❁ 白雪の完全犯罪 ――白雪姫

【作戦コード:アップル・ジェリー】


 昔々あるところに、たいそう美しいお姫様がいらっしゃいました。

 肌が雪のように白いので、白雪と呼ばれておりました。


 姫は決して幸福ではありませんでした。お母様を早いうちに亡くし、とうとう父王もたおれてしまいましたので、今の後見人はその後妻である女王様です。この継母は血の繋がらぬ白雪を疎ましがっておりました。


 さて、女王には魔術の心得がありました。ともすれば先王の心を掴むのにも少し何かの術を用いたかもしれませんが、それは今語っても詮無きことです。

 魔女の妃の嫁入り道具には、壁掛けの大鏡がありましたが、その中には悪魔が棲んでおりました。


「鏡の中の正直者よ。この世で最も美しい女は誰ぞ?」

『それはもちろん女王様、貴女をおいて他におりますまい』

「よろしい」

『ですがご忠告を。あの白雪は、いずれ貴女よりも美しくなられます』

「――なんですって?」


 女王の本当のご年齢はわかりませんが、とにかくお美しい方ではありました。けれどその心はどんなヘドロよりも汚く濁っておりましたので、白雪がいずれ自分を越えるという宣告を、到底受け入れることなどできません。

 魔女は迷いなく思いました。――あの娘、今のうちに殺してしまわねばなるまい。


 女王は狩人に命じて、白雪姫を森へ連れていかせました。誰の眼にもつかない茂みの裏で、彼女を殺せというのです。……けれども、大きな瞳に涙をいっぱい溜めて命乞いをする白雪姫を見て、狩人の心は痛みました。

 まだ幼く可愛らしい姫君を、どうして端金のために殺せるだろう。

 狩人は白雪を逃がし、代わりに森の獣を一頭捕らえて、その心臓を姫のものと偽って女王に献上しました。殺したという証拠です。


 ――むろん魔女を欺くことなどできません。彼女には、真実を伝える悪魔の鏡がございましたので。




 一方、白雪姫はあてもなく森の中をさんざんに彷徨った挙句に崖から転げ落ちました。

 そのあと、やっと人の家を見つけましたが、扉を叩いても返事はありません。我慢できずに中に入ると、中の調度品はどれも玩具のように小ぢんまりして、大層かわいらしいお家でした。白雪姫は空腹に耐えかね、テーブルの上にある食べ物を幾つか口に入れたあと、そのまま倒れてしまいました。


 さて、やがて家の主が戻ってまいりました。七人兄弟の小人ドワーフです。彼らは血まみれの少女が倒れているのを見て、これはどうしたことかと騒ぎましたので、やがて白雪姫も目を醒ましました。

 そして彼女から憐れな身の上を聞き、小人たちはすっかり白雪姫に同情いたしました。そして雁首揃えて相談をしたのです。


 他に行き場もないというし、置いてやろう。

 いやしかし、お城の姫君だ。家のことなど何も知らぬ、煮炊きも裁縫も、掃除や洗濯もできぬという。

 頭はいいぞ。教えりゃすぐに覚えられる。

 何より居てくれりゃ家が明るくなっていい。


 そうして白雪姫は小人の家の居候になりました。最初は何をやらせても下手でしたが、元より素直な心掛けで、早く上達するようにと一生懸命に取り組みますので、その姿を見ていると癒されます。

 何よりまず、家に帰るたび愛らしい声で「おかえりなさい」の言葉が聞けるのが、小人たちにとって一番の僥倖でした。


 しばらく、穏やかな日々が続きました。


 白雪姫も楽しそうに暮らしていましたが――心のどこかに継母のことがありました。生きていると女王に知れて、いつかまた恐ろしい目に遭うのではないかと不安だったのです。それで小人たちに、昼間の仕事は全員で行かないように、一人か二人は家に残ってくれないかとお願いをしました。

 たしかに女の子一人で留守番をさせるのは良くないと小人たちも思いましたので、鉱山の仕事には六人だけで行って、一人は残そう、ということになりました。もちろん、かわいい白雪姫と二人きりになれるとあれば、みんな喜んで残りたがるものですから、その役目は日替わりの順番制です。


