06 ひまわり姫と日直当番

悠利が最も苦手としているもの、それは早起きだ。


 理由はいたって単純、夜遅くまでアニメを観たりゲームをしたりしているから。

 それも、陽葵との交流が始まってからはさらに悪化する傾向にあって、スマホのアラームが鳴っても起きれず遅刻しそうになることもしばしばあった。


 一応改善を試みようとはしているのだが、テレビからの魅力的な誘惑に屈してしまい結局今日も夜遅くまで……と失敗を繰り返している。とはいえ、屈したところで後悔は全くしていないのだが。


 さて、そんな徹夜がデフォルトのような生活を送っている悠利だが、今日はアラームが鳴る一時間前に目が覚めた。


 理由はまたも単純、昨夜は珍しく早めに寝床に着いたから。


 観る予定だったアニメが突如放送延期、ハマっている対戦ゲームもメンテナンスの影響で遊べないなど不運が立て続いたのが大きかった。

 元々陽葵と遊ぶ予定がなかったのもあって、やることがなくなってしまった結果仕方なく眠るという選択を取ったのである。


 そのおかげと言っては何だが、今朝はすこぶる調子が良い。

 制服に着替えて軽快な足取りで階段を下りれば、既にリビングいた両親にかえって心配されてしまったほどだ。

 

 ただ、ひとつ誤算が生まれたとすれば、早く目覚めたせいで時間を持て余す羽目になったこと。

 二度寝はリスクが高過ぎるし、かといってゲームをしようにも親の鋭い視線が後頭部に刺さるので躊躇させられる。

 

 ならば早めに登校して自席でスマホゲームでも、と思い至り悠利はいつもより早く教室に着いたのだが……意外な先客が一人。


「え、水瀬?」

「あれ、白石?」


 後方のドアを開けた先では、悠利の姿を認めた陽葵が目を丸くして立ち尽くしている。

 その手元を見れば、ノートの束を大事そうに抱え込んでいた。


「こんな早くにどうかしたの? 何か用事?」

「あーいや、単に早く来ただけ。変な時間に目が覚めたからやることなくて……白石は?」

「見ての通り日直の仕事。先生から返されたノートを配ってるところなの」


 どうして我先に教室にいたのかと疑問に思っていたが、なるほど、そういうことらしい。


 悠利のクラスでは日替わりで担任教師の仕事を補佐する日直当番制が採用されており、その内のひとつにホームルーム前における書類の返却作業がある。


 日によって返却するノートやプリントの量にばらつきがあるため、多い日に担当になってしまえば運の尽きで、二人で分担してもかなり面倒だったりする。


 とはいえこの時間ならもう終わってて良い頃合いなのだが……と思って辺りを見回せば、すぐに違和感の正体に気づく。


「なあ、もう一人の日直が見当たらないんだが」

「それが……坂上さん、部活の朝練があるのを忘れてたみたいで」

「ああ、それは気の毒に」


 日直当番は通常二人で担うが 一方が部活や委員会などを理由に顔を出せないとなると、残されたもう一方が一人で作業せざるを得なくなる。

 陽葵は部活に入っておらず、こういう時にどうしても被害を被る側になってしまう。もちろん悠利も無所属なので立場は同じだが。


 一人で仕事をしている理由に合点はいくと同時に、やけに陽葵の口調が馴れ馴れしいのにもようやく察しがついた。


 教室でこそひまわり姫というキャラクターを演じている陽葵だが、悠利といる時は素を見せることが多い。

 二人でいる時のノリで接してきたものだからつい悠利も合わせてしまったが、初めから他に誰もいないとなれば、陽葵がキャラを作っていない理由にも納得はつく。「だからひまわり姫モードじゃないのか」と遅ればせながら理解した。


