誰がツグミを殺したか

秋待諷月

誰がツグミを殺したか(上)

 西暦二○三○年某月某日零時零分零秒。ツグミが死んだ。

 スズメ目ヒタキ科の鳥のことではない。まして人名でもない。日本が誇る犯罪監視セキュリティネットワークシステム、通称「ツグミ」が、突如として原因不明の機能停止に陥ったのだ。


     *


 ツグミの運用が本格的に始まったのは、今からちょうど一年前。年々増加、かつ、巧妙化の一途を辿る犯罪の撲滅を掲げた、国の隠し球にして切り札だった。

 最先端AIによる徹底した「監視」と「警告」、そして「告発」。これがシステムの持てる機能の全てだ。

 全国の監視カメラをネットワークで結び、得られた映像および音情報からAIが自動的に犯罪行為を検出する。これだけ聞いたところで目新しさは無いだろう。だが、国内における監視カメラの設置台数がゆうに三千万台を越え、カメラ自体の性能も飛躍的に向上した現在、公共の場に死角など存在しない。ツグミの優れた解析機能は、例え得られた情報がどれだけ些少であっても、独自に保有する膨大なデータと照合して容易く個人を特定する。窃盗犯・粗暴犯・風俗犯、道路交通法違反に軽犯罪法違反。傍目にそうと分かる類の犯罪を隠し通すことなど、今の日本ではもはや不可能と言っていい。

 加えて、ツグミはインターネットを介してやりとりされる情報の全てを、細大漏らさず検閲する。ネット詐欺や違法商品販売、サイバー犯罪は勿論のこと、不審な金の流れや脱税、誹謗中傷や名誉毀損も一切見落とさない。隠れる場所の無いネット上での悪事など、公然犯罪同然だった。

 そして、システム最大の特徴にして、導入時に巨大な波紋を呼ぶ原因となったのが、個人ごとに装着が義務づけられた超小型監視カメラである。

 日本国内に居住する人間は、就学年齢に達すると同時に専用機器――通称「コツグミ」を貸与されるようになった。機器は耳に装着するワイヤレスイヤホンに似たカメラと、手首に嵌めるバンド型の生理反応記録装置ポリグラフの二種一対。うち前者は勾玉のような、やや丸みを帯びた流線型を象っている。どこか小鳥に似たその形こそ、「ツグミ」という名の所以の一つだった。

 コツグミは常にツグミ本体とワイヤレス接続され、就寝・入浴中も含めた二十四時間の常時装着・作動が義務化されている。これを破れば即座に監視強化対象、ひいては告発対象となり、カメラの視界やマイクを塞ぐことなど言語道断。予備機も併せて貸与されるため、「充電が切れた」「故障した」などの弁解も通用しない。装着義務は国内滞在中の外国人にも課され、応じなければ入国審査で追い返される。

 つまり、満六歳以上の人間は、コツグミを装着しない限り日本での生活が認められないということだ。

 コツグミは装着者の視点で本人の動向を監視し、映像・音・生理反応を記録し続ける。記録情報はリアルタイムでツグミに送信・解析され、行動や発言が犯罪と見なされれば告発される。生体反応との照合により、意図的か過失か等の斟酌はなされるものの、一度告発された被疑者が無罪放免となる確率はゼロに近い。

 この制度が周知された際の国民の反発は凄まじかった。ツグミにプライバシーの概念など無いに等しい。いくら「国民・社会の安寧のため」を強調されようと、明らかな人権侵害や言論統制が易々と受け入れられるはずがない。

 だが、政府はこれを封殺した。ツグミが入手した情報は、あくまで犯罪監視のためだけに利用され、何事も無ければサーバーから順次削除されていく。記録情報はツグミ――つまり、AIだけが閲覧・解析するのであって、「他人」の目に触れることは無い。よってプライバシーの侵害には該当しない、というのが主張である。

 ただし、監視の結果、犯罪行為が認められた場合についてはその限りではない。告発対象となった者は、犯行時に限らないプライバシーの全てを、「生身の人間」である捜査員により隅々まで閲覧されることになる。

