【四】毒のある種
◇◇◇
その夜、大河は自室で日録を記していた。孤児娘の桜華に狩りを教えたこと。帰りに大雨に晒されたこと。そして、長年愛でてきた、鳥居の傍らに
「さて、もう眠るとしようか」
時刻は、丑三つ時。平生から孤児たちには「早く寝なさい」と言い聞かせている大河だが、自分自身は職責に追われてこの有様であった。布団に入る前に、大河は喉を潤す。机上の
「うわああああああ!」
大河は、悲鳴を聞いた。その悲痛な叫び声は、大河に日中の激しい雷鳴を思い出させる。
「……なんだ?」
声の正体を判断しかねた彼だが、ただ事でないことだけは理解した。心臓が高鳴る。嫌な予感で胸が焼ける。胃の中身が全て戻ってきそうだった。ただし、彼は
部屋の襖を勢いよく開き、どたどたと足音を鳴らしながら走り出した。その際彼は、部屋の入り口付近に飾っていた真剣——鍔が
「吉平? どうした!」
聞こえた方向から、声の発生源が拝殿付近であると思った彼は、その場へ急行。すると、孤児の一人である吉平が、賽銭箱の前で短刀を構えているのを認めた。
「と、父ちゃん! 宣長が、宣長が!」
吉平は
「てめえら、よくも宣長を!」
吉平が
「剣はどこだ?」
髑髏の男が、今しがた現れた大河に問うた。容姿や格好から、八岐神社の宮司であろうと、男は判断したのである。大河は男の問いに答えず、苦虫を嚙み潰したような顔で、峻烈な物言いをする。
「貴様ら、何処の何者だ! 子供を殺すなど、人道に
あまりの剣幕に、吉平でさえも恐怖を感じた。ここまで激昂する彼を見たのは、初めてだったからだ。
「質問に答えろ。剣はどこだ?」
鬼と下手人を前にして、吉平は震えあがった。夜な夜な
「剣だと?」
「天叢雲剣、ここにあるんでしょう?」
疑問を呈した大河に、髑髏の背後から現れた能面の女が換言して問う。
「……それがどうした」
「私たち、その剣を戴きたいのよ」
「持って行って
「さあ、如何しようかしらね」
女の言葉を聞きながら、大河は拝殿の軒先に出て、後ろ手で戸を閉めた。祭壇に御座す剣を隠すためである。このような賊に御神体は渡すまいという想いと、無惨にも宣長を殺したことに対する恨みの
「渡す気は無えって事だな」
そう言い、髑髏の男は左の親指と中指とを弾いて音を鳴らした。黒い集団にとってそれは散開の合図であり、髑髏と能面、火男以外の数人が境内を駆け各方面へと散った。釣られて駆け出そうとした大河であったが、その場に吉平が居たことを思い出して苦悶する。
「俺ぁな、目的の為なら手段は選らばねえんだ。そいつが例え、殺しだったとしてもな」
髑髏の男を鼻持ちならない奴だと感じ、大河は再び苦虫を嚙み潰す。為す術が無くなり、大河は最後の手段に出た。即ち、蛇の刀の鯉口を切ったのである。髑髏はその様子を鼻で笑った。続いて彼は、火男に対して「やれ」と命じる。
「へいへい。こちらの下男、オイラの出番ッッ」
嫌に韻を踏みながら、大袈裟な猫背で躍り出た火男は、無駄に長い両袖から短刀を露出した。
「吉平。どこかへ逃げろ」
大河も刀を抜き、火男から目を離さず言う。しかし、吉平は従わなかった。
「嫌だ、こいつらは宣長を殺した。絶対、絶対俺がぶっ飛ばしてやるんだ」
「吉平!」
「嫌だ!」
孤児兄弟の死で
「なんのこれしき……オオ?」
大河の攻撃を宙返りで回避したつもりだった火男は、さらに迫る攻撃に目を見張る。迫る切っ先に切っ先をぶつけ、大河の二度目の攻撃を防いだ。
「過怠と不真面目、かなりの使い手……ケケ!」
「なに!」
火男は地面に砂利を発見し、それを蹴り上げて大河に対する目潰しとした。視力を失ってはまずいと、彼は反射的に目を瞑る。ぱちぱちと顔面に小石の当たる感覚を受ける。
「させるか!」
彼が目を開いた時には、すでに切っ先が胴体目前まで迫っていた。だがそれは一方的な状態でなく、火男にも同じことが言える。大河は目を瞑っている間にも、勘を頼りに動いたのである。幾度も、幾度も打ち合いを続ける二人。平穏だった八岐神社には、到底似つかわしくない丁丁発止が鳴り響く。
