第5話

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 隣町で被害者が出たという話はすぐに広まった。


 人々の反応は大きくわけて二つだった。どういう理由であれ、人を殺すのはよくないという考えと、幸福度が低い人間が恨みを買って殺されるのはある程度しかたがないという考えである。意見を二分する基準は、幸福虫は不幸な人間の脳内で発生するというデマを信じているかどうかだった。デマを信じない人間は殺しはよくないと声を上げ、信じる者がそれに反論した。


 ネズミたち当事者がそういった議論に加わることはなかった。弱い立場にある者の処遇を決めるのはいつだって強い立場にある者だ。この町ではほどよく幸福な人間こそ最も価値があるとされていて、そういう人間に限って幸福虫に侵された者たちを悼んだり、不幸な者たちを哀れんだりと、他者への共感で心を忙しくしている。だが不幸な人間に同情し、不幸狩りを悪だと断じる者たちでさえ、回収人には近寄ろうとしない。倫理だとか弱者救済だとかいう言葉は、この町では大した意味を持たない。


 いまのところ極楽党がこのあたりまでやって来たという話は聞かないが、それも時間の問題だろう。ここは隣町と比べて自警団の警備も手薄で、それでいて町全体の元気が少ないゆえに不幸な人間の割合も多い。極楽党の人間たちにとっては絶好の狩り場になるはずだ。


 ネズミとモグラは猿田に命じられ、町の巡回に付き合わされていた。極楽党の人間を直接見たことがあるのはネズミだけなので、住民のなかに党員が紛れこんでいないか確認せよということだった。モグラはもしもトラブルがあったときの保険らしい。


 猿田の運転する車の助手席から、道行く人々の顔をよく観察する。あいつは怪しくないか。たぶん違います。こいつはどうだ。これもたぶん違うと思う。猿田が質問し、ネズミが答える。道中、メリークリスマスという言葉が書かれたポスターが何枚か貼られていたので回収した。そういえば今日は十二月二十五日か、などと考えながら、ネズミは丸めたポスターを回収袋に押しこんだ。


「はっきりいって、おれじゃ役に立ちませんよ。極楽党員に会ったとはいっても、顔をはっきり見たわけじゃないんです。向こうは学生帽を被っていましたからね」


 窓の外を眺めながらネズミがぼやいた。


「そうだとしても、感覚的な部分に訴えるものがあるかもしれないだろう」

「何となく怪しい、みたいなことですか。だったらこの町の人間はみんな疑わしいな。回収人の死を望む理由のひとつやふたつ、誰だって持ってるんだから」

「どうやらおまえはおれを怒らせたいらしいな」

「喧嘩してる場合じゃないぞ。極楽党の人間がいないか真剣に探さないと」


 後部座席のモグラが二人のあいだに割って入った。モグラの舌っ足らずでゆっくりとした話し声に、ピリピリしていた車内の空気が少し和む。


 町は南北に走る国道を中心に東西に分かれていて、東側の住宅街の巡回を終えた車は西側の商業区域へと向かっていた。シャッター商店街のなかには半ば廃墟と化した建物も少なくはなく、自警団もあまり見回りに来ないせいでゴロツキたちの溜まり場になっているエリアがいくつか存在する。そういうところに極楽党の人間が潜伏している可能性はじゅうぶん考えられる。


「猿田さんは極楽党についてどう思ってるんですか」


 ふと気になって、ネズミは訊ねた。


「どうもこうも、ただのテロリストだろう。ああいうやつらがのさばってると迷惑だ」

「僕ら回収人がやられちゃったら、猿田さんの収入もなくなっちゃうもんね」


 モグラが笑いながら言う。


「そうでなくても、優秀な回収人が入ってきたらおまえは即刻クビだけどな」

「酷いよ猿田さん。僕だって必死で頑張ってるのに」


 二人のやり取りを聞いていたネズミは笑みをこぼした。猿田は回収人のことを金稼ぎの道具くらいにしか思っていないが、それでもいちど手に入れた道具は簡単に捨てたりしない。日ごろ回収人に厳しく当たり、少しでも多く回収させようとするのは自分が稼ぐためでもあると同時に、歩合制である回収人の日当を増やすためでもあるということをネズミは知っている。いけ好かないが信頼はできる男だ。あれだけ怒られてばかりいるモグラが存外猿田に懐いているのも、そういう人情の部分が垣間見えるからかもしれない。


