終の家

目々

柵/軛

 とりあえず何の参考にもならないと思いますよ。失敗したわけですから、俺。


 いや、こっちの話です。そういうことが聞きたいんじゃないんですか? あ、身体は別に平気なんですよ。監視なしで動けるようになったのは、二週間くらい前ですけど。それだってただ身内が勝手にやってただけなんで、医者の診断とかって話をするなら最初っから何にも引っかかんないと思いますよ。健全で頑丈ですもん。

 つうか先輩、気にするタイミングが違うんじゃないですか。そういうの心配すんなら、連絡よこす前にしましょうよ。夜の十時に連絡よこして、会いたいから駅前のファミレスまで来れないかってさ、ちょっと前だったら許可出ませんでしたよ。弟に見送られながら家出てきましたもん。ああ、大学は……復学するとしても来年からですかね。曖昧なんですよね、まだ色々。


 はあ。

 まあ、だから元気ですよ──え、そんだけなんですか?


 わざわざ連絡くれたんで、何かご用かなって思ったんですけど。本当に顔見たかっただけとかあります?

 いや、ほら。

 地元の連中から色々聞いたとか。あとは……いつもみたく、てっきり弟とか友達と繋いでくれみたいなやつかと思ってたんで。何それっていいですよそういう小芝居。なんか絵とかバンドとか、そういうのやってて実績あるんですよ、弟たち。そんで普通に顔もいいし、話上手いし、将来性みたいのもあるから。本人に直に行っても門前払いで終わりだろうけど、兄とか友人とか──つまり俺ですね──を一枚噛ませればワンチャンあるかもみたいな感じのやつが結構多いっていうか、俺なんかにくるやつ大体そんな感じですし、慣れてます。どっちかなって、思って。


 何ですか。そういう顔するとこじゃないでしょ、先輩。

 さっき言ったじゃないですか、別にそれでも怒んないですよ慣れてるんで。ただ……いいですよ、分かりましたよ。俺んこと心配してくれたってことで、今回は納得したことにしときます。


 で、続ければいいですかね。大学来なくなってサークルにも顔出さずに音信不通かまして、今まで何してたったらまあ、自暴自棄になったってだけの話なんですけど。


 発端、十一月でしたね。朝からめちゃくちゃ晴れてて、でも気温はめちゃくちゃ低かった日です。

 電車から降りられなかったんですよ。そんで、もうどうでもよくなったんです。


 大学、講義自体は午後から入れてたんで余裕持って空いてる電車に乗ったんですよ。朝過ぎて昼の手前みたいな、一番人が乗ってない時間帯。快速乗れたんで、駅三つくらいで着くんです。

 当たり前だけど平日だから、全然人乗ってないんですね。だから人の声なんてアナウンスぐらいしか聞こえないし、そもそも俺音楽聞いてましたし。何聞いてたって、言っても知らないと思うんで。俺の趣味、あんまり関係ないですよ。この話にも、先輩にも。


 で、イヤホン越しに聞こえるアナウンスが降りる駅名を喋ってて、ああ降りなきゃいけないなって立ち上がろうとしたんですよ。

 したんですけど、全然だめで。

 なんかね、立てなかったんですよね。何だろうな、別に脱力してるとか痺れてるとかそういうのは無かったんですけど、なんか動かせなくって。

 頭じゃ分かってんですよ。今立って降りないと間に合わない、大学に行けないと講義が受けられない、ただでさえ単位ギリで登録してんのにここで欠席したくない、学校に間に合わないって。


 そんなことを考えながら、開きっ放しのドアから降りるべきホームを座ったまま眺めてました。そんで、そのうちにチャイムが鳴ってドアが閉まって、発車して……降りらんなかったんですよね。

 そんで、じゃあもういいなって。


 心当たりはまあ、色々あったんですけど全部つまんないですよ。

 弟はこないだ高校生のコンクールだかコンテストに出した絵が結構すごい賞取って将来色々やれそうって話になってるとか、友達は趣味のバンドがなんか上手くいって色々話が来てて成功者ルートに明らかに乗りかけてるとか、従兄がめちゃくちゃいいとこの企業に就職した上に父が『自慢の甥っ子』って色んな人に話してたとか。

 あとは……あ、その日の朝、米も炊けてなかったんですよね、確か。決め手、そこだったのかもしれませんね。朝起きて飯食おうとして炊飯器開けたら水と米入ってて、ああ俺またこういうことやったんだって思っちゃって。家出るまではできたのに、そこまでで使い切っちゃったのかもしれないですね、今思うと。


