外側

今日も今日とて『世界の端』へ向かうと、ベンチには先客がいた。


「あれ、早いね」

「あ、灯火さん」


ベンチに座り、めぐの方に視線を向ける。いつものように、めぐは首を不自然にこちらへ向けた。めぐは顔を一瞬申し訳なさそうにして、体もこちらに向ける。


「ごめんなさい、いつも」

「謝らなくていいって、前に言ったよね」

「ごめ――はい」


顔をうつむかせることもできずに、不安そうに体を震わせている。今日は月曜日で、休日の間、めぐとは会えなかった。久しぶりに会って緊張しているのかもしれない。私は前と同じように、めぐを抱き寄せ視界をふさいだ。


「これで話せる?」

「は、はい......やっぱり、たばこの匂いしますね」

「あー、ごめん」

「い、いえ。別に嫌っていうわけでは、これも灯火さんの匂いですし」

「どういう意味?」

「い、いえ、なんでもないです。そ、そういえば、灯火さんは趣味とかありますか?あ、たばこ以外で」

「露骨に話を逸らしたな、まぁいいけど。うーん、読書かな」

「どういう系統のものを読むんですか?」

「あんまりこだわりはないな。しいて言えば頭使うものがいい」

「頭を使うもの?」

「そう、推理小説とか、哲学系の本とか、あるいは、詩的なもの。論理的にでも、空想的にでも、とにかく頭を使わなきゃ読めないようなものが好き」

「あぁ、イメージ通りかも。灯火さんって頭よさそうですもんね」

「今までそんなイメージ与える要素あった?」


めぐは「えーと」と思案気に言って、


「ないですね」

「だよね」

「でも何となくそんな気がして」

「直観がさえてるね。まさに、私は頭がいいんだよ」

「そう言われると、頭悪そうですね」

「うるさいよ。私に抱きしめられてる分際で。おらおら」


言いながら、めぐの頭を撫でまわす。


「ちょっと、やめてくださいよー」


あはは、と笑いながらめぐは手を払いのける。


「めぐはないの?趣味とか、好きなこととか」

「趣味、とまでは言えないですし、好きと言えるのかもわからないですけど、最近は本を読むようになりました......というかそれぐらいしかすることがなくて」

「そっか、どういうのを読んでるの?」

「適当ですね。電子書籍で面白そうなのを探して読んでるだけです。私は頭良くないので簡単そうなのが多いですけど」

「そうなんだ」

「はい.......」


やば。会話が終わってしまう。数年まともに会話していなかった弊害がここにきて出てしまったようだ。どうしたものか――あ、そうだ。


「ここっていい景色だよね」


私は『黒い靄』に手を向けてそう言った。


「そ、そうですね。街を見下ろせて、偉い人になった気分になります」

「人がごみのようだ~って?」

「そんな感じですね」

「わかる。じゃあ写真でも撮らない?」

「写真ですか?いいですよ」

「よし、じゃあほら」


そう言ってめぐの手を取り柵に近寄る。スマホを取り出しインカメラにする。


「こんな感じかな」

「もっと右のほうがいいんじゃないですか?」

「わかっ――」

「あ、行き過ぎ――そう、そこです」

「じゃあ撮るよ」

「はい」


掛け声とか言った方がいいんだろうか。めぐ、写真慣れてそうだし、かっこ悪いところは見せたくないところだけど......まぁいっか。


「笑って笑って――撮るよ」

「はい」


私はそう言ってスマホをタップした。


「撮れた」

「見せてください」


その写真を見て、私の心は締め付けられた。私たちが二人で、笑いながら並んでいる。その背後には、夕日に照らされて紅く染まった住宅街と、雄大な山々が広がっていた。


「おぉ、きれいに撮れてますね」

「う、うん」


こんな景色だったんだ。私はこれをもう、見ることができないのか.......