 そうしてある日、六人が帰ってきますと、留守番をしていた末の弟が言いました。

「大変だ、魔女が来た。婆さんに化けてたんだ。そんで、きれいな紐をくれるだなんて言って、白雪の首を絞めちまいやがった!」

「なんだって!?」

「そのくそばばあは今どこだ!?」


 小人たちは驚いて、怒って赤くなったり悲しくて蒼くなったりしましたが、そのうち奥からひょっこりと白雪姫が顔を出しました。一度は死にかけたという話は本当らしく、ただでさえ白い肌が今日はいっそう青白いようです。


「私は大丈夫よ、紐は解いてもらったから。おばあさんはその間に逃げてしまったわ」

「おお、姫が無事で何よりだ。しかし魔女め、今度来たらぶっちめてやる」



 それからまたしばらくしたある日、六人が帰ってきますと、留守番をしていた真ん中が言いました。

「大変だ、また魔女が来た。今日は若い女に化けてたぜ。きれいな櫛をくれるだなんて言って、毒のついたそれを白雪の頭に刺したんだ」

「なんだって!?」

「そのくそ女は今どこだ!?」


 小人たちは驚いて、怒って赤くなったり悲しくて蒼くなったりしましたが、そのうち奥からひょっこりと白雪姫が顔を出しました。今日は痛そうに頭を押さえています。


「私は大丈夫よ、櫛は外してもらったから。お姉さんはその間に逃げてしまったわ」

「おお、姫が無事で何よりだ。しかし魔女め、今度来たらただじゃ済まさんぞ」



 小人たちは悩みました。姫を守ってやるのに、小人ひとりじゃ手が足らないかもしれない。二人、いや三人は残していくべきじゃあないか。

 けれど白雪姫は言いました「そんなに減らしたらお仕事にならないでしょう。私のことは気にしないで、一人でも傍にいてくれたら平気です」……さぞ怖い思いをしたでしょうに、なんと健気なのかと、小人たちは思わず涙ぐみました。


 ……その日の夜、小人の家から人影が一つ、そっと夜の闇の中へと出ていきました。

 それが誰で、どこへ行ったかは定かではありません。ただその人は夜が明ける前には戻ってきたようでした。



 またしばらくしたある日、今日の留守番係は一番上の兄でした。午前中は白雪姫と談笑しながら、家の掃除や洗濯をして楽しくすごしましたが、昼飯のあとから彼の表情はにわかに陰り始めました。

 気付いた白雪姫が「どうかなさった?」と尋ねると、彼は重々しい声音で答えます。


「もし魔女が来たらと思うと恐ろしい。……ところで白雪姫、おまえさん、わしらに何か話すことはないかい」

「突然なあに? ベッドのシーツに穴が開いてるのを見つけたけど、そのことかしら?」

「いや。……いや、ハハ、それはいけない。すぐ繕おう!」


 そんな会話をしたあとで、コンコン、と戸を叩く音がしました。

 白雪姫の身体がぎくりと強張ります。ここは森の奥の家で、常から訪ねてくる者など滅多におりません――あの魔女の他には。

 むろん先に扉の前に立ったのは小人でしたが、白雪姫は彼の肩を優しく叩いて、それから愛らしい唇の前に人差し指を立てて、にっこり微笑みました。


「――はい、どなた?」

「……どうも。いえ、道に迷っちまって、水を一杯いただけんかね」

「申し訳ありませんが、留守のうちには誰も入れるなと、主人に申しつかっております」

「中には入りませんよ。少ぅし扉を開けてくださって、その隙間から、コップ一杯くだされば。それにほら、お礼いたします。美味しいリンゴを差し上げましょう」

「まあ、リンゴ!?」


 小人は、これはいけない、と思いました。リンゴは姫の大好物なのです。この家の庭にもよく実のなる木があるのですが、先日すべていでしまって、次は来年だと話したばかりでした。

 白雪姫は食べ盛りでしたから、次の秋まで待ちきれません。

 止める暇もなく、とうとう姫は扉を開けました。そこからすっと人の腕が、手のひらに丸くつやつやした紅い果実を乗っけて差し出されました。それはもう、見るだけで眩暈のするような、なんとも甘くて美味そうな、傷ひとつないぴかぴかのリンゴでした――小人すら唾を飲み込んだほどでした。