 全部ね、くだらないことなんですよ。そんなことは分かってます。でもそのくだらないことさえ解決もできないし、そうだってことを受け入れられないっていうのが嫌になった、って感じですかね。総括すると。

 そうやってずっと、他の連中が色んなものを成し遂げてるのに、俺は朝食分の米も炊くのに失敗するような調子で生きていくしかできないんだろうなって。どうしようもないでしょ。その通りだから、尚更。


 で、そのまま電車が止まるまで乗って、適当な路線乗って知らない駅で降りてってのを発作的にやって……たんだと思うんですけどね。分かんないんですよ、ぼーっとしてたんで。

 気づいたら見たことない駅の見覚えない駅前にいて、あたりも真っ暗だったんですよね。駅前の端っこにタクシーが一台だけ止まってたのは覚えてます。サボってんのと客待ちとどっちだろうなって思いました。何様だって感じですけどね。

 そんでまあ、歩きましたね。

 いや、ホテルとかそういうんじゃなくて……とにかく、どこかに行きたかったんですよ。俺のこと知ってたり、関わってきたりする人間が絶対いない場所に。あとはまあ、ワンチャン狙いですかね。やらしいほうじゃないですよ。痛いの嫌ですけど、運がければ事故とか通り魔とか低体温とかいけるかもしれないじゃないですか。積極的にはいけないんですよ、小物なんで。みっともないですよね。


 いい感じの場所ないかなってぼうっと歩いてたら、いつの間にか住宅街みたいなとこにいて。ああこんなとこ俺みたいなもんがいたら通報されるなって気づいて、急いで抜けようとして──ふとね、足が止まったんですよ。


 気になる家があったんですよ。家っていうか、ほぼ廃屋って具合のやつでしたけど。


 一軒家、なんですよ。こう、コンクリートみたいな石っぽい素材の塀があって、駐車場兼庭みたいなのが見えて、どうやら裏庭とかそういうのもありそうな感じの。地方都市の住宅街でよく見るタイプのやつ、想像してくれればいいです。

 で、一見して明らかに人住んでないんですよ。二階の窓とか割れてるっていうかガラスがないし、庭先とか砂利の合間から生えた草がすごい伸びてる。そもそもめっちゃ夜なのに明かりも点いてない。

 心霊スポットとか言われてない方がおかしい、って感じの家でした。


 それでですね、玄関開いてたんですよ。


 普通の家の玄関扉だと思うんですけど、それがばっかり開いてるんですよね。開いて家の中が見えてるのに、やっぱり真っ暗。玄関に靴もない。ただただ暗がりが口を開けて、俺の前にありました。


 入りました。

 だって、開いてましたし。入ってほしくないなら、閉めとくと思うんですよ。扉ってそのためにあるじゃないですか。どの道隠れる場所が欲しかったのは確かですし、どうせどう見ても人はいないっぽいし、じゃあいいかって。どうなるか分かんないのはそうですけど、どうなったってよかったのも分かるでしょう、先輩。


 どうだったって……つくりは普通の家でしたよ。玄関上がって左手に和室があって、右手に短い廊下。廊下の途中で二階に続くだろう階段があるけど、上の方は暗くて見えない。

 ただ真っ暗で、静かで、何もない。自分の呼吸と足音だけがやけに響く。人の気配どころか虫もゴミも、何もありませんでした。


 ここだな、って思いました。俺、ここで終われれば、最高なんじゃないかって。


 思いついたとき、めちゃくちゃ嬉しくなったんですよね。あ、簡単だし完璧な解決法だ! みたいな感じで。間違い探しですごい苦労して該当箇所を見つけたみたいな爽快感とか達成感みたいのが、一気にぶわっときたんですよ。

 誰もいない静かな場所で、誰も俺を知らない場所で、誰にも見つからずにこのどうしようもない諸々を終わらせることができるっていうのがこの上なく嬉しいことだと、そう思えたんです。


