【三】神隠しの噂

 売り場に戻ると、ちょうど京都がお客さんを見送ったところだった。


「あれ、もう休憩終わり?」

「うん。休むより体動かしたくて」

「そっか。でも、無理はしないでね」

「あんがと」


 それからしばらくお客さんを捌いていると、草餅とみたらし団子が品切れに。「あらら」と、少し残念に思った。後者は小町の大好物だから、余ったら買って帰ろうと思ってたのに。


「ねえ、桜華ちゃん」


 お客さんが来なくて暇していると、京都が何やら忍び声で話しかけてきた。


「うん?」

「おば様方の井戸端会議で聞いたの。あのね、変な話かもしれないんだけど……」


 何やら奇妙な話をするらしい。京都はもう一度よおく店内を見渡した。本当にお客さんがいないか如何どうかを確認したと見える。


って、知ってる?」


 本当に変な話だった。それまでにも雑談はしていたけど、それとは全く無関係で、何の脈絡もない。


「神隠しって……あの、人が居なくなっちゃうやつ?」


 私はそう、一般的な神隠しという言葉の定義を以て聞き返した。京都はいっそう神妙な顔になって答える。


「そうそう。実はその神隠しが、最近、高祠之国でよく起きるんだって。怖くない?」


 迷子、家出、失踪、夜逃げ、誘拐、口減らし……。神隠しの正体なんて、所詮はそんなところでしょ? そう思っているのは、私だけじゃないはず。原因が分からない行方不明を恐れたから、昔の人はそんな物々しい名前を付けたんだと思う。現代の高祠之国で、神隠しを迷信や神秘の類だとするのは、ちょっと如何どうだろう……。


「まあ、不気味だとは思うけど」

「でしょでしょ⁈」

「うわびっくりした」


 京都が突然声量を上げるので、心臓しんのぞうがきゅっとなった。私の様子を見て冷静になったのか、京都はまた声を潜めて「ごめんごめん」と繰り返し謝っている。


「それで、その神隠しなんだけどね」


 話にはまだ続きがあるらしい。気を取り直して、「うんうん」と耳を傾けた。


「高祠之国の……西で起きてるらしいの」

「へえ、南西部でね」


 一瞬、京都がなんで溜めて言ったのか分からなかった。でもその直後、私は遅れて意味を理解する。高祠之国南西部。それはつまり、


「ってこの辺じゃん!」

「うわびっくりした」


 私が突然声量を上げたので、京都の身体がびくっとなった。その様子を見て冷静になった私は、「ごめんごめん」と頻りに謝る。いや、仕返しのつもりは無いよ。それはそれとして。京都が語る神隠しとやらは、高祠之国南西部——即ち、お菓子屋や廃屋があるこの地域で発生しているのだという。


「なんでも、十五歳くらいの女の子が消えちゃうらしいよ」

「ほんとにぃ?」


 そんな狙い撃つかのような神隠しが在るのだろうか。とは言え、今の情報を聞いて、京都が気にするのも無理は無いなと思った。理由は単純で、彼女が今、十四歳だからだ。十五歳くらいと含みがある以上、京都がその神隠しに遭う可能性は否定できないわけだからね。待って。十七歳は、十五歳くらいに含まれるのかな? 途端に、廃屋に居る小町は大丈夫だろうかと心配になってきた。


「ほんとだって。現に、何日か前にも十五歳の子が居なくなっちゃったらしいよ。確か、何処かに水汲みに行った子だったと思う。尻もちをついたような跡と、ふたつの手桶だけが残されてたんだって聞いた気がする」


 それはもう神隠しというか、本当の誘拐事件なんじゃないのかな。だとしたら、奴らが解決に向けて動いてるはず。


防人さきもりは何してんの?」


 防人っていうのは、高祠之国内で治安を維持したり、下手人をしょっ引いたりする組織だ。それから、他所の国との関係における有事の際には、国防を担うらしい。今のところ、後者で動いたという話は聞いた事が無いけどね。


