漆 紡ぐモノ
深淵の闇。
大地の底に隠された空洞は無限に広がっているかのような錯覚を覚えるものだ。
遥かなる暗闇の中、奇怪な石造りの玉座に一人の女性が腰掛けていた。
周囲と同じく闇色のカーテンを思わせる長い髪は艶やかで生命持つ生き物のように蠢く。
暗黒にあっても一際輝く、瞳は深紅の色を浮かべている。
整った容貌であることは間違いなかったが、まるで作り物のようだった。
命が宿っているとは思えない感情の色を全く、感じないのだ。
「全てはおひいさまの思し召し通りで」
「そう。チィ。わらわは少々、疲れた」
「おひいさまはお休みくださいまし。あとはこのチィにお任せあれ」
玉座の前に跪き、畏まるのもまた女性だった。
小柄で色を失った灰色の髪は肩口あたりできれいに切り揃えられている。
彼女の名はチィトカア。
遥かなる古より、この深淵に潜むのは
共にあるのは灰色の織り手と呼ばれる従者だった。
アトラク=ナクアの娘とも呼ばれる灰色の織り手は女王に見初められた乙女がその姿を変じたものだ。
チィトカアはその筆頭であり、アトラク=ナクアの名代として、万事を仕切ることを許された存在だった。
悠久の時を生きるアトラク=ナクアにとって、最大の敵は倦怠だ。
極めて勤勉な神性を有した稀有な神格でもあるアトラク=ナクアは、深淵の底で大いなる作業に従事している。
大いなる作業が終わりし時、この世は終焉を迎えると言う。
それがいつ終わるのか、誰も知らない。
アトラク=ナクアは終わりの無い作業に飽くこともなく、ただひたすらに深淵の闇の中で紡ぐだけだ。
永遠の牢獄に囚われし女王は罪から逃れるように密かな愉しみを見出した。
それこそが倦怠を解消する手段だった。
蜘蛛の神アトラク=ナクアは中性的な美しさを好み、己の嗜好に沿った贄を見つけると印を刻み込んだ。
それは祝福であり、大いなる禍である。
印を付けられし者は決して逃げられない過酷な運命に落ちる。
基準を満たした瞬間、印を付けられた乙女は灰色の織り手に変じるのだ。
これこそがアトラク=ナクアの見出した倦怠の解消手段――享楽だった。
アトラク=ナクアの印を付けられたのはノゾミの母親だったのだ。
乙女のまま、その姿を変じてしまえば、永遠の時を女王と共に生きねばならない。
その過酷な運命から、偶然にも逃れてしまったのが彼女だった。
禁忌を破り、子を成したことで逃れられたはずの死神に目を付けられた。
印は母親から、娘であるノゾミに引き継がれる……。
全てはアトラク=ナクアにより仕組まれていたのだ。
出会いは偶然ではなく、必然だった。
ノゾミが本当に望んだことは誰にも分からない。
恐らくは彼女自身にも分からなかったのだ。
二江望という名の少女がいたことをもはや誰も知らない。
彼女は深淵の闇に包まれた永遠の牢獄に囚われながら、女王や仲間と世界の終焉の時まで紡ぐのだろう。
未来永劫、永遠の時を……。
【完結】紡ぐモノ 黒幸 @noirneige
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