第7話

   7


 夜更けから降り始めた雨は明け方から雪に変わり、裏通りのゴミ箱や室外機が白い帽子を被り始めていた。いつも野良猫たちの集会所になっているアパートの階段下も、この日ばかりはがらんとしていてどこか寂しげだ。


 モグラを弔ってやらねばならなかった。兄妹はひとまず散らかった部屋を片づけて、テレビ台の上に手製の小さな祭壇を置いた。


「蝋燭あったよ。非常用のだけど」


 ネコは祭壇の前に蝋燭を灯す。急いで作った祭壇は左右の高さがちぐはぐで不格好だった。こういうとき、モグラがいてくれたらな。ネズミの脳裏にモグラの笑顔が浮かぶ。


 手先が器用で、ものを作ったり修理したりするのが得意な人間だった。機械にも明るくて、ラジオやテレビの調子が悪くなるとネズミはいつもモグラを頼ったものだ。マイペースで呑気で、少し鈍くさいところはあったけれど、みんなに愛されていた。


 幸福虫が蔓延した現代においては、死者の弔いすら満足にさせてもらえない。まず、死体は役所によって回収され、専用の直葬センターで火葬される。身近な人間の死は幸福度を急激に変化させるおそれがあるため、死体を可及的速やかに社会から隔離しなければならないのだ。遺族は通夜や葬儀はおろか、火葬への立ち会いすらもゆるされない。いまや人々は大切な誰かを喪った悲しみさえ過去に置き去りにしなければならない。


 火葬から一定期間が経過した段階で遺骨が返却されることになっているが、モグラと血縁関係にないネズミたちにはそれを受け取る権利すらない。身寄りのないモグラの遺骨は人知れずどこかの共同墓地に埋葬されるだろう。


 ネコはモグラが腕に巻いていた時計を、ネズミは粉々になった携帯ゲーム機を祭壇に置いた。いずれも遺体が回収される前にこっそり隠しておいたものだった。親友が最後に身につけていた形見を遺骨代わりに、兄妹は静かに手を合わせる。葬式はできなくても、せめて丁重に弔ってあげたかった。


 もしもゲーム機の修理なんて依頼しなければ、隣町で極楽党を深追いしなければ、モグラは死なずにすんだのではないか。その考えはネズミの頭から離れなかった。手を合わせに来てくれた回収人仲間たちは「しかたがなかった」と慰めてくれたし、ネコも何も言わずネズミの悲しみに寄り添ってくれた。だが、みんなが優しくしてくれるほど、自分で自分を責めずにはいられない。


 夜になり、町全体が雪化粧を施したころに猿田がやってきた。


「いろいろ大変だったな」祭壇に合掌してから、猿田はネズミのほうへ向き直った。「飯は食ったのか?」

「今日はまだ」

「だろうと思って買ってきた」


 猿田は手に持っていた袋から肉まんを四つ取り出した。一つを祭壇に、残る三つを自分とネズミたちへ配った。おまえらの大好物だっただろう、と猿田は笑う。


「私たちっていうか、モグラのですよ」


 台所から三人分の茶を持ってきたネコが言う。いつも二人しかいない部屋に別の人間、それも猿田がいるというのは変な感じがした。


「そうだったのか。まあいい。冷めないうちに食おう」


 まだ温かい肉まんを三人で頬張る。モグラが死んでから食事らしい食事をしていなかった兄妹の身に食べ慣れた味はよく沁みた。祭壇を向いて肉まんを食べる猿田を見ると、涙を流していた。それは意外なことのように思われたが、ネズミたちが知らないだけで、猿田とモグラにもきっと忘れがたい思い出や絆があったのだろう。そんなことを考えていると、ネズミも何だか泣けてきて、大粒の涙が瞳からあふれ出した。ネコも隣で泣いていた。弔いの準備でずっと大忙しだった兄妹は、ようやく悲しみと向き合う時間を得た。


「この町を出ようと思う」


 肉まんを食べ終え、目元の涙を拭うと猿田は言った。


「おれたち回収人はどうなるんですか?」

「相変わらず上からの指示はない。きっと連中はこの町の回収人を見捨てるつもりなんだろう。管理者であるおれのこともな。ほかのやつらにはどうにかして町を出るよう伝えてある。おまえたちが最後だ」


 どうにかしてって、いったいどうやって。そう問いただしたくなったが、その相手はきっと猿田ではない。むしろ自分だけこっそり逃げるようなことをせず、回収人にこうして連絡をとっているだけほかの管理者よりもマシだと思うべきだろう。問題は町を出る方法だ。極楽党の人間は町じゅうをうろついているし、隣町との境界線では検問まで行われているという。この町はいまや極楽党に占拠されている。文字どおり、ネズミ一匹逃がしてはもらえないだろう。


「おれは町の中央を走る大通りを使って脱出するつもりだ。むろん、検問所で止められることになるだろうが、いざとなったらこいつを使う」


 猿田は懐から拳銃を二丁取り出した。撃鉄を倒して引き金を絞る、リボルバー式の拳銃だ。切れかかった照明がちらつくたびに、黒い銃身がてらてらと輝くのがおそろしかった。


「こんなもの、どうやって仕入れたんです?」

「極楽党が町に出入りするようになってから、こういう物騒なものが流通し始めたんだ。おれでは二丁を仕入れるのがせいいっぱいだったが。もしも極楽党とやりあうことになったら、一人では分が悪い。どうだ。おまえたちも一緒に来ないか?」

「私たちにその銃で戦えって言うつもりなの」


 ネコはおぞましいものを見るような目を拳銃へと向けた。


「もちろん一丁はおれが持つ。だがもう一丁はおまえたちのどちらかに持ってもらう。それから、大通りの検問所で獅子堂の目撃情報があった。うまくいけば、モグラの仇を討つことができるかもしれない」


 強制したり急かしたりするでもなく、あくまでネズミたちに選択を委ねるような口調だった。ネズミはしばらく考えてから拳銃に手を伸ばした。


「駄目だよ、兄さん。もしもそれで獅子堂を撃ったら、二度と幸福になれなくなるかもしれない」


 ネコがかつてないほど強い力でネズミの腕を掴み、止めようとする。母を殺して以来、ネズミの幸福度はずっと最低ランクを記録している。そのうえ獅子堂を殺したならば、ネコの言うとおり二度と幸福度が上昇しなくなるかもしれない。しかし、それでもネズミの考えは揺るがなかった。


「おれたちも連れて行ってください」


 ネズミはネコの手を退けて拳銃を手にした。生まれて初めて持つ拳銃はずっしりと重たい。その重量感は母を殺したときの記憶を思い起こさせた。あのとき母に振り下ろしたサンタクロースの置物も、こんなふうにネズミの手にのしかかった。


 この選択が正しいのかどうかわからない。ただ、後悔だけはしたくなかった。人生は選択の連続というが、幸福度が低い人間には選択の余地などない。回収人になって、世間から疎外され、惨めに生きて惨めに死ぬだけだ。不幸な人生を強制されてきたネズミにとって、何かを選択するという機会はそうそう巡ってくるものではない。だからこそ、この機会を無駄にはできない。たとえその結果、誰かを傷つけることになったとしても。

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