る照明が寝ぼけ眼に眩しい。トレードマークである鳥の巣頭をゆさゆさと揺らしながら、行き交う職員や警備ロボットの間を縫うようにして通路を走り抜け、専用エレベーターで地下階へ潜る。

 二重ロックがかかった扉を開けた先にあるのは、サーバー群が整然と立ち並ぶ広大な空間。この一階層の丸ごとが、鳥飼が所属する課の占有フロアだった。

 サイバー警察局・情報技術統制課、犯罪監視システム技術室。かつては別々の部署が管理していた警察情報通信を一手に担う、ツグミシステム管理専門部署である。

 システムエンジニアにしてマン・マシン・インターフェースの専門家である鳥飼は三十九歳。ツグミ開発プロジェクトの立ち上げ段階から尽力・貢献した功績を買われ、若くして室長の大役を任ぜられている。

 とは言え、ツグミの運用が軌道に乗り、メンテナンスすらもツグミ自らが完璧にこなす現在、技術者として鳥飼が行わなければならない仕事は無いに等しい。

 ――今日のようなトラブルが発生しない限りは。

 フロアはひっそりと静まりかえっていた。深夜のために当直の職員しかいないとは言え、緊急事態の最中である。騒然とした現場を想像していた鳥飼は、怪訝に思いながら人の気配がする場所へと向かう。

 床面積の八割以上を機器類に占拠されたフロアの片隅、サーバーの密林を抜けた先の一角が、職員が働くオフィススペース兼オペレーションセンターである。

 足を踏み入れて最初に目につくのは、壁に設置された横幅七メートルに達する大型液晶モニター。その真正面に位置するセンターテーブルに、今夜の当直に当たってしまった不運な部下が集結していた。

 総員は三名。全員が入り口側に背を向け、モニターを睨んで沈黙している。巨大な画面を一目見るなり、鳥飼は沈痛な静けさの理由を自ずと察する。

 モニターもまた、沈黙していた。

 通常であれば、いや、現在も、映し出されているのは全国におけるツグミの稼働状況だ。中央には黒色を背景にした日本地図が大きく表示され、各エリアにおける警告と告発の発生状況を、あたかも地域気象観測システムアメダスのごとくに色分けして示す仕組みである。周囲に散りばめられた小さなウィンドウには、ピックアップされた監視カメラ映像と、過去二十四時間の警告・告発累計数を示すエリア別のグラフが浮かび上がっている。

 厳めしく掲げられてはいるものの、これらの情報を全国規模で目視することにさほど意味は無い。ツグミから管理者に向けて上げられる随時報告のようなものであり、交通課のホワイトボードに記される「今日の交通事故発生件数」と同類と捉えていい。

 だがそれでも、現在のモニターから読み取れることは、看過できない明らかな異常事態。

 薄緑色に発光する輪郭線で描かれた日本は、真夜中の黒い海に沈んでいる。カメラ映像のウィンドウは全て暗転し、累計グラフの値はどれだけ待っても増える気配が無い。日付が今日に変わって以降の警告・告発件数はゼロだ。

 ここから考えられる可能性は二つ。一つ、現在国内において、ツグミによる警告も告発も一切行われていない――つまり、犯罪も犯罪未遂も発生していないケース。そしてもう一つが、ツグミになんらかの不具合が生じているケースである。

 前者はまずあり得ないと考えていい。いくら犯罪数が激減したとは言え、根絶には程遠い。ましてこのモニターは、犯罪未遂である「警告」の発生状況も反映させており、たった十秒間だろうと地図から色が消えるはずがない。

 となれば、残された可能性は一つ。

「何が起きた?」

 つかつかとセンターテーブルへ歩み寄っていく鳥飼の声に、三人が一斉に振り返る。現場責任者の登場に少しだけ安堵したようだったが、表情は一様に険しく、ひどく困惑している。喪に服しているかのような真っ黒なモニターを前に、為す術も無いといった様子だった。

 いずれも鳥飼にとっては優秀な部下であり、信頼に足る同僚だ。何もせずに呆けていたと思えない。考えつく限りの対処は試したあとだと推測された。相羽あいばという名の小柄な男性職員が、眉をハの字にして頭を振る。

「分かりません。零時ちょうどに突然この状態になって、それっきりです」

「電気系統は非常電源も含め異常無し。通信状態もオールクリア。モニターもサーバーも正常に稼働しています」

 システム監視用PCのメインディスプレイを示しながら、肝の据わった女性職員・風岡かざおかが淀みなく報告する。

 鳥飼はPC前に割り込み、管理画面を同時に複数立ち上げて素早く目を走らせるが、確かに、これといった異常項目は見当たらない。エラーメッセージ一つ表示されない画面を凝視し、鳥飼は「ふむ?」と唸りながら大きく首を傾げた。

 例えば停電や故障などハード面のトラブルであれば話は早いが、機械そのものは正常に働いている。すると原因はシステム上の不具合や欠陥、もしくは、ヒューマンエラーや作為的操作と考えられる。

「誰も何もしていないんだな?」

「誰が何をするって言うんですか」

「だよなぁ」

 呆れたように脱力する相羽に、鳥飼は緩い口調で同意した。大慌てで鳥飼を呼び出した以上、部下たちが結託して操作ミスを隠蔽することは無いだろうし、故意にシステムを停止させる理由も思いつかない。

 モニターは相変わらず、不気味な沈黙を貫いている。唇を突き出して黒い日本地図を睨んでいた鳥飼は、ふと、スーツの胸ポケットに挿してあったボールペンを取り出すと、相羽に視線を合わせて手招きした。目を瞬かせ、首を傾げながらも、二つ年下の馬鹿真面目な部下は疑う様子も無く歩み寄ってくる。

 その素直さに内心で苦笑しながら、鳥飼は右手に握ったボールペンを振り上げると、相羽の無防備な首筋目掛けて勢いよく突き下ろした。

「うわあっ?」

 悲鳴を上げた相羽の首にペン先が達する寸前、鳥飼はぴたりと動きを止める。

 そのまま数秒の間が空いた。顔を引きつらせてゆっくり後ずさる相羽と、何事かと目を剥く他の部下たちの視線もどこ吹く風、鳥飼が意識を向けるのは己の右耳に留まる機械である。

 今しがたの傷害未遂を目の当たりにして、コツグミは一声たりとも発しなかった。

 その事実を確認すると、鳥飼はペンをポケットに戻しつつ、相羽にへらりと人懐こい笑顔を向ける。

「悪い、悪い。驚かせたな」

「全くですよ、勘弁してください。実験するにしても、先に教えてくれればいいのに」

「それじゃ実験にならないだろ」

 悪びれない鳥飼に、相羽は非難がましい目つきで「それはそうですけど」と口を尖らせた。

 実験自体の善し悪しはともかく、これで一つはっきりした。ツグミの機能は死んでいる。故障でなければ、誰かが殺したのだ。


 だが、一体誰が、どうやって?

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