「あらあら、宮司さん。子供が大変よ」
打ち合いの
「吉平!」
「おおい、余所見! 子守りを殺しちまウゼ!」
吉平の命で脅され、大河は無鉄砲にも救いに走った。孤児息子の救出に
「ぐおお!」
大河の背中には、斜めに大きな
「よ、よくも……」
「やめるんだ、吉平……!」
父が傷つけられるのを見て憤慨した吉平は、頸の脅しなど気に留めず、勇んで、能面めがけて右の拳を放った。
「よくも宣長を! よくも父ちゃんを!」
だがその反旗は即座に折られ、何の意味も成さず終わる。
「うが!」
「吉平!」
能面は不敵に笑いながら、事も無げに刃を引いた。吉平は紅を噴き出し、膝、胸、顔と順に地面へ寝ころぶ。
「まあ、血気盛んな男の子だこと。元気な子は好きよ、ふふふ」
自らの手で「元気」とは対極の状態にしておきながら、彼女はそう言って艶やかに
「き、貴様ら!」
子供たちが夜だから眠っているわけではないと悟り、大河は怒りよりも沈痛を感じた。だがそれと同時に、彼はあることに気が付いた。この賊共は、まだ何かを見落としている。即ち、そこに桜華と小町の姿が無いのである。逆に言えば、彼女ら以外はそこに集められていた。
大河は走り出した。背中の痛みなどは無い物とし、
やがて目的の部屋、桜華と小町の寝室へ到着した。この部屋は確かに、他の孤児の部屋とは少し離れている。そのおかげで賊の目を潜り抜けたのだろうと、大河は考えた。頼む、生き残っていてくれ。そう祈りながら、彼は勢いよく襖を開けた。目に映ったのは、二人の少女。桜華は起きて立っており、伸びをしていた。小町はすうすうと寝息を立てている。平生と大差ない穏やかな様子に、大河は安堵した。
「お父さん、どうしたの?」
「しっ、喋らないでついて来なさい。今から二人を、祈祷殿の奥の押し入れに隠す」
せっかく生きた彼女らまで殺させはすまいと、大河は二人を引き連れて走る。賊の提灯の火影が障子越しに認められた。小町を担ぎ、桜華の手を引いて祈祷殿へ。敵を撒く目的で、大河は敢えて意味不明な順路を辿った。
「いいか、騒ぎが収まるまで、絶対に出てくるんじゃないぞ」
未だ困惑する孤児娘たちを埃臭い押し入れに押し込み、彼は襖を閉める。その頃には、背中全体が嫌に生暖かくなっていた。薄黄色が紅に染まっていたのである。
拝殿に戻ると、戸や装飾、椅子などが蹴散らされていた。もしやと思い大河は祭壇に目をやる。案の定、御神体は既に賊の手に渡っていた。同時に視界はぼやけ、今にも回転するのではないかと彼は思った。
「お、おのれ……。せめて、せめて一矢報いなければ……!」
そう呟いて再び刀を抜く。参道を鳥居に向かって歩く賊を見つけた。堂々と神の道を歩く髑髏に向かい、大河は剣を振り上げて走る。
「ああ?
大河の不意打ちはしかし、容易に髑髏の耳朶へ届いた。彼は振り向き、禍々しい面で迫りくる大河を睨んだ。
「失せろ、
「う——」
一閃。髑髏が抜き放した凶刃により、大河の喉に横一文字の金創が生じた。さらに髑髏は、大河の腹に強烈な拳を叩きこむ。大河の体は後方へふっ飛び、拝殿の中まで行き、祭壇の手前の床に叩き付けられた。おおよそ人の成した技とは考えられない様相である。孤児の大半を殺され、御神体を奪取され、
「……む、無念」
だが、大河はこと切れる直前に、押し入れに遺した二人の事を思い出した。大河にとって孤児は御神体——天叢雲剣などより、余程大切な宝である。彼は最期に、二人の無事を祈った。
一方、剣を奪った賊は歓喜する。鳥居をくぐって神社を出た折柄、能面が髑髏に話しかけた。
「良かったの?」
「何がだ」
髑髏は剣を観察しながら、耳だけ能面に傾ける。
「あの宮司さん、何処かへ行ってたじゃない?」
「……んな事知るか。如何でも良い事をがたがたぬかすな」
「ふふ、知らないわよ」
髑髏は、能面の言葉を気にも留めなかった。かくて彼は、毒のある種を二粒、残していったのである。
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