交流

ピピピ、ピピピ、ピピ。

アラームを止めて、のそりと起き上がる。7時。音楽をかけ、着替えを済ませる。昨日のことを考えながら朝の支度を済ませる。めぐちゃん。かわいい子だった――そして能力者でもある。

罪悪感が一気に広がっていく。

ドライヤ―に集中して、その感情が引いていくのを待つ。今日も会えるかな。


「あ」


テーブルの端に置いていたペットボトルが腕に当たって転がっていく。

あれ、また視界狭くなったかな。

不安感。

視界の狭まる速度が速くなっている気がして、

黒い靄が頭の中に広がっていって、

呼吸が荒くなっていって、

ペットボトルは転がっていって、

胸が苦しくなっていって、


「大丈夫......大丈夫......大丈夫大丈夫大丈夫」


息を吐け、吐け、吐け。


「はぁー」


酸素が足りなくなって、

反射で息を吸って、

また吐いて、吐いて、吐いて――

――幾度か繰り返すと、靄はもう消えていた。




教室に着き、本を取り出す。本は理解できるぎりぎりのものか、想像力を必要とするものがいい。そういうものは頭の中を言葉で埋めてくれるから......余計なことを考えずに済むから。

授業、読書、授業、読書、授業、昼食。屋上に出て、持ってきたお弁当を食べる......なんか味薄いな、ちゃんといつも通り、計って作ったはずなのに。

この時期、屋上は少し寒くてあまり生徒がいないのがいい。早々に食べ終えまた読書。私はクラスメイトから、というか学校中から腫れもの扱いされている。というか怖がられている。私がスラムを出入りしているという噂があるからだろう。実際それは正しい。

チャイムが鳴って私は教室に戻る。途中で担任の先生につかまり、昨日さぼったことについてお叱りを受ける。


「なんであなたはそうなの」

「遺伝じゃないですかね」

「馬鹿なこと言ってないでちゃんと出なさい。もう、あなた以外の人はちゃんとやってるのに」

「それが異常だと思うんですけど、昔はそうじゃなかったでしょう?」

「今は普通なのよ。あなたもいい加減、適応しなさいよ」

「自由は基本的人権だと思うんですよね」

「倫理のない自由は制限されなければならない」

「人倫宣言ですよね。わかってますよ。能力者――失礼、SPSを発症した場合、どうやってるのかは知りませんが、どこからともなく管理局がやってきてDS《ダス》を強制的に取り付ける。この、発症から管理局の到着までの間に能力――主作用を使われないように、という名目で日本政府は倫理教育に力を入れ始めた。結果として生まれたのがあの『普通』を異常に求める従属主体化された有象無象」


いじめも差別もするくせに倫理とか、ちゃんちゃらおかしいと思うけど。というかそのせいで差別がひどくなったんじゃないかな。普通であることにこだわるせいで、そこから外れたものが目について、だから、彼らを排斥するようになった。


「よくわからないけど、そんな言い方ないでしょ?灯火さんは『頭は』いいんだから、もったいないわよ」

「いいんですよ。確かに入試や就職に内申点、特に生活態度が大きく影響するのは知ってますけど、私には関係ないですし」

「関係ないって、あと2年したら卒業なんですからね。ダラダラしてるとすぐに卒業よ?早く大人になりなさいよ」


そう言って担任は立ち去って行った。なんか授業受ける気が失せたな。帰ろ。



帰り道、いつもの業者からたばこを買う。ここはスラム。浮浪者が集まり、表に出せない物や情報が行き交う。当然危険だが武道の心得はあるし、武器も持っているから多分大丈夫。とはいえ、もうそろそろ行くのをやめたほうがいいかもしれない――以前よりも死角が増えたから。


駅に向かい、改札を抜けて、ちょうど停まっていた電車に乗り込む。時間も時間だからか結構空いている。私の地元と違って高齢者以外にもスーツ姿の人やきれいに着飾った女性もいたりする。みんな、似たような体型をしていた。標準体型。普通の形。SPS戦争が社会を変えた。能力者になった人間の一部はその力をむやみにふるって街を破壊した。いまだに能力者になる原因はわかっていないとされている。けれど共通点はあった。彼らはみな、程度の差はあれ普通ではなかった。何かに秀でていたり、あるいは落ちこぼれだったり。とにかく何かがずれていた。いつしかそれは逆転した。つまり、普通じゃない人間が能力を得るのだ。こうして出来上がった今の社会は、まるでパノプティコンだ。みんながみんなを監視しあう。互いがちゃんと普通をやれているかを。そうして自分たちが普通であることを確認し合い、安心する。あるいは、普通でないものを攻撃することで自分は普通なのだと思い込む。めぐちゃんは、そんな、普通を追い求めるこの社会の犠牲者になってしまったのだろう。


