05 ひまわり姫の表と裏②

 帰宅後、自室で身繕いを一通り解き終えると、ベッドを背もたれにして地べたに座った悠利はスマホでボイスチャットアプリを起動する。


 普段からアニメを同時視聴したりオンラインゲームで対戦したりする二人だが、その際に遠隔でもスムーズに会話できるようコミュニケーションツールを用いている。


 出会った当初こそ文面でのやり取りに留めていたものの、次第に限界を感じるようになり、またその頃にちょうど陽葵から提案を持ち出されたのもあって、今ではボイチャをしながらオタ活するのが普通になっていた。


 それは今日も同じで。それぞれ世帯で動画配信サービスを契約しているので、ボイチャを通して一緒にアニメを観る予定だ。

 タイミングを合わせて同時に再生させなければならないのが難点だが、距離が離れていても一緒に観て共に語らえるのだから、色々と便利な時代になったものだと思う。


 なんだか年寄りみたいだな、と一人反省していると、机に置いていたスマホから通知音が鳴る。程なくして、鈴を転がすような声が入ってきた。


『あーあー、水瀬聞こえる?』

「ちゃんと聞こえてる。思ったより遅かったな」

『あーごめん。あの後もクラスの人になかなか帰してもらえなくて……カラオケに誘うのはいいけど急すぎるよ』

「お疲れ様。どうする? 少し休んでから始めてもいいけど」

『全然平気。というか今日ずっとウズウズしてたから、今更お預けなんて無理!』

「子供かよ。まあ、実は俺もだけど」

「えへへ、じゃあ一緒だね」


 そう言って笑う陽葵の声音はスマホ越しでも弾んでいるのがわかって、本当に楽しみで待ちきれないのだと伝わってくる。

 我慢の利かない幼女に思えてならないが、他人のことを言える立場ではないので、これ以上は口を噤んでおく。


『あ、ちょっと待って。今部屋のテレビつけるから』


 ガサゴソと物音を立てながら下準備を始める陽葵だが、時々上機嫌な鼻歌がマイクを通して聞こえてくる。


 これまでにも何度か同時視聴をしてきたが、今日は特にテンションが高いらしい。想い入れ深い作品なので仕方ないだろうが、『ふふん~♪』と口ずさむ様子は可愛らしくもやはり幼気であった。


『よし、お待たせ。準備できたよ』

「了解。じゃあ、せーので同時に押すか」


 始めても問題ないということで、悠利もまた部屋に備え付けてあるテレビのリモコンを手に取る。


 幸いにも同じ動画配信サービスを利用しているので勝手は分かるのだが、それでもリモコンの再生ボタンは手動で合わせて押す必要がある。これが少々面倒な作業で、手間取ってしまうとなかなか視聴を始められなかったりする。


『やー、この作業って毎回緊張するんだよね。タイミングがズレたら最初からやり直さなきゃだし』

「だな。まあ、物理的に離れてるから仕方ないけど」

『水瀬ん家で一緒に観ていいなら万事解決なんだけどねー』

「嫌だよ。一緒にいるとこ家族に見られたくないし」


 家族に顔を知られている奴でさえあまり家に招かないのに、初対面の女子を招いたとあれば面倒な騒ぎになるに違いない。


 特に未依にだけは見られたくない。絶対に詮索してくるし、その後もニヤニヤとしつこく付きまとってくるのが目に浮かぶ。煩わしいことこの上ないだろう。


『私は見られても別に気にしないけどなあ』

「マジでやめてくれ。絶対面倒なことになるから」


 来ても絶対入れないからな、と続けて釘を刺せば、陽葵はわざとらしくブーイングしてきたので、悠利はだんまりを決め込む。


 そもそも、陽葵を家に招き入れること自体がマズい気がする。

 いくらオタク友達とはいえ、相手は女の子で、しかもクラスの人気者。もちろん手を出すつもりはないしそれをする勇気すら持ち合わせていないが、何かが起きてから困るのは陰キャである悠利の方だ。最低限の距離感は保つべきだろう。


 悠利から反応が返ってこないと見るや、陽葵はこれまた大仰しく溜息を溢した。


『全く、ほんとその辺きっかりしてるよね水瀬って』

「単に面倒事になるのは避けたいってだけだ」

『まあ、そういう素っ気ないところも水瀬の良さだけどね。変なところで真面目っていうか』

「それ、ほんとに褒めてる?」

『ウン、ホメテルホメテル』

「絶対バカにしてるだろお前」

 

 明らかな棒読みかつ無遠慮な物言いに指摘を入れれば、スマホの向こうからケラケラと悪戯な笑みが聞こえてくる。


 他人を揶揄って楽しむのは何よりだが、振り回される側としては堪ったものではない。続けて何度か揶揄われるがそれ以上は反応せず、会話もほどほどに二人はアニメを観る流れに。


