07 ひまわり姫が流した涙の理由

 その日もまた、いつもと変わらない午後だった。


 昼休みを終えた教室。直前で昼食をとって迎えた午後の授業は居眠りとの闘いで、子守歌のように聞こえる担任教師の説明に思わず欠伸してしまう生徒もチラホラ。

 古典の授業、それも解説を聞いている最中ということもあり、周囲の生徒が退屈に感じて睡魔に襲われるのも猶更だった。


 古典という科目が悪い訳ではない。昼食後の生徒にとっては午後の授業そのものが退屈の対象となるので、どの科目であっても睡魔との闘いは避けられないのだ。

 それを理解しているからこそ教師は特に咎めようとしないし、クラスの生徒もまたうたた寝しつつも何とか体裁だけは保とうとしていた。


 今日も今日とて気怠く午後が過ぎていく……はずだったのだが。事件は突然にして起こった。


「ど、どうしたの白石さん!? 急に涙流したりして!」


 黒板に体を向けてしばらく要点を書き留めていた教師だったが、ふとチョークを片手に振り向いたところ、ある生徒の様子を見て驚きの声を露わにした。


「え? ……あ」


 弛緩していた空気が一変し、ザワつき始めた周囲の生徒の視線が集まる中、ある生徒―――陽葵もまた戸惑いを隠せずにいる。

 指摘されて初めて気がついたらしく、自らの頬を垂れる小粒の雫を指で掬い上げると、小さく声を漏らしていた。

 

「どこか具合が悪いの? 保健室に行って休む?」

「あ、いえ、そこまででは……体調に関しては全く問題ないので」

「そ、そう?」


 授業を中断して駆け寄って来た教師に、涙痕を拭き取った陽葵はにこやかな対応を見せる。確かに具合は良さそうに見えるが、教師の立場としては確信は必要だろう。


「すみません先生、私のせいで授業の進行を妨げてしまって」

「そっちは全然構わないけど……でも本当に大丈夫なの? 授業中に泣くってよっぽどだと思うし、何か悩みでもあるんじゃ」

「本当に悩みがあるとかじゃないんです。……その、先生に心配していただいている手前ちょっと恥ずかしい話なんですが……」


 そうして僅かに視線を落とすと、陽葵は毛先をいじりながら照れくさくして言う。


「……先生が話す物語の内容を聞いて、主人公の最期の行動に感情移入してしまったといいますか、思わず気持ちが込み上げてしまいまして」

「っ! そ、そうだったのね……!」


 教職冥利に尽きる台詞に受け、感涙するあまり両手で口元を覆う担任。

 そして、それを聞いた周りの生徒もまた、「おお……」と声を合わせて陽葵に敬服する。


「(白石さんすげえ……俺なんて読んでも小難しくてさっぱりなのに)」

「(私も全然。やっぱり学年一位は伊達じゃないよね)」

「(流石はひまわり姫、なんて慈悲深い人なんだ……)」


 やはりクラスの人気者といったところだろうか、教室内では小声ながらも称賛の数々を交わすクラスメートで溢れている。

 教科書の文章に涙を流してしまうほど心清らかなお姫様。きっと、みんなの目にはそう映っていることだろう。


「あなたのような勤勉な生徒を担任に持てて先生は幸せ者です。みなさんも、白石さんを見習って勉学に励んでくださいね」


 一通り泣き終えた教師が目尻を拭いながら教卓に戻ると、ややあって授業は再開する。

 感化された生徒らも先程とは打って変わり意欲的に授業へ参加し始めるのだが……そんな中、生暖かい目で陽葵を背中越しに眺める者が一人。


(いや、絶対嘘だろそれ……)


 人気者フィルターが掛かっているせいで騙されている者は多いが、悠利が知る陽葵は周囲が思うほど高尚な人間ではない。

 人より優れている点は多々あるし、群を抜いて可愛らしいルックスを兼ね備えているのも確かだが、教科書の文章を読んで淑やかに涙を流す聖人とは程遠い少女なのだ。


「(やっぱ白石さんってすげえ人だよな)」

「(ソ、ソウダネ)」


 数日前の席替えでひとつ前の席になった雅樹が小声とともに振り返ってくるが、悠利は引き攣る口元を抑えつつ適当な返事で済ませておく。


 泣いた理由についてなんとなく察しはついているのだが、万が一、億が一にも嘘が真実である可能性も捨てきれない。

 「まあ、後で聞けば分かるか」と思いつつ、悠利はしぶしぶ受講を再開した。


 