「防人も警戒はしてるらしいんだけど、何も分からないんだって」

「……ふうん、使えな」


 思わず呟いてしまった。自分でも驚くくらい、低い声だった。よほどけんのあるように聞こえたのか、京都は目を見開いている。


「それでね、神隠しは何件も立て続けに起きてるんだけど、さっき話した水汲みの子が一番わかりやすい事例らしくて」


 びっくり仰天した。漠とした事件の中では、さっきの一例が最も判然としているらしい。いやあ。十分——十二分に意味不明だけどね。慨嘆する私に、京都は説明を続ける。


「水辺で起きた失踪だから、一連の出来事は概して……の仕業だって言われてるの」


 なるほど、河童、河童の仕業ね。うん。それなら確かに意味不明な出来事も説明できるし、神隠しって命名にも納得がいく。


 ——なんて言うと思った⁈


「いやいや、京都。それは流石にないでしょ」

「ええ、ないかな?」


 あるわけない。河童なんて、大人が子供を躾けるために生んだ妖怪うそよ。例えば、子供の溺死事故を防ぐため、水辺に近づかないように怖がらせたとか。正解は知らないけど、大体そんなもんでしょ。


「ないない。そのくらいの歳の女の子が失踪するなんて、どうせ悪徳な女衒ぜげんかなんかじゃないの」

「それはそれで、怖いけど」


 そうね。私からすると、河童より女衒の方が遥かに怖い。なぜなら、妖怪は居ないけど不埒者は居るから。


「あっ、ごめんね、こんな気味悪い話しちゃって」

「いいよ、別に。じゃあ今度は、楽しい話しようよ。盛り上げるためにもさ」


 さて、何の話をしようか。そう思って見回していると、京都の着物が私の目を引いた。そういえば、前々から聞いてみようと思ってたんだった。


「京都ってさ、抹茶ぜんざいが好きなの?」


 濃いめの緑色を基調として、部分的にあずき色で模様が描かれている。今は姉さんかぶりで見えないけど、肩に届くくらいの茶髪を飾っているのは、いつも白玉みたいな白い珠だった。これで「抹茶ぜんざいは嫌い」って言う方が無理がある。


「うん、大好きだよ! 好きすぎて、着物に表れちゃった」


 やっぱりね。


「良いじゃん。好みが全面に出ててかわいいよ」

「ありがとう! 桜華ちゃんの着物も、桜柄でかわいいね。着てる人がかわいいからかな~?」


 京都は私の着物を褒めた後、その中身である私についても褒めた。その顔は微笑していて、少し揶揄からかってやろうという意図が見える。でも残念。私はそれを、揶揄やゆとしては受け取らない。


「そうよ」

「えっ」

「私、かわいいもん」


 神社を出てから二年間で、私のは、それまでとは比にならないほど拡大した。孤児家族だけでなく、見ず知らずの人も、私の目に飛び込んでくるようになったのだ。そうして沢山の女の人を見たことにより、気が付いたことがある。


 ええ、私、桜華。

 どう考えても、高祠之国随一の美少女であります。


「うん、自尊心は大切だと思う!」

「えっへん」


 めっちゃ美少女じゃん、というのが、十七になった私の矜恃きょうじだった。そんな話をしていると、ぞろぞろとお客さんが来店。なんでなのか問いたくなるほど一気に来たので、私と京都は暫く対応に追われた。


「あ、ずんだ餅がもう無いや」


  お客さんがみんなはけた頃、京都は棚の空きに気が付いて裏の台所へ向かう。そんな折、ぐううと音が鳴った。私の妖怪おなかだ。京都にはあんな事を言ったけど、やっぱり妖怪は実在するのかもしれない。


