第2話
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幸福回収人は作業終了後の幸福度測定が義務づけられている。
シャッター街の一角にひっそりと佇む雑居ビルの三階に上がると、受付番号を手渡され、待合室で待つようにと指示される。二十帖ほどの室内には薄暗い顔をした者たちがひしめきあい、ネズミたちは隅のわずかな隙間に身を寄せ合って順番が来るのを待つ。
ここにいるのは幸福度が規定値ギリギリの者、規定値には及ばないが上昇傾向にある者、そして幸福回収人である。回収人は職業柄、幸福誘発物を目にすることが多いため、幸福度が著しく低く、かつ上昇の見込みがない者しかなることができない。というよりも、そのレベルまで不幸が運命づけられている人間には幸福回収人以外の仕事なんて用意されていないといったほうが正しい。幸福過ぎるやつは隔離を。不幸なやつには回収人を。ほどよく幸せな人間には幸福度を常に気にしながら生きていく義務を。この世界は不自由を軸に回っている。
「おい、例の噂、知ってるか?」
ネズミたちの前に待機していた回収人仲間が話し合っている声が聞こえてきた。
「噂って、あの極楽党とかいう連中のことか」
極楽党。その名を耳にした途端、ネズミたち三人は顔を見合わせた。お互いの顔に緊張の色を認めつつ、三人は話に耳を傾ける。
「やつら、不幸狩りと称して、幸福度が低い連中をリンチして回ってるらしい」
「何だよそれ。そもそもどうやって通行人の幸福度を測定するんだよ」
「携帯式の測定器を使ってるんだってさ。ほら、リーダーは確か保護区の人間だろう。だからそういう道具を融通できるんじゃないかな」
「そうまでして不幸な連中をいじめて何になるってんだ」
そこまで話したところで片方の男が呼び出され、人混みをかき分けて検査室へと向かっていった。ネコは残されたほうの男に「ねえ」と話しかけた。
「さっきの極楽党とかいう連中の話、詳しく聞かせてよ」
男は怪訝な顔で振り返ったが、ネズミと目が合うなり「おお」と笑った。ネズミは男の名前こそ知らないが、何度かシフトが被ったことがあったので互いに顔を知っていた。
「おまえらも極楽党のことが気になるんだな」
「まあね。僕らにとっては他人事じゃないし」
ネズミは苦笑交じりに言った。
「あいつらは自分たちのことを政治団体だと言い張っているが、その実やってることはテロリストと変わらないぜ」
男が言うには、極楽党は幸福虫が不幸な人間の脳内から発生するという説を提唱し、幸福度の低い人間をこの世から一掃することで幸福虫を絶滅させようとしているらしい。党首の獅子堂は保護区出身。つまり幸福虫の脅威から隔離された特別区域で生まれ育ったエリート市民で、区外の人間、特に幸福度が低い者たちに強い差別意識を持っていて、不幸な人間は全員死ねばいいと公言している。とはいっても、獅子堂がわざわざ保護区の外に出てくるとも思われないから、区外の支持者たちに物資と資金を提供して好き放題やらせているのだろう、と男は結論づけた。
「極楽党の奴らは背中に曼荼羅の刺繍を入れた制服を着て、学生帽みたいなのを被ってるらしいから、見たらすぐにわかるはずだ」
「どうしてそんなことまで知ってるんだ?」
ネズミの質問に、男は言いにくそうに答えた。
「隣町にあらわれたんだ。極楽党の人間が。まだ被害が出たって話はないが、時間の問題だと思うね。それと、ジングルベルが鳴ったら気をつけろ。あいつらはジングルベルを鳴らしながら町を巡回している」
検査を終えたネズミたちは朝市の屋台に朝食を食べに行くことにしたが、そこでも極楽党の話題になった。
「幸福虫が不幸な人間から生まれるなんて、とんでもないデタラメだ。だって、幸福虫って寄生虫なんだろう。不幸から生まれる寄生虫なんて、僕でも嘘だってわかるぞ」
モグラはムスッとした顔で言うと、肉まんを口いっぱいに頬張った。
「確かに幸福虫は寄生虫だという説が有力だけど、実際のところ詳しいことはまだわかっていない。ウイルスだと主張する学者もいれば、大気汚染が原因だと言い張る活動家もいる。ただひとつわかっているのは、幸福虫に侵された人間は決して助からないってことだけだ」
ネズミは熱々の肉まんを冷たいウーロン茶で一気に流しこんだ。仕事終わりにこの屋台で肉まんとウーロン茶を頼むのが三人の日課になっている。モグラはいちばん年下だが食い意地だけは誰よりも張っていて、いつも二つ目を食べたがるのだが、お金がないのでネズミが奢ってあげている。
「ごめんよ。いつもご馳走になってばっかりで」
「いいんだ。おれもいつも頼みごとをしてばかりだから、おあいこだ」
ネズミはズボンのポケットにしまってあったものをモグラに手渡した。それは仕事中に路地裏で回収した古い携帯ゲーム機で、重度の幸福誘発物に該当するため猿田に提出しなければならないところをこっそり懐に忍ばせたのだった。
「そんなもの持ち帰って、バレたらどうするの」
ネコが咎めるような眼差しを向けた。
「大丈夫だよ、バレないって。なあ、こいつを直せそうか?」
モグラはゲーム機をためつすがめつ眺めてからニッコリと笑う。
「いつもより少し時間はかかるけど、できると思う」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
朝食を終え、モグラと別れたあと、人の往来が増えた目抜き通りをネコと二人で歩く。
「ねえ、本当はいらないのに持ち帰ったんでしょ。モグラが負い目を感じないように」
ネコは余ったウーロン茶を飲み干し、口に含んだ氷を噛み砕いた。何がとは明示しなかったが、先ほどのゲーム機のことを言っているのは明らかだった。
「ゲーム、やってみたかったから。ただそれだけだよ」
俯いたまま答えたのは嘘がバレるのをおそれてか、あるいは後ろめたさからかネズミ自身にもわからなかった。
「猿田に知られたら、注意どころじゃすまされないよ。回収人の仕事だってクビになるかもしれない。そうなったら、私たちの夢はどうなるの?」
夢。その言葉を聞いた途端、ネズミは心臓をチクリと刺されるような痛みを感じた。
「怒ってるのか?」
「別に怒ってない。モグラはいいやつだし、私だって兄さんの立場ならそうしたと思う。だけど、私たちには夢があるってことだけは忘れないで」
そうだ。ネズミたち兄妹には夢がある。二人で一緒に保護区へ移住するという大きな夢が。保護区は幸福虫の危険から無縁で、しかも永遠の幸福が約束されているのだという。二人はそこへ行くために回収人の仕事をひといちばい頑張って、お金を貯めて、幸福度を上げて、少しでも身綺麗になろうと努めていた。だが、回収人の稼ぎでは目標の金額まで何年かかるかわからないし、毎日行われる幸福度測定ではいつも最低ランクを叩き出して係員から笑われている。持たざる者はどれだけ頑張っても手に入れられない。不幸なやつはどこまで行っても不幸のまま。耐えがたい不条理を数値化される日々に心底うんざりしていた。
『おまえは不幸に愛されているんだよ』
記憶の片隅に追いやっていた言葉が風船のように膨らんで、頭のなかを占領していく。それは痛みに似た感覚を引き起こし、ネズミは思わず顔をしかめた。幸福虫に食われるときもこんな気分なのだろうか。だとすれば、この頭は不幸の虫に喰い荒らされて、いまに黒い血を吐き出すのではないかと思った。
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