なんて、他人事みたいに、


どの口が言うんだ。




高台に着いた。疲れたな。ベンチに座り、本を取り出す。私はいつも帰り道はここに立ち寄る。しばらくページをめくり、煙草に火をつけ人心地つく。


「....の」


かすかに声がして振り返るとめぐちゃんが立っていた。今日も制服をしっかり着ていて、スカート丈も校則通りだ。リボンさえつけていない私とは大違い。


「お、来てたんだ」

「は、...い。って、またタ...コな......吸って」

「これがないと生きていけないんだ」

「....依存症じ......で....。大変だと思.....す...禁煙、頑張りましょう?協力...ます...」

「めぐちゃんはいい子だなぁ。ほら、ここ座りなよ」


そう言って隣をとんとんとする。めぐちゃんは、素直に従ってぽすんと腰を下ろした。私は腕を伸ばしてめぐちゃんの頭をなでる。この距離ならはっきり聞き取れる。


「な、なにするんですか」

「いい子だなぁと思って」

「だからってこんな......」

「いやだった?」

「いやじゃ......ないですけど」


顔を赤く染めてめぐちゃんは言う。相変わらず視線はこちらを向いていて、だから顔を背けることもできなくて恥ずかしいのだろう。その瞳はどこか不安げに揺らめいているようで、だから私はめぐちゃんを抱き寄せた。


「ちょっと!?」

「これなら話しやすいんじゃない?」

「で、でも」

「こうやって拘束してれば視線は固定されないみたいだし」

「そう......ですね。ごめんなさい」

「なんで謝るのさ、君のせいじゃないよ」

「はい......ごめ―」

「だから謝らない」

「――わかりました......あの、そろそろ名前聞いてもいいですか?」

「チクらない?」

「チクりません」

「灯火だよ」

「苗字は――」

「名前でいいよ。敬語もいらない。私のほうが年下だし」

「えっ!?」


私がリボンをしていないせいで学年が分からなかったのだろう。めぐは驚いた様子で目を瞬かせる。


「驚いた?」

「はい......だって、だったら、なんでこんな......」


言いかけて、口を閉ざしためぐの言葉を継いで、いたずらっぽく言った。


「お姉さんみたい」

「べ、別にそんなこと」

「えー。まぁ、嫌だったら止めるけど......どうする?」

「そ、それは......やめ......ないで」


相変わらず顔を胸に押し付けながら、めぐちゃんは言った。かわいい。かわいいのイデアだよ。やばいよ。


「めぐちゃん、末っ子でしょ」

「確かにそうですけど......あと、めぐちゃんはやめてほしいです」

「なんでー」


顔を胸にぐりぐり押し付けながら言った。「い、息が」おっとまずい。少し離すと、めぐちゃんが答えた。


「......だって子供みたいじゃないですか」


拗ねたようにめぐちゃんは言った。


「かわいい」

「へ――うぐっ」


めぐちゃんを抱きよせ撫でまくる。胸の中でうなる声が聞こえるがスルーだ。今はこの可愛い生き物を愛でるのだ。「や、やめてください、よっ」めぐちゃんはそう言って私を突き放した。ぜえぜえとこちらを凝視しながら、


「だから、めぐで!お願いします。年上ですし、ちゃんはちょっと」

「仕方ないなぁ」


ピロン、通知音が鳴ってめぐはポケットからスマホを取り出す。「あ」そう言って立ち上がった。


「どうしたの?」

「施設からで、今日夕飯早く作って欲しいって頼まれてて」

「施設?」

「あ、はい。すみません、もう行かなきゃ」


めぐは立ち去ろうと数歩歩き、振り返って戻ってきた。


「あ、あの連絡先交換しませんか?」

「お、おぉ。いいよもちろん」


久しぶりにラインを開く。


「友達0人......」

「いやー最近の携帯って難しいよねー」

「はぁ」


めぐに呆れられてしまった。家族もいないから誰ともラインする人いないんだよ仕方ないんだよと無意味に一人で言い訳をする。

無事に交換を終え、「ま、また明日」とめぐは手を振ってくれた。私も手を振って「またね」と返す。

こんな幸福な気分になったのはいつぶりだろう。ここ数年は、私の『代償』があったことで、人と関わるのを避けていたから、めぐとの会話がすごく楽しい。

でも、私に未来なんてないのに、仲良くなっていいのかな。




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