『だって、今日の授業の話を聞いてたら、先週退場したユリアの最期を思い出しちゃったんだもん~!』

「だろうな」


 その日の夜。例の如くボイチャを繋いでオンラインゲームで対戦していた最中、切りの良いタイミングで理由を尋ねてみたところ、陽葵はスマホ越しでも伝わるほどの号泣を披露していた。

 

 補足として、ユリアとは、某漫画雑誌で連載中のファンタジー作品に出てくる女性キャラクターであり、美形かつ人情深い一面で読者から屈指の人気を誇る女騎士団長である。

 現在当該作品は長編の山場を迎えているのだが、先週号ではユリア率いる騎士団が敵であるアンデット一族の強襲を受けて壊滅してしまい、残る部下を逃がすために命を賭して時間を稼いだユリアが仰向けで倒れながら満足げな笑みとともに目を閉じるシーンで幕引きとなった。


 人気キャラクターの退場にSNSは悲しみに暮れ、悠利もまた読後しばらく引きずってしまうほど辛い展開だったのだが、陽葵は一週間経っても未だに引きずっているらしい。


 本当に予想通りだったというか……ある意味百点満点の回答だったので、悠利としては全くと言っていいほど驚きはない。

 確かに今日扱った教科書の内容はその作品の展開と酷似していたし、読んでいて悠利も「あ、なんか似てるな」と気づきはしていた。とはいえ、授業中に感極まって泣いたりはしなかったが。


『でも仕方ないじゃん……今日の軍記物語の内容が完全に瓜二つだったんだから』


 取り敢えず落ち着いたらしい陽葵は、「チーン」という副音声とともに言い訳を垂れる。……ティッシュで鼻をかむならせめてミュートにしてくれとは思ったが、まあ今更だろう。気を許されているんだなと好意的に解釈することにする。


「それは俺も思ったけどさ、だからって泣くか普通?」

『泣くに決まってるよ。私、登場してるキャラの中でユリアが一番好きだし。水瀬だって、好きなキャラが死んだら悲しいでしょ?』

「そりゃあ悲しいけど、だからと言って泣くほどではないな……」

『なるほど。つまり、これで水瀬が感受性に乏しいことが証明されたって訳だね』

「煽るな煽るな」


 振りとばかりにマウントを取ってきたので反応してやれば、「えへへ」と悪戯っぽく笑う陽葵の声が返ってくる。


 教室で見せる振る舞いとの落差に毎度ながら苦笑してしまうが、別に嫌という訳ではないし、好きなものに正直な陽葵との交流はやはり楽しい。

 なので仕方なくその煽りは受け流してやろう。仏の顔もなんとやらだ。


 因みに一月後、退場したユリアがアンデット族の手によってゾンビ化させられるという尊厳破壊的な展開でSNSが阿鼻叫喚の嵐となるのだが、今の二人がそれを知る由はなかった。

 

『さーて、そろそろ休憩は終わりにして、続きでもやりますかね』

「だな」


 ぐっと背伸びをしつつ陽葵の提案に従えば、悠利はしばらく放置させていたキャラ選択画面を動かして準備完了ボタンにカーソルを合わせた。


アニメ視聴をしない日に集まる場合は大抵オンラインゲームで遊んでおり、最近は乱闘型対戦アクションゲームで終始対戦することが多い。

 対戦成績は五分五分。ただ、初めこそ勝ち星を積み重ねていた悠利だったが、最近は徐々に巻き返されている。コンボを多用する悠利の戦闘スタイルに対し、陽葵は相手の動きに適応する戦い方を得意としているため、今では悠利の劣勢が続いていた。

 