『今夜の十五話は伏線回収回だからね。作中でも珍しいシリアスパートだし、アニメならではの伏線要素を漏らさないようちゃんと観ないと』

「先週もそんなこと言って、結局笑いに気を取られてただろ」

『水瀬くんさー、私が何回このアニメを観てると思ってるの? わかりきった内容で今更笑ったりする訳ないじゃん』

「フラグかな?」

『大丈夫だって、今回こそはちゃんと冷静に考察してみせるから』


 画面の向こう側ではさも得意げな顔をしていることであろうが、やはり前振りにしか聞こえない。

 せめてフラグにならないことを願いつつ、「せーの」とタイミングを合わせて二人は視聴開始した。







『あっははは! 実は俺達コスプレ中のカップルなんですって、異世界でそんな苦し紛れの言い訳が通じる訳ないじゃん……!』


 結論、今回もダメだった。


 一話から視聴を始めて現在七話の途中なのだが、森の中でヒロインと秘密裏に会っているところを王国所属の兵達に偶然見られてしまい、焦った主人公が咄嗟に言い訳をするシーンがある。


 当然ながらコスプレという意味が異世界で通用するはずもなく、魔王を討伐しようとする兵達とそれでも偽物を演じてこの場を乗り切ろうとする二人の構図が滑稽で、初見であれば確かに笑ってしまうポイント……なのだが。


『カップルのフリから兵達の前でキスする流れはまだ良いとして、巻き込まれたミナミがなんでノリノリでやろうとしてるの! しかも周りも周りで結局信じちゃうし、ほんとにハチャメチャ過ぎるよ……!』


 原作ラノベをおそらく擦り切れるまで読み直し、アニメも何十回視聴しているであろう相方は、やはり今日も心の底から笑っていた。


 そしてようやく落ち着きを取り戻すと、一呼吸おいてどこか他人事のような語り草で釈明を始める。

 

『いやー、今回もダメだったね。やっぱり耐えられなかったよ』

「テンションの落差がすごい。いや、確かに原作越えって言えるくらいコミカルで面白いけどさ……流石に少しは慣れるだろ。なんで毎回同じシーンで大爆笑できるんだよ?」

『常に童心を忘れずありのままの自分を大切にしてるから……かな』

「決め台詞とばかりに声質を変えるんじゃねえ」


 妙に芝居がかった声で言うので流れ的にツッコんでみせたものの、陽葵の言葉そのものを否定するつもりではない。


 観直すこと自体は面白いし飽きることもないが、繰り返し視聴すれば自ずと内容や展開も覚えてしまうものだ。

 悠利はどちらかというと新たな気づきや発見に好奇心が惹かれるタイプなので、観慣れたシーンであっても常に新鮮な気持ちでいられる感性を持つ陽葵をすごいと思うし、本当に作品が好きなのだと伝わってきた。


 とはいえ、作品愛を語るうえでは陽葵に負けていないという自負がある。夏休みのファミレスではテーブル席の時間制限もあって引き分けに終わったが、次こそは膝をつかせてやる所存だ。


 そう密かに対抗心を燃やす悠利をよそに、スマホ越しの陽葵は感嘆の声を上げ始める。


『でもほんとすごいよねこのシーン……何気ないギャグパートだと思って最初は読んでたけど、実はミナミの内なる魔王の力が無意識に働いてた伏線だったんだから』

「ん? ああ、そうだな。洗脳が理由なら兵が信じたのにも説明がつくし」


 補足として、今夜放送の第十五話では、ヒロインの洗脳能力が無意識に発動していた事実が明らかになる。


 お互いの気持ちに気づき始めていた最中での発覚に、疑心暗鬼に陥ったヒロインは主人公との繋がりを断とうとし、主人公もまたヒロインへの気持ちが本物なのかわからなくなってしまう。

 この問題を乗り越えて遂に二人は付き合うため、今夜の放送回はターニングポイントだといえる。


『今日の回でようやく二人の関係が大きく動き出すからね。ここでの二人の複雑な心理描写をアニメでどう再現するのか……』

「これまでの出来の良さで制作会社には信頼しかないからな。アニメ監督の人も原作ファンってSNSで公言してるし」

『やっぱ期待しちゃうよね。あー、早く夜にならないかなあ』


 待ち遠しそうにしている陽葵に「原作を読んでるんだから展開はもう知っているだろ」という指摘は、ここでは野暮というものだろう。

 原作には原作の、アニメにはアニメの良さがある。両方を楽しんでこそ真のオタクだと言えるのだ。


(……にしても、ほんと別人みたいに無邪気だな)


 教室での愛想良くも慎ましげな雰囲気とは打って変わり、悠利の前では気を緩ませて飾り気のない振る舞いを見せている。

 生き生きとしているのがスマホ越しでも伝わってきて、慣れたとはいえやはり違和感は付きまとう。


『どうしたの水瀬? 急に静かになって』

「え? ああいや、なんでもない」

『なんでもないってことはないでしょ。ほれほれ、言いたいことがあるなら言ってみなよ』


 挑発的な物言いをしつつも小さな変化に気づくところは、教室での気遣い上手な一面を窺わせる。

 やけに鋭いな、と顔を引き攣らせるも、結局悠利はかねがね思っていたことを言うことにした。


「じゃあ言うけどさ、その、白石ってここんとこずっと俺と遊んでるだろ?」

『そうだね。大体週に二回……あ、休日も入れたら三回くらいか』

「だろ? で、その度にクラスの奴らの誘いを断って、色々と大丈夫なのかなって」


 クラスの人気者なので当然なのだが、陽葵がクラスメートからよく遊びに誘われている場面を遠巻きに目にすることは多い。

 今までどうしていたかは定かではないものの、悠利と関わるようになってからは誘いを断り続けている。現に今日もカラオケの誘いを断っている訳で、そのせいでクラスの立場が悪くなってしまっていないかと不安になる。