 白雪姫はそれを奪うような勢いでもぎ取り、

 扉を大きく開き、

 その向こうにいた老いた男にの口にリンゴを押し当て、無理やりに顎を開かせて、ひと口齧らせました。


「ぐっ……ッあぅ……う……う……ぅぅ……」


 男は後ろにひっくり返り、泡を吐きながらしばらく痙攣していましたが、やがて動かなくなりました。


「……ふう。これで、終わった」


 姫は氷のような冷たい眼差しで、死んだ男を見下ろして言いました。別人のような姿に小人の長男はぞっとして、それから、一歩後退りました。

 白い手からぼとりと落ちた残りのリンゴが、嘲笑うようにコロコロと転がっていきます。


「な、……なんてことを……」

「仕方がなかったのよ。こうでもしないと、私、一生狙われ続けるのだもの。それに焼けた鉄の靴を履かされて死ぬまで踊らされるよりはマシよ」

「……何の話だ? いや、あんたは一体――」

「どうでもいいでしょう。小人さん、こいつを埋めるのを手伝って頂戴。そしてこのことは二人だけの秘密に……」



「……おいおいダメだろう〈白雪姫〉、毒リンゴを食わなきゃヒロインになれねえぞ」



 聞き慣れぬ声に白雪姫がはっと顔を上げると、隣にいた小人が駆け出していました。彼は眼の前に立っている老人の脇をすり抜けると、丘の向こうに集まっている他の小人たちのところへ走っていきます。

 死んだはずの老人は、懐から抜いた銃を白雪姫に向けて構えながら、リンゴの破片をプッと吐き捨てました。


「警察だ。両手を上げて頭に置きな。――白雪姫殺害容疑で逮捕する」

「どういうこと?」

「何に対する質問かわかんねえから全部に答えてやるとだな。

 ――まず、おまえが崖で殺した本物の白雪姫の遺体はもう見つかった。それにおまえの挙動がおかしいことについても小人から通報を受けている。そして、さっき食ったのはもちろん毒なんか入ってない、ただのリンゴだ」

「ついでに言うとさっき『焼けた鉄の靴』のオチを口にしましたね。本当の童話の登場人物は、魔女の末路を知らないはずです」


 すでに家の周りは武装した警官が包囲していました。口を挟んだのはその中の一人です。

 小人たちはそのうしろで成り行きを見守っていましたが、白雪姫の偽者は観念したのか、大人しく連行されていきました。






 ことの始まりは数年前。夢を叶える道具『物語の世界に入る装置』が発明された。

 しかし何でも悪用しようという輩はいるもので、すぐに裏社会にも渡ったそれは、悪党どもの逃亡を幇助する道具に貶められてしまった。


 登場人物になり替わる場合、その対象は殺される。

 大抵は遺体が見つかって捜査が始まるが、今回の場合、遺棄されたのは現実世界ではなく物語世界の森の中。時間が経てば森の獣たちが始末してしまうから、下手をすれば遺体が見つからずに完全犯罪が成立してしまうところだった。


「監視システムができた後でよかったですね~」

「そうだな」


 物語に紛れ込んだ犯罪者の摘発を専門とする捜査一課・リセクション係。先日、とくに侵入被害の多い童話を対象に、物語が通常どおりに運行されているか確認する仕組みが導入されたばかりだ。

 それで今回は魔法の鏡が「世界で一番美しいのは女王様です」と答えたので、異常として検知された。

 本物の白雪姫が死んだら、女王は毒リンゴを作らない。だから代わりに「魔女が化けた刺客」を演じ、話が進んでいる風に装って機を伺った。


 つまりあの偽者は、本物の白雪姫どころか女王よりも美しくはなかったのだ。

 あの顔は美容整形によるもの。資料にある昔の写真は、愛嬌のある素朴な顔立ちをしている。

 顔を作り変え、名前も身分も別人になり替わって得た暮らしで、彼女は果たして幸せだったのだろうか。……その答えは去り際の、彼女を見送る小人たちの表情にあったような気もするが。


 ともあれ、物語は何度でも巡る。またいつか新しい白雪姫が生まれるまでは、慈善団体ボランティアが代役を務めるが、何しろあの鏡は真実しか言えないので、そちらも代役を立てねばなるまい。

 ひとまずは今回も無事に事件解決ということで――


 めでたし、めでたし。






**― ― ― ― *** ― ― ― ―**


「ところで先輩、王子様が出てきませんでしたね。彼はどうしたんですか?」

「白雪姫の遺体を引き取ってもらった。残念ながら、今はキスしても生き返らないけどな」

「えぇ……」

「でも元から死体に惚れるような奴だから喜んでたらしい。エンバーミングして飾るとかなんとか」

「うわぁ……聞かなきゃよかった……」

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Resection.// 捜査一課リセクション係 空烏 有架(カラクロアリカ) @nonentity

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