陸 永遠
中学生になった。
小学校から、中学校という名に変わっただけだ。
特に変わらない。
何も変わらない。
渇いた日常の日々はこれまでとあまり変わらないものだと改めて、思った。
ただ、今までと違うこともある。
これまで僕に向けられる視線は無関心を装った無視だった。
僕のことを見ていても彼らは見ていない振りをする。
僕は相変わらず、空気だった。
でも、中学は少しだけ違う。
地元の見知った顔よりも知らない顔の方が遥かに多い。
彼らに遠慮なんてなかった。
僕に対して、向けられるのはあからさまに不躾な視線だ。
視線だけではなかった。
ナイフで何度も心を抉るような酷い言葉を投げかけてくる。
勿論、直接ではない。
面と向かって、言われた訳じゃなかった。
それでも傷つく。
空気であることに慣れて、空気であろうとしても傷つかない訳じゃないんだ。
ガラスに入った微かな亀裂のように僕の心は、確実に綻びを見せ始めていた。
「それで……のんくんは何も言わなかったの?」
「うん」
誰もいない屋上で紅葉と二人きり。
屋上への扉は厳重な施錠がされている。
原則として、生徒は誰も入ることが出来ないのだ。
「内緒だよ?」と茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべた紅葉が、施錠など無かったように扉を開ける。
それが僕らの日常だった。
屋上で大の字に寝そべり、空を行く雲を眺めていた。
雲のように自由になりたい。
なにものにも縛られずにいられたら、それだけでいいのに……。
そんな風に思って、ぼんやりと見ていた。
紅葉はこの世とあの世の境目を務めるにはあまりにしょぼくれて、頼りがないフェンスの上にいた。
バランスを保ちながら、彼女は器用にも片足で立っている。
強い風が吹けば、僕のたった一人の友達で唯一の理解者である紅葉があちら側に行ってしまうかもしれない。
それなのに僕はただ、雲を眺めていた。
ふと紅葉の方に目をやると落日の様子が目に入る。
茜色の光が艶やかな彼女の横顔を照らした。
夕焼けの色のせいだろうか。
彼女の瞳はあの時見たアレと同じ色をしていた。
血のように赤く染まった瞳を向けられる。
彼女が
「
そうだった。
僕は約束した。
アレのことを人に話してはいけないと……。
だけど、僕はもう疲れた。
僕はずっと
へその下にあった小さな痣は年々、段々と大きく目立つようになっていた。
今では痣が何の形か、分かるくらいにはっきりとしている。
クモの形をしているのだ。
思い出した。
僕を庇って、死んだ母親にも同じ痣があったことを……。
灰を被ったような髪色のきれいな人が母親で、今にも消えてしまいそうな儚さのある人だったことも思い出した。
僕の今の姿は……。
そうだ。
死んだ母によく似ているのだ。
アレは
孤独な僕の傍にずっといてくれたんだ。
だから、僕は
「あの日、僕は見たんだ」
「ナニヲミタノ?」
フェンスの上にいた
その瞳は茜色の光が射していないのに血よりも朱く、闇よりも昏い深淵の虚無に染まっている。
チャームポイントだった八重歯ははっきりとした牙のように伸びていて、口が耳元まで裂けていた。
あの日、見たアレと同じ顔をした彼女が覗き込んでいたのだ。
「僕は……」
心臓を掴まれたとしか、言いようのない感覚。
激しい恐怖と悍ましい戦慄。
相反する高揚感が僕を満たしていた。
なぜなのかは分からない。
要領を得ない告白と謝罪、感謝は無意味で冗長だった。
「僕は約束を破ったから」
「だから、終わりが欲しいと? それは許されぬ」
無言で頷く、僕を見て紅葉だったアレが裂けた口を大きく開け、嘲笑った。
「お前はユルサレタ」
「え?」
「お前の母は罪を犯した。お前があの子と同じ道を歩むのであれば、お前はこうしてこの場に存在していない」
アレの瞳が妖しい輝きを放って、僕は目を背けることが出来なかった。
ただ、アレの言うことを聞くことしか出来ず、受け入れるしかなかった。
「オカエリ。わらわの
「はい……アト……永遠……しあわ」
空き家で発見された二江望の手記はここで記述が途絶えている。
最後の方はのたうつ蛇のような文字になっており、判読が困難な状態だった。
日記としての体裁すら、既に整えられていない物であることは確かである。
光波牧師氏が原稿に添えたメモに従い、件の手記が見つかった廃屋のある村落の特定を急いだが見つからなかった。
いくつかの候補地は見つかったものの廃屋どころか、どこも共通点が見いだせず、調査は頓挫した。
もっともそれらしき候補地が無かった訳ではない。
うら寂しい山奥にあったとされるとある集落は手記に書かれた記述と合致する点が多かった。
しかし、その集落は既にこの世にない。
大規模な崩落事故が発生し、全てが大地に飲み込まれてしまったのである。
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