「もし問題が起きてるなら白石に申し訳ないしさ……」

『心配してくれてありがと。でも全然大丈夫だよ、みんなとの仲もいたって良好だし』

「そうなのか?」

『ほら、私って優等生でもあるから。適当な理由をつけても『放課後は勉強で忙しい』とか『きっと都内の大手塾に通ってるに違いない』とか良い方向に解釈してくれるんだよね』

「な、なるほど……」

 

 果たしてそれは良いのだろうかと若干の疑問符が浮かぶものの、その光景には最近見覚えがあった。

 

 夜通し感想会を行い徹夜状態で登校した日のホームルーム前、眠そうにしている陽葵の様子を周囲の生徒は好意的に受け止めていた。

 当事者の一人である悠利はともかく、その要因が普段の振る舞いにあるとなれば納得せざるを得ない。


『別にみんなと遊ぶのが嫌って訳じゃないんだけどね。カラオケで流行りの歌を歌ったり、モールを回って買った洋服とか小物を近くのカフェで見せ合うのも楽しいし。……でも、その分だけ疲れちゃう、かな』

「疲れる?」


 最後の言葉に引っ掛かりを覚えて、悠利は自然と繰り返していた。


『話しててなんとなくわかっちゃうんだよね。私を必要以上に上に見てくるっていうか、自分たちとは違う人間みたいに思ってるんだなって。理想の存在ってやつなのかな? 多分、みんなは人気者としての私に憧れを持ってて、そういうイメージを通して私を見てるんだと思う』


 『私ってそんなにすごい人間じゃないんだけどなあ』と続ける陽葵の声は心なしか寂しそうに聞こえる。

 おそらく過去に何度も同じ経験をしたからだろうが、言われてみれば確かに、周囲と同じように悠利もまた陽葵を雲の上のような存在として認識していた。

 

 自分とは違う世界に住むクラスの人気者。オタク趣味とは無縁の陽キャ。

 だからこそ、陽葵がオタクである事実を知った時は思わず目を疑った。

 

『まあ、期待されること自体は嬉しいし、それに応えたくて理想を演じてるつもりだけど。でも応え続けるのはやっぱり疲れちゃって……その点、水瀬は色眼鏡なしで私と接してくれるから、一緒にいて何かと気楽なんだよね』  

「……そっか」


 えへへ、と陽葵がはにかむのを聞いて、つられて悠利も小さく微笑んだ。


 教室での明るく優しい振舞いを見せるひまわり姫からは想像もつかなかったが、人気者だからこその悩みを陽葵は抱えていて、きっと誰にも相談できず一人苦しんできたのだろう。

 元を辿れば偶然出会った二人ではあるが、結果として友達である悠利との時間は一種の救いになっているらしい。心中を明かしてくれたのは少し意外だったが、それがわかっただけでも良かったと悠利は思った。


『逆に聞くけど、水瀬は他の友達と遊んだりしなくていいの? ほら、いつも一緒にいる菅原くんとか』

「雅樹は仲良いしたまに遊ぶけど、学校での付き合いがほとんどだな」


 雅樹は良い奴だし気の置けない友達であるが、あくまでもオタク趣味とは無縁な陽キャ寄りの人間だ。

 学校以外では基本オタ活しかしない悠利としては、無理やり自分の趣味に巻き込むのはちょっと申し訳なかったりする。実際、話を聞いている時の雅樹はポカンとしていることが多かった。


「俺らみたいにオタクじゃないから話が噛み合わない時があるしな。でも、白石が相手なら一緒に盛り上がれるから。白石とオタク友達になれて良かったと思ってるよ」

『……そっか』


 以前はそうでもなかったが、趣味を分かち合える友達の素晴らしさに気づいてからはこの日々が心から楽しいと思える。

 陽葵とは違ったベクトルではあるものの、悠利もまた陽葵との時間はありがたかった。


『じゃあ仕方ない。今日は朝まで水瀬に構ってあげようかなー』

「朝までって、明日も学校だってのにまた徹夜で感想会するつもりかよ」

『えへへ、でも嫌じゃないでしょ?』

「むしろ望むところだ」


 少々辛気臭い空気になってしまったが、紛らわすように調子の良いこと言ってくれる陽葵はやはり気遣い名人だなと思う。

 いや、案外無遠慮に揶揄っているだけかもしれない。そう思うと可愛らしく感じられたが、あえて口には出さないでおく。笑みを浮かべつつ、悠利は陽葵の提案にあやかることにした。


 ……その後、前話まで観終えると一旦解散し、夜に再び集合してリアタイ同時視聴。そのまま夜通し二人で語り合い続けたのであった。

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