そしていつかめぐのことも――


感動と失望と悲しみと恐怖が一気に押し寄せてきて、私は思わずしゃがみ込んだ。


「どうしたんですか!?」

「い、いや、急にふらっとしちゃって、大丈夫だから」

「で、でも、じゃあとりあえずベンチに――」


そう言ってめぐが私に手を貸してくれる。その手を取ってベンチに座って顔を伏せた。


「ねぇめぐ」

「なんですか?」


優しい声音でめぐは言う。


「ごめんね」

「別にいいんですよ。お互い様です.......気持ち悪いとかないですか?」

「うん、体調は悪くないよ......ほんとにごめんね」


怖い。いつ、めぐの顔が見えなくなるんだろう。いつ、めぐの声が聞こえなくなるんだろう。いつ、めぐに触れられなくなるんだろう。そうなったら、私はきっと――

でも、その時めぐは何を思うんだろう。悲しんでくれるんだろうか。

悲しんでほしい。

そう思っている自分を自覚して、乾いた笑いが出た。めぐが心配そうにこちらを見つめる。


「灯火さん」


私を元気づけようとしたのか、いつもより明るい口調でめぐが言った。


「私がなんで敬語やめていないのかわかります?」

「え、癖とか?」

「それもありますけど、一番の理由は、灯火さんのこと、尊敬してるからですよ」

「え?ほんとに?」

「はい。初対面の人にいきなり怒鳴られたのに、怒るでもなく無視するでもなく、背中を撫でてくれて。今もこうやって私の話に付き合ってくれていますから」

「別に大したことじゃ――」

「大したことですよ」


食い気味にめぐは言った。


「普通の人にはできません。それにたばこ吸っているのも――やめてほしいとは思いますけど、でも誰かの迷惑になってるわけでもないですし、そういう規範を逸脱するというか、普通じゃなくなることへの抵抗感みたいなのがなさそうですごいなって思います」

「たばこ吸うのは褒められたことじゃないけどね。副流煙とかもあるし」

「でも、そういうの気を付けてますよね?」

「まぁうん」

「だったらいいと思います。私としては、灯火さんに早死にされたくないのでやめてほしいですけど」

「それは申し訳ない」

「いいですよもう」


笑いながらめぐは言う。いつの間にか私は下を向くのをやめていて、めぐの目を見て話を聞いていた。


「だから、尊敬してます。私と違って、強いなって思うから」

「別に強くはないよ。普通にできないだけ。開き直ってるだけだよ」

「それがすごいんですよ」

「そうかな」

「そうです」

「......そっか」


私なんかをそんなふうに言ってくれる人がいるんだなと、信じられないような気持ちで、その言葉を受け入れた。胸にモニョモニョした、くすぐったいような感覚が広がっていく。

これが幸福とよばれるものなのかもしれない。

そう自覚した途端、別のわたしが囁いた。


お前が幸福になっていいわけないだろ?

 



めぐが帰ってから、しばらく読書をしていると日がだいぶ傾いていた。私もそろそろ帰ろうかな。そう思って、バッグに本を仕舞おうとした時、後ろに誰かが立っている気配がした。


「南本灯火だな」

「どなたですか?」

「管理局、と言えばわかるか?」


ふっ、と息が止まった。ついに彼らが来てしまったらしい。


「なんのこと――」

「知っているか。SPSは発症の際、特有のエネルギーを発生させる。10年前、ある『場』が世界全土を一瞬にして覆った。その強度は微弱なものだったが、その後、散発的に世界各地で、強度がピークに達する地点が観測され、そして、そこではかなりの確率でSPSの発症が確認された。これまで、我々はこれを利用して、『発症者』の特定をし、DSPSDを取り付けることで管理してきた。しかし、『場』の発生源は特定しきれなかった。それは我々のSPSに対する知識が不足していたからだ。しかし、長年の研究の結果、やっと、その発生源を特定することができた。それがお前だ」

「そんな昔の記録、いったいどこに――」

「どこにでも、と言っておこうか。今の時代、監視できないものなどないのだよ」


いつだったか、某国の諜報組織が世界の通信を秘密裏に傍受していたことが暴露されたことを思い出す。


「まぁ、強度のピークに必ず発症者が現れるわけでもないことや、ここ数年、特に日本のような倫理教育が浸透した国において、発症件数が増加している理由は謎なのだが――何か知らないか?」


体が急速に冷えていく感覚。けれど、予想していたよりは驚きは少なかった。いつかこんな日が来るだろうと思っていたからかもしれない。


「知らないよ」

「そうか」

「私をどうする気」

「どうもしない」

「え?」

「残念ながら、私たちの組織、ひいてはその上の連中は、『話し合い』の結果、君を監視するだけにとどめることにした。藪蛇になっては困るから、だそうだ。君を殺せなくて本当に残念だよ」

「そう」


これも想定していたことだ。私の能力を完全には把握できない以上、手を出すのは危険と判断するのは当然だろう。監視していることを告げてきたのは、牽制が目的だろうか。


殺すという判断をしていたとしても私は抵抗する気がなかったけれど。


確かに、最近はめぐのおかげで楽しくやれているけれど、だから、死にたくないという気持ちは確かに強まっているけれど、

それと同時に、早く死んでしまいたいという気持ちも強くなってきている――今の日々が失われてしまうという確定した未来に怯えている。


「私個人としては、君のことを拷問にでもかけ、さんざんに苦しめてから、殺してやりたいと思っているのだがね」


男はどす黒く濁った瞳で、そう言った。


「ごめんなさい」


そう言うと、男はちっと舌打ちをして、憎々しげにこちらを睨みつけてから立ち去った。

日はいつのまにか落ちていて、黒い闇が空を覆っていた。




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