第五話:新たな生活


 そこはこのエデンでも上流階級の者だけがまう場所だった。



 下町のようなドヤ街と違い、道は整然としていてゴミ一つ落ちていない。

 道行く人々も清潔感が漂い、さわやかな感じさえする。


 よどんだ娼館にいたエストにはムービーの中でしか見た事が無いような風景が広がっていた。



「あの、この度は私を買っていただきありがとうございます……」


「いや、それはいいんだ。そう言えば君は今年いくつになる?」


「十八になります……」


 エストは貧民街の孤児院で育った。

 生みの親など知らない。

 しかしそこは貧しいながらもエストにとっては幸せな場所だった。

 

 シスターが倒れるまでは。



「そうか、同じか……」


 彼はそう言って窓の外を見る。

 そこには笑顔の談笑だんしょうするカップルが歩いていた。


「あの、ご主人様のお名前は……」


「ラゴ、と呼んでくれ」


「ラゴ様ですね? 分かりました、ラゴ様」


 エストはそう言って頭を下げる。


 これからはこの青年が私の身体を味わうのだ。

 ずっと。


 しかし考えてみれば気が楽だ。

 今後は相手するのがこの人一人ひとひとりで済むのだ。


 この体が飽きられるまで……


 エストはそう思い、同じく窓の外を見る。

 そこはやはり自分がムービーでしか見た事の無い世界が広がるだけだった。



 ◇ ◇ ◇



 一か月が過ぎた。


 しかしラゴはエストに指一本触れていない。

 それなのに着いた屋敷ではエストはまるで主と同じような扱いをされていた。




「あの、ラゴ様、今晩は?」


「ここの生活には慣れたか?」


「はい、私のような者にはもったいないほどの生活を送らせていただいております……」



 この一か月、エストは礼儀作法やその立ち回りを教育され、まさしく上流階級の息女のようにあつかわれていた。

 しかし何時身体を求められるか、その時に粗相そそうが無いように身体だけはみがいていた。



 そして今晩初めてラゴの部屋に呼ばれた。



 多分、今まで教育を受けたのは安娼館で習って来た仕草や態度では満足できず、自分好みのふるまいをさせる為だろう。

 男は皆、自分の好む理想の女を欲する。

 それはベッドの上でも。


 だからエストは今まで学んだことを思い出し、ラゴに満足してもらおうとした。



「こちらに来てくれ……」


 ラゴがそう言ってエストを手招きする。

 いよいよ彼に抱かれる。


 そう覚悟を決めてエストはラゴのもとへ行く。



「君にはこれから私のささえになってもらいたい……」


「はい、勿論もちろんでございます、ラゴ様」



 エストはラゴの前に行きそう言うと座ったままの彼はエストに抱き着いて来た。

 ちょうどお腹の所にラゴの頭がある。

 

 少し驚いたが、エストはラゴの頭を優しく撫でながら言う。



「ラゴ様、ラゴ様のお望みのままに……」


「ありがとう、しばらくこのままでいてくれ……」



 そう言ってラゴは目をつぶったまましばらくそうしている。

 エストは何故か彼が小さく見えた。

 そして言われた通り優しく彼の頭を撫でる。



「……さん」


「はい?」



 ラゴはエストに聞き取りにくい言葉を放つもそれ以上の事はしなかった。

 そしてしばらくするとエストから離れ、にこやかな表情で言う。



「ありがとう、もう夜も遅い。部屋に戻って休むがいい」


「え? あ、あの、よろしいのですか? 私は何時でも良いのですよ??」


「君にはこうして時たま私を甘やかせてほしい…… あの人と同じように……」



 そう言って彼が見つめる先を見ると、そこには大きな肖像画があった。

 今まで薄暗い部屋だったので気付かなかったが、そこに描かれているのはエストと瓜二つ。

 にこやかに微笑ほほえむ紫がかった黒髪の少女が描かれていた。



「こ、これは……」


「私の大切な人だった……」



 そう言ってラゴはエストに再び部屋に戻るように言う。


 エストはそれに素直にしたがった。

 そしてなぜ自分が彼に買われたかを理解した。



「私は……ラゴ様の大切な人の身代わり…… でも……」



 部屋を出る時にラゴがその肖像画を見つめる姿を見て、なんてさびしそうな人なんだと思ってしまった。


 エストは思う。

 娼館と言うあの最低な場所から救ってくれたラゴ誠心誠意せいしんせいい仕えようと。




 それがエストに出来る唯一の恩返しだったから……

 

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