「もしも極楽党の人間がこの町で不幸狩りを始めたら、おれたちはどうなるんですか?」

「さあな。いまのところ上からは何の指示も出ていないが、最悪の場合、解散かもな」

「僕らみんな職を失うってこと?」


 モグラが不安げに訊ねる。


「現実問題として、あんな危険なやつらがいる場所で回収業務を続けるのは無理だ。ほかの町に人員の空きがあればいいが」

「よそにも極楽党の噂は広まっているはず。おれたちみたいな不幸な人間をわざわざ迎え入れてはくれないでしょうね。それこそやつらを誘いこむきっかけになる」

「猿田さんはどうするの?」


 モグラの質問に猿田は、そうだなあ、と考えこんだ。


「おれもここを出て行くことになるだろうな。回収人がいなきゃどうしようもないし、そもそもおれだって幸福度が特別高いわけじゃない。案外、極楽党に狩られる側かもしれん」


 猿田は冗談めかした口調で話すが、その笑顔は明らかに引きつっていた。


 いつも回収業務を行っているエリアを抜けて、旧商店街と呼ばれる区域に入っていく。このあたりは商業地区のなかで最も古く、また最もさびれたエリアである。営業している店は数えるほどしかないが、そこすらもシャッターが閉じられている日が週の大半を占めている。シャッター商店街というよりもゴースト商店街と呼んだほうがいい。アーケードの照明はすでに切れているのに長いこと交換されず、いつも薄暗く陰気な雰囲気に包まれているこの場所に好きこのんで近づこうとする者はほとんどいない。


 静寂に包まれたアーケード街を徐行していた車が突然停止する。


「おい、あれを見てみろ」


 猿田が指さす先には曼荼羅が刺繍された巨大な幕が下がっていた。暗がりのなかに浮かび上がる極彩色は毒々しく、仏様の穏やかな表情がかえって不気味に見える。ネズミは息を呑んだ。どこからか音楽が聞こえてきた。


 ジングルベル。ジングルベル。鈴が鳴る。


 前方の建物の陰から学生帽を被った男がぞろぞろとあらわれる。みな右手には警棒を、左手には携帯式の測定器を構えている。


「極楽党だ」


 ネズミが叫ぶが早いか、猿田は車を素早くUターンさせて来た道を戻る。アーケード内に怒号が響き渡った。警棒を振りかざした男たちが必死に追いかけてくる姿がバックミラー越しに見える。ネズミは隣町でのできごとを思い出し、恐怖のあまり頭がくらくらしてきた。


 何度か信号無視をし、事故を起こしかけながらどうにか東側の住宅街まで逃げ延びた。追っ手がないことを確かめると、猿田は車を路肩に寄せて停止させた。


「どうしよう」モグラは激しく動揺していた。「極楽党のやつらはもうこの町に入りこんでたんだ」

「まずいことになった。あいつら、旧商店街をアジトにするとはな。確かにあそこなら町の人間の目も届きにくい」

「あそこに店を構えていた連中はきっと全滅でしょうね。次はおれたちを狩りに来ますよ。どうします?」

「ひとまず今日の回収業務は中止だ。ネコを拾ったら家まで送ってやるから、おれから指示があるまで自宅で待機しておけ。いいか、何があっても絶対に外には出るなよ」


 猿田はネコが回収業務を行っているエリアへと車を急がせた。


 先ほど旧商店街で出会った極楽党員。そのなかに一人だけ白い制服を着て、帽子を被っていないリーダー格らしき男がいたことにネズミは気づいていた。男は車を追いかけるでもなく、ライオンのたてがみのような長い髪を無造作になびかせ、腕を組んでじっとこちらを見つめていた。


 獅子堂。その名前が脳裏をよぎった。いや、そんなまさか。ネズミはすぐに否定する。保護区の人間がわざわざこんな場所にやって来るはずがない。

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