私の日常

引かれなかったな。あの人のことを思い出す。私が一切目を離さなくても、気味悪がらずに平然と話してくれた。

それに......あんな......慰めるように抱きしめられて――

思い出して、顔が熱くなる。赤の他人に何してんだろ私。そんなになるまで追い詰められていたのかな。でも、そのおかげで今はすっきりしている。別に何も解決していないけど、胸の中のもやもやが薄まった気がする。

そんな風に思考に意識を取られていた。

――だから、顔をいつもより上げてしまっていたことに気づけなかった。

視界に人が入ってくる。

あーあ、油断していたからこうなる。

こちらに向かって歩いてくる。見知らぬ他人だ。通り過ぎるだろう。けれど私の視線はその人に固定される。

あぁ、だよね。知ってる。

その人が気味悪そうに、足早に立ち去る。

私だってやりたくてやってるわけじゃないのに。

もう、ずっと目を閉じていたい。でも、目を閉じていても無駄だ。目を閉じていても、目が開いていたなら視界に入っているだろう人に合わせて、首が勝手に回る。さすがに物理的に不可能なぐらいに動くことはないけれど。

だから、対処法はずっと、足元を見ることぐらい。

こうして私の世界は狭く、狭く、封じ込められた。

そうやって、『視界』内の人間に視線が固定される。それが私の『副作用』だった。『SPS発症者』はみな、危険な能力――『主作用』を得ると同時に『副作用』を獲得する。それは総じて、私たちを苦しめるものだった。

DS《ダス》によって、『主作用』を封じられた私は、こうして、ただの異常者になった。




「ただいま」


奥の方で笑い声が聞こえる。私はそちらへは向かわずに階段の方に足を向ける。

すると奥から足音が聞こえてきて、私たちの保護者、星住さんが現れた。首が機械みたいにいびつに回る。彼女は顔を一瞬引きつらせて、


「あ、あら帰ってたの?お風呂掃除頼んだわね」

「わ、わかりました。着替えたらすぐします」


そう言って部屋に入り扉を閉める。一気に力が抜けて、ベッドに倒れこむ。体が沈んでいく。このままずっとここで過ごしていたい。でもそんなことはもちろんできなくて――とにかく早く着替えてお風呂を洗おう。


お風呂掃除を済ませ、部屋に戻り、宿題をする。勉強は好きだ。新しいことを学ぶのは、世界が広がるようで面白いと思う。でも、私は最低限の勉強しかしない。勉強が好きなのは普通じゃないから。普通じゃないものは攻撃されるから。うちの学校はテストの成績上位者を張り出すという悪しき慣習がある。もしそれに、私の名前が載ってしまったら、いじめがひどくなってしまうんじゃないかという、不安が拭えないのだ。

トイレに行って、水分でも補給しようとリビングへ向かうと、そこにはラップされた料理が置いてあった。


「適当に温めて食べてね」

「はい」


ほかの子たちはテレビゲームをしている。温めてと言われたけど、ここに居たら彼らに何かされそうで怖い。星住さんがリビングを出ていくのに合わせ、私は料理を持って部屋に戻ろうとする。しかし、その時、足元を向いた視界の端で、彼らのうちの一人が立ち上がり、こちらを向いたのが見えてしまった。

勝手に視線が釘付けになる。

まるで誰かに操られているみたいに。


「うわ、居たのかよ。こっち見んなブス」


そう言って彼は歩いてくる。私は体をこわばらせ、無意識に身構える。通り抜けざまに、案の定、彼は私のお腹を殴りつけた。


「うっ」


思わず声が出てうずくまる。けれど、顔はまだ、彼の方を向いている。


「気色わる」


吐き捨てるようにそう言って彼はトイレへと向かった。頭が解放されて自由に動くようになる。よかった。料理は落とさなかった。足早に階段を上って部屋へと戻る。ラップを取って、食べ始める。冷たい。冷たいなぁ。涙があふれてきた。あぁ、あの人のせい。あの人のせいで、私は弱くなってしまったみたいだ。せっかく、私の心は固まって何も感じなくなっていたのに。あの人のせいで溶かされてしまったみたい。あぁ、でも、また、会いたいな。







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