 ツグミは最強の抑止力だ。

 個人のプライバシーを言わば人質に、「他人に見られたくなければ罪を犯すな」と脅かす。ただ装着するだけでも、コツグミは犯罪抑制に絶大な効果をもたらした。

 加えて、ツグミには「警告」の機能が備わっている。これは告発に至る前、犯罪未遂の時点で働くセーフティシステムである。

 例えば、店頭で会計前の商品を鞄の中へ忍ばせようとしているとき。自動車の運転中、交差点に差し掛かり、黄色信号に焦ってアクセルを踏み込もうとした瞬間。あるいは、SNSに他人への誹謗コメントを投稿する寸前。装着者が犯罪に手を染めようとする、その間際に、コツグミは警告音を鳴り響かせる。

 最初は「ピピピピ」と、控えめに可愛らしい音で。その時点で未然犯罪行為が中断されない場合、今度は「ビィビィ」と甲高く。

 その声は、コツグミから得た情報をリアルタイム解析したツグミからの、「あなたがやろうとしていることを実行すれば告発対象となります」という最終通告だった。


     *


 鳥の「つぐみ」には、警戒心の強さゆえに、絶えず周囲を見回す習性がある。それこそ、システムが「ツグミ」と名付けられた二つ目の所以。

 鶫は、非繁殖期である秋の終わり頃に日本へ渡来する冬鳥だ。よって国内において、この鳥がさえずる姿を見ることは希である。それゆえ、口を噤む鳥――「つぐみ」と呼ばれるようになったのだと、一説には言われている。

 国民の誰一人として犯罪の素振りすら見せず、ツグミは永遠に口を噤み続ける。

 いつかそんな世界が実現することを、あるいは、名付け親である開発者たちは夢見たのかもしれない。


     *


 ツグミの導入効果は覿面だった。

 導入後一年間における刑法犯罪の検挙率は九十九パーセントを上回る。これだけでも信じがたい数字だが、さらに驚くべきは、犯罪発生件数が導入前の千分の一以下にまで激減したことだ。

 システム本格稼働後の約一ヶ月間、ニュースはありとあらゆる事件の逮捕報道で溢れかえった。この頃の犯罪発生数は従前と同程度。つまり、これまでは露見しなかったような犯罪ですら、ツグミの導入によって取りこぼされなくなったことを示している。

 国民がツグミの力を思い知らされたのはこの時だ。そして同時に、何か良からぬことに手を出そうとするたびコツグミから警告を受け、「自身が告発される」ことを強く意識させられた時期でもある。

 告発を望む国民は希だ。一度逮捕されようものならば、その後の人生には大きな暗い影が落ちる。それでも人を犯罪に走らせるのは、「これくらいならバレないだろう」「自分は捕まらないだろう」という悪魔の囁きである。しかし、ツグミの囀りはその囁きを掻き消し、毅然として悪魔を追い払う。「バレていますよ」「あなたは捕まりますよ」と。

 無論、いくらツグミと言えど、犯罪発生件数をゼロにすることは不可能だ。例えば過失によるものは、コツグミの監視により部分的に予測・警告可能とは言え、完全には防ぎきれない。ツグミの警告を受けてから犯罪実行に至るまでに、己の行動に対する急ブレーキや急ハンドル、改心・クールダウンの時間的余裕が無いケースもある。逮捕されても構わないという覚悟でなされるものや、窃盗症クレプトマニアのような本人意思だけでは欲求を抑えきれないものなど、ツグミの声が届かない人々も少なくはない。

 それでも、ツグミの活躍により犯罪の絶対数が著しく減少したことは紛れもない事実。

 古き時代の人々は、「お天道様が見ている」と自他を戒めた。現代日本においては、「ツグミが見ている」から、人は悪事を働かないのだ。

 犯罪報道は導入直後のピークを境として急速に沈静化し、今日では滅多に目にすることが無くなった。国民からあれほど猛反発があったコツグミの常時監視も、いざ始まってしまえば慣れるもので、制度廃止を訴える声も静かなものだ。警察は犯罪対応業務が激減し、国会では組織縮小に向けた議論も始まっている。


 ツグミの機能停止は、その矢先のことだった。

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