【二】雄鶏の鳴く朝

 金切り声を聞いた日の、前日の朝。まだ何処かで雄鶏おんどりが喚いているような時間に、私は鳥居の周辺をほうきで掃除しに出た。空気が澄んでいて清々しく、朝の匂いや音々が、私に「おはよう」と挨拶する。


 コケコッコー、コケコッコー。

 うん、おはよう。


 ここは、高祠之国こしのくにの北東部にあるさびれた神社、八岐神社やまたじんじゃ。宮司の大河たいがという殿方が、私みたいな孤児みなしごを保護し、共同生活を——コケコッコー——送っている場所だ。大河——お父さんの話によると、私は神社の南にある桜並木の下で「おんぎゃあ、おんぎゃあ」って独り泣いていたらしい。


 コケコッコー。


 桜の下で拾われた孤児だからというすこぶる安直な理由で、私は桜華おうかと名付けられた。髪の毛も桜色なことだし、この名前はまあまあ気に入っている。


 コケコッコー。

 うるさいね、さっきから! 今、私が喋ってんの!


 私ともうひとり、孤児姉妹の小町こまちは十五歳で、この神社では今のところ末っ子。前は年下の赤ん坊も何人か居たけど、病気で亡くなったり、「赤ん坊なら」と引き取る里親が現れたりした結果、こうなっている。孤児のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちはみんな優しい。生活は楽しくて幸福だし、お父さんに拾ってもらえてよかったと、心の底から思えた。お。噂をすれば、お兄ちゃんたちの登場だ。


「あれ、あの桜華ねぼすけが早起きして掃除してる! 今日は槍が降るぞ!」


 おい、あとで本殿裏に来い。

 たった今、青天の霹靂に打たれたこのお兄ちゃんは、吉平きっぺい。いつも声が大きく、蘞辛えがらっぽい。平生は優しいけど、少し喧嘩っ早いところがある。


「や、やめなよ吉平。桜華だって、自分を変えようと頑張ってるんだから」


 ん? んんん? この、褒めてくれてるのか貶してくれてるのか判らないお兄ちゃんは、宣長のりなが。物腰柔らかく静かで、吉平とは真逆みたいな人だ。それでいて、血気盛んな吉平をなだめる能力に長けている。


「お兄ちゃんたち、狩りに行くの?」


 吉平は弓矢を、宣長は釣り竿と籠を持っている。訊くまでもなく、今日のご馳走を獲得しに出るのだろう。私からの問いを受け、吉平は腰に手をあて、いかにも「えっへん」と言いたげな様子で答えた。


「おう! 俺が出るからには大収穫間違いなしだ! 首を待っとけよ!」

「吉平、首をの間違いだよ」


 なんでご飯を楽しみにしただけで、斬首されなきゃいけないのよ。

 がははがはは。そう誇らかそうに笑いながら、吉平は鳥居をくぐって狩りに向かう。慌てた様子で、宣長は彼を追いかけて行った。

 コケコッコー。

 雄鶏たちも、お兄ちゃんたちに激励の応援歌を歌っている。


 それなりに長い時間掃除をしていたが、掃いても掃いても土煙が出続ける。私は「参拝客なんて来やしないのに」と、永劫に湧く塵芥ちりあくたの出所を問う恨み言を放った。特に鳥居横にある桃の木の周辺は異常で、土の量はたぶん、不可説転ふかせつてんの彼方ほどあるんじゃないかと思う。

 野卑やひ執拗しつこい不埒者の殲滅に意固地になっていた折柄、出し抜けに声をかけられた。


「桜華」


 前に声の主は見えないので、私は振り向く。音吐朗々と、朝いちばんとは思えない爽やかな声で私を呼んだのは、小町だった。


「何してんの?」

「何って、掃除よ」


 心外極まりないわね。

 小町は目を薄くしか開いておらず、何か奇妙なものを見ている風だった。鳥居横の掃除に終始する偏執狂へんしゅうきょうに、しかしたら呆れているのかもしれない。そうでなく吉平と同じ心持なら、小町、あんたも本殿裏に来い。

 そんな私の内心など露知らず、小町は事も無げに言う。


「朝御飯を食べて、あたしとあんたはお勉強だってさ。お父さんが呼んでたよ」


 ここの孤児たちはみんな、お父さんから基本的な読み書きと計算を教わる。神社を出て独り立ちした時に、恥をかかないように、との事らしい。読み書きは基本として、計算もできれば、高祠之国こしのくにでは食い物に困らないで済むんだって。もちろん、私もここの孤児だから教わってるよ。うん、教わってる。


……できるとは言ってない。


「はいよ、行こっか」


 有象無象、魑魅魍魎の全滅は諦め、私は白旗を振った。お勉強は憂鬱だが、朝御飯が待っているなら話は別だ。歩き出そうとした折、ふいに、頭上で何かが舞っているのを認めた。見るとそれは、濃い緑色をした楕円形で、四寸くらいの小片ふたつだった。


だ……」


 小町がつぶやいた。彼女の言葉通り、その緑は桃の木から乖離したものらしい。奇妙にもそれは、私と小町それぞれの胸元に向かって落ちてきた。なんて淫靡いんびな葉っぱだろう。私も小町もその葉を手に取って首を傾げ、不思議なこともあるもんだね、という意思の目配せをする。不思議がりながらも、神秘的な出来事に、私の心ははなやいだ。


 ぐうう。


 ……前触れもなく唐突に、奇怪な重低音が鳴り響く。私はそれに、えも言われぬ恐怖を感じ、さっさとお祓いあさごはんへと歩みだした。


「桜華、あんたお腹なっ——」

「ちょ~っと静かにしようね、小町ちゃん?」


 はしたなく真実を指摘しようとした小町を遮ると同時に、顔面に僅かな熱を感じた。兄弟姉妹から「おてんば娘」と称されがちな私にだって、恥じらいくらい、いっちょ前にあるっての。


 コケコッコー。

 雄鶏うるさい。


 小町と駄弁りながら境内を歩き、享楽の頂に浸る私。それとは裏腹に、蒼穹そうきゅうには、怖いほどに真っ黒な綿わたが見えた。


 ——どうも、雲行きが怪しい。

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