『今のところ水瀬の連敗中だからね。もうそろそろ私を楽しませてくれないと』

「ぐっ……俺は認めないぞ。キャラの個性を捨てて相手の弱点を突くだけの邪道スタイルなんて」

『相手が嫌だと思うことを徹底的にするのが対戦ゲームの基本でしょう? ふふふ、次の試合もコンボを繰り出す前に崖外に落としてやろう~』


 悪びれた笑みとともにそう宣言してくる陽葵に、悠利は悔しさを滲ませるが何を言い返せない。

 陽葵の言うことは一理あるし、その立ち回り方自体にイチャモンを付けるつもりもない。単なる己の実力不足が原因だと自覚しているので、悔しいなら相手の妨害を掻い潜ってこちらが即死コンボを叩き込めば良いだけの話なのだ。


 幸いにも数試合に及ぶ戦いを経たおかげで指先が温まってきたところだ。

 これならより正確なボタン入力ができるだろう。陽葵がこちらの復帰ルートを邪魔する戦略で来るのは既にわかっているので、ブラフをかけて上手くタイミングをズラせれば復帰率は格段に上がるはずだ。


 そう一人で分析しつつロード画面で待機していると、陽葵が『あ』と突然思い出したように声を上げた。


『そういえば水瀬って、今度の週末空いてたりする?』

「今度の週末? まあ普通に空いてるけど」


 基本的に悠利は引き籠り人間なので、週末にわざわざ外出することはない。

 特典目当てに本屋に行くことはあっても、そうでない場合は大抵は通販で予約してしまうため、余程のことがない限り家を出るという発想がなかった(だからこそ未依にとやかく言われてしまうのだが)。


 ただ、どうして急に週末の予定を尋ねてきたのかわからず疑問に思っていると、答えを聞いて安堵した陽葵は弾ませた声とともに提案をしてくる。


『じゃあさ、一緒にコラボカフェ行かない?』

「コラボカフェに?」

『うん。なんかね、行きつけのアニメショップの近くにあるカフェがまおラブとコラボ中なんだって。水瀬は知ってた?』

「……一応は」


 まおラブとのコラボカフェが期間限定で開催されるという情報は、SNSを通して悠利も知っていた。

 好きな作品のコラボカフェということで確かに興味は惹かれたのだが、カフェに対して苦手意識があるというか、カフェ即ち陽キャが行く場所というイメージから躊躇してしまい、結局断念していた。一人で行くにはあまりに敷居が高かったのだ。

 

『二週間限定だから一度行ってみたくてさー。でも一人で行くのは心細くて……だから水瀬が暇だったら一緒に行ってくれないかなって思ってたんだよね』

「そうだったのか。まあ、俺も行きたいなとは思ってたから、誘ってくれるなら願ったり叶ったりだ」

『そっか! よかったー、じゃあ週末は最寄り駅に現地集合ってことでよろしく』

「了解」

 

 一人では敷居を跨げない陰キャなので、陽葵が一緒なら心強い。

 陽葵ならそういう類いの場所には通い慣れているだろうし、困った時に何かと相談できる存在が隣にいてくれるのはとてもありがたい。当然、このような魅力的な誘いを断る理由はなかった。


 緩い口調に流されるままその提案に了承した後、ちょうど対戦開始を告げるカウントが始まったので悠利はコントローラーを今一度強く握りつつ液晶画面に意識を集中させ……そこで気づく。


(……あれ? それってつまりデートなのでは?)


 さらっと誘われたのですんなりと乗ってしまったが、よくよく考えてみれば違和感を持たずにはいられない会話だった。

 週末に予定を合わせ、最寄り駅で集合し、男女二人で目的地へと出かける……事実だけを並べればデートと受け取れなくもなかった。


(って、いやいや……何を勘違いしてるんだ俺は。単にオタク友達として一緒に行こうってだけで他意がないことくらい普段から接してればすぐ分かるだろ。そもそも俺と違って白石は陽キャでクラスの友達と街に繰り出して遊ぶのには慣れてる訳だし、同じ感覚で誘ってきても別に不思議じゃないだろうに)


 陽葵に限って他意があるはずがないと頭では理解しているのだが、それでも動揺してしまうところはやはり悠利が陰キャたる所以だろう。

 

 その間にも既に試合は開始しており、陽葵は完全に戦いに集中していて聞く耳を持ちそうにない。棒立ちもお構いなしに攻撃を仕掛けてきて、慌てた悠利はどっちつかずな操作になってしまう。


 結局集中力を欠いた悠利はというと、そのまま連敗記録を更新してしまうのであった。

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