 それでどうしたかったら、飛び降りたんですよ。


 階段あるって言ったじゃないですか。そこからこう、とんとんとんって段を上って、最上段のちょっと前くらいで止まって、そのまま足元の段を蹴ったんです。

 ちゃんと頭から落ちて、がたがた打ち付けてくうちに頸が折れて、頭の後ろが削げるのが分かって、身体の内部で色んなもんがひしゃげる音がした。


 で、起き上がれたんですよね、俺。


 何でだって言いますよね。俺もそうでした。

 何でだって驚いたまま立ち上がった足元に、俺がいました。ちゃんと首がおっかない曲がり方してて、色んなとこから色んなもんが出てました。

 すごい死に様でしたよ。ご家庭の階段でここまでできるんだ、みたいな。

 これもう駄目だな、救急車呼んでも確認しかやることないやつだなって分かるくらい。この状態で動いたり喋ったりしたらゲームのゾンビじゃんって思いました。これ見て生きてるっていったら目が見えてないか節穴かのどっちかだって疑われるくらいに、そんくらいの有様でした。


 でも、俺でした。見間違えとかじゃなくて、俺の顔だと俺は思いました。二十年付き合った顔ですから。


 そうですよねえ。

 訳分かんないこと言ってますよね。それはね、分かります。

 でも実際そうだったんですよ。階段から飛び降りた俺と、それを見ている俺がそこにいました。理屈を聞かれたって分かんないですよ。何なら説明できますかね、物理とか?

 そうですね、死んだらこんな顔するんだってのも思いましたけど……それでも、ってのも、思いましたね。

 普通に小汚くなって、血とか色んなものでべとべとで、馬鹿みたいな口と目の開け方して手足なんかあっちこっち向けちゃって。

 でも、それだけなんですよ。

 死に顔まで平凡なんだなって、そう考えちゃって。何だろうな、飛ぶ前まであんなに嬉しくって幸せだったのに、一気に何もかんもつまんなくなっちゃったっていうか、寂しくなったっていうか。背筋とか首元とかがすうすう寒いような気分でした。


 しばらく眺めて、家、出ました。

 ちゃんと玄関閉めて、またふらふら歩いて……今度は普通に、駅まで戻りました。時刻表みたら終電出ちゃってたんで、タクシーの人にこの辺泊まれそうなとこあるかっての聞いて、町中のカラオケボックスで夜明かししました。そんで始発でそれなりに大きい駅まで乗って、駅員さんに尋ねたりしてどうにかして帰った、んですけどね。

 一日家出しただけで色んな連中が大騒ぎしてて、地元の知り合いとかそういうのが結構来てて、でもやっぱり俺っていうより俺の周りのやつらに気に入られるためにってやつもいたんで、それでちょっと色々やったってぐらいですかね。警察沙汰とかそういうのまではいかなかったですけど、寸前くらい。

 そんでまあこれはしばらく駄目だなって、休学して自宅に置いて養生して、みたいな感じです。世が世ならあれじゃないですか、座敷牢。檻がないだけであんまり変わんない気もしますけどね。──笑うとこですよ、先輩。ちゃんとお出かけしてんじゃんくらいのことは突っ込んでくれないと。俺がかわいそうじゃないですか。箱入り息子ぐらいのことは言ってくださいよ。


 ──何だったのかってのは、分かんないんですよね。

 どこに行ってたのか、ってのもまず曖昧ですし。いや、駅とかは分かるんですけど、あんな住宅街がどこにあるのかとかそんな家が本当にあるのかとか、全然調べてないです。調べたら出てくるかもしれないですけどね。

 でもまあ、必要ないんですよね、今のところは。ちょっとそれっぽいこというと、そうやって探して着けるような場所とも思えませんし。身も蓋もないこというと、おかしかった人間の認知にどこまで信用がおけるかってところの話になっちゃうんですよね。


 あとは、まあ。

 あれが誰なのかってのも、分かんないんですよね。たぶん俺だと思うし、俺に見えたんですけど……じゃあ今こうやって先輩と深夜のファミレスでお話してる俺は誰なんだって話じゃないですか。死んでるんですから、俺。

 つまり今、俺が誰なのかってのも分かんないんですよ。しくじったもんだから、全部分かんなくなった。どうしようもないでしょ、こんなの。生きるのも下手なやつは上手くも終われないってとこですかね、やっぱ。そう考えちゃうと嫌ですね、色々。


 ただ、そうですね。

 あの家の、階段の下。あそこに俺、今でも転がってんのかなってのは、たまに思いますね。ニュースとかにも今んとこ出てませんし。それをいつか確認に行かなきゃいけないなってのは、ぼんやり思っています。そうすべき時期が来たら、多分また行けると思うし。玄関も開いてると思うんですよ、あの家。そういう家だと思うんで。

 でも、あの暗くて静かで誰もいない家の中にいられるってのは、ちょっと羨ましいとも思います。俺のことを俺が羨んでどうするんだ、って話ですけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

終の家 目々 @meme2mason

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画