「気が抜けたらお腹空いちゃった」


 倹約しようと思って、お昼は何も食べていない。寝起きに食べた小町お手製のおにぎりが最後だ。そりゃ、お腹の一つや二つ減るよね。


「お客さんは居ない。京都は奥に行ってる……」


 ずんだ餅が品切れなら、もう戻ってきても良いくらい。でもまだ戻らないってことは、台車か何かに積んで運ぼうとしているってことだと思う。つまり、まだ時間がかかるということだ。


「ばれないばれない」


 勘定場の横に、一口大の豆大福が山積みになっている。勘定中のお客さんに「もうお一つ如何?」と暗に問いかけて買ってもらおうという算段だ。私はその豆大福を一個手に取り、勘定場に隠れるようにしてしゃがみ込んだ。それから、豆大福を——ぱくり。包装を剥がして頂いてしまった。


「んん、おいひい」


 指についた粉を舌や前掛けで隠滅していると、台所と売り場の境目にかかる暖簾のれんが動いた。小さな鈴がついてるから、見なくても音で判る。あらら、京都に見つかっちゃった。起立して振り返りながら、背後に立つ人物に声をかける。


「しっ、誰にも言わないでね京都。後生だか、ら……」


 あ、最悪。


「そんな所にしゃがみ込んでどうした、お前さん。体調でも悪いのか?」


 立っていたのは、京都じゃなくて店主の旦那さんだった。


「あ、あはは。その、はい。ちょっと、ね」


 ばれてるのか、ばれてないのか。顔を見て確かめるのが怖くて、私は伏し目がちに言葉を紡ぐ。


「で、でももう大丈夫! ちょ~っと目がくらんだだけでした!」

「そうか。大福食って元気百倍、ってか」

「え」

「この泥棒猫、出て失せろ!」


 峻烈な物言いと共に、店主の旦那さんは襟をつかんできて、私は店の外に放られた。そんなに怒らなくても……。


「くびだ、二度と来るんじゃない!」

「ま、待って! 今日のお小遣いは……」

「菓子の弁償で打ち消しだ!」


 彼は一声怒鳴ってから、玄関扉をぴしゃりと力任せに閉めた。立ち上がって着物についた砂を払い、「何よ、けち!」という気持ちを強く込め、「あっかんべ~」をする。最初は強気に振舞っていた私だけど、夜食べる物と小町のことを考えると、いつまでもそうでは居られなかった。


「今日の晩御飯、如何しよう……」


 自分で盗み食いして自分で不貞腐れ、私はただ、とぼとぼと街を練り歩いた。


「って理由わけで、お菓子屋はくびになりました」


 廃屋に戻って、小町に事情を話す。


「あっはっはっはっは! いや、なにしてんのよ、あんた」


 ……大笑いされた。


「で、仕方ないから有り金でその沢庵たくあん漬けだけ買ってきたと」

「はい」


 小町は笑ってくれたけど、実際のところ如何しよう。あのお菓子屋は、近辺では一番良いお小遣いをくれる店だった。みすみす逃すわけにはいかない。変装してもう一回行く? いや、無理か。私のかわいさは、どうやっても隠しきれない。


「分かったよ、明日から役割交代ね」

「交代?」


 おもむろに立ち上がった小町は、私が着けっぱなしにしていた姉さんかぶりの布と前掛けを剥いだ。彼女はそれを自分に着けてみせ、したり顔をする。


「代わりに私が働きに出るから、家のことはよろしく」


 なるほど、交代ってそういうことね。女神様よろしく微笑む小町。歓喜と謝意と、いろいろな感情が私の心で綯い交ぜになっている。私はどうにも堪らなくなり、思わず小町に抱き着いてしまった。


「ごめん、ありがとう小町ちゃ~ん!」

「お、おい止めろ。その饅頭押し当てて来んな! 畜生、同じ栄養状態のはずなのに!」


 小町は何やら悔しそうにしていた。


 やれやれ、明日から掃除とかやんなきゃいけないのか。自業自得。因果応報。信賞必罰。はい、御尤ごもっとも……。

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