「あ、でもさっき直接謝りに来てくれたんだよ? 朝に手伝えない代わりに今日の黒板消しは全部引き受けるって申し出てくれて」

「まあ、本人が納得してるならいいけど」


 相方の評価が下がるのを嫌ってか、陽葵は付け加えるように慌てて補足する。

 こういう時に気を回せる姿勢は流石としかいえないが、なんというか、損な立ち回りだと思った。


 チラリと前方を見やる。


 教卓の上には未返却のノートやらプリントが依然として山積みの状態で置かれている。これを一人で終わらせるのは無理があるだろう。


 自席に荷物を置いてから悠利がその一部を拾い抱えれば、陽葵は一瞬目を見開くとほんのり眉をひそめる。


「……別に手伝ってくれなくていいのに」

「目の前で働いてる奴を見て無視する訳にもいかないだろ。二人でやった方が効率良いし、さっさと終わらせようぜ」


 自分には関係ないからと自席でスマホを眺める選択肢もあるが、その視界で忙しそうに陽葵が往来していれば流石に見て見ぬフリはできない。

 そもそも、本来は二人で分担して行う作業であり、文句の一つも言わずに受け入れている陽葵がお人好し過ぎるのだ。少し頼ったところで罰は当たらないだろうに。


 教卓の上に置かれてある座席表を基にプリントの返却を始めると、陽葵が「……ありがと水瀬」と小さく呟いた。


 それからしばらく二人は黙々と作業を行う。

 時折書類の受け渡しなどで簡単な会話は挟むものの、基本的には手と足を動かして着実に分量を減らしていく。


 そして半分ほど返却が終わったあたりで、ふと思い出したように陽葵が尋ねてくる。


「そういえばさ、水瀬は早く登校して何するつもりだったの?」

「普通にキャラの育成でもしようかなって。無料枠で引いたガチャでピックアップキャラが当たったから、その試運転を兼ねて」

「え、嘘!? 単発であのキャラ当てたの!? 私なんて天井まで貯めてた分の石を全消費してやっとゲットしたのに……」

「最低保証まで行ったのかよ。なのに俺は一発で手に入れて……なんだか白石に申し訳ないな」

「……そう思ってる顔には全然見えないんだけど」


 僅かに下顎を上げてドヤ顔を見せつけてやれば、陽葵は悔しそうに顔を歪ませる。


 因みに、今話しているスマホゲームとは二人の間で流行っているゲームの一つであり、現在秋クールにおいて当該ゲームを原作としたアニメが絶賛放送中である。


「はぁ……なんか私って運に見放されてる気がする。この前も天井まで引けなかったし」

「まあ、運はどうこうできるものじゃないしなあ。けどゲーム自体は割と良心設計だと思うぞ? 引けなくても育成に大きく支障が出るほどじゃないし」

「でもゲットしなきゃ限定ボイス聞けないじゃん。しかも来月にはまた新キャラ実装……貯金、あとどのくらい残ってたかな」

「課金だけには手を出すなよ?」


 最終手段に手を染めないよう注意すれば、陽葵は「じょ、冗談だってば!」と割と強めに否定してくる。

 ただ、その目の奥は明らかに泳いでいる。多分、言われなければやっていたんだろうなと思うほどに信憑性がなかった。


「ほら、お喋りはこのくらいにして、さっさと終わらせるよっ」


 悠利からの生ぬるい視線に耐えきれなくなったのか、陽葵はそう言ってそそくさと離れて行く。

 「あ、逃げた」と思ったがあえて追求はしないでおく。苦笑しつつも、悠利は再び手を動かし始めた。







「よし、これで最後、と」


 残る書類を片付け、最後の一冊を返却し終えるとようやく作業は終了した。


 分担すれば大した量ではないと高を括っていたのだが、いざ始めてみると単純作業の繰り返しが思いのほか面倒で、時間が途方もなく感じられた。


 達成感とともに悠利が大きく背伸びしていると、やがて両手を空にした陽葵が隣にやって来る。


「ふぅ……こっちもやっと終わったよ」

「お疲れ。なんとかみんなが来る前に終わらせられたな」

「うん。……ほんとにありがとね、手伝ってくれて」

「別にお礼なんていいよ。俺がしたくてしたことだし」


 先程もそうだが、手を貸そうと思い至ったのはあくまでも自分のためだ。


 確かに悠利は日直ではないが、だからといって見過ごせば確実に罪悪感に苛まれることになる。オタク友達として陽葵とは仲良くさせてもらっているし、余計な感情を生む結果になる行いはしたくなかった。


 もう少しすればクラスのみんなが登校し、ついで朝のホームルームが始まる。

 結局ゲームをする時間は無くなってしまったが、無視して変に罪悪感を抱くよりかはよっぽど良いだろう。


 ということで悠利は一人勝手に満足していたのだが、隣を見れば陽葵は何やら難しい顔をしている。

 悠利の言い分に納得し切れていない様子だが、ふと閃いたように今度はパッと顔を上げる。


「そうだ! 水瀬、ちょっとだけ待ってて」


 そう言い残して陽葵は足早に教室を出て行った。


 音を立てて閉まったドアを振り返りながら、悠利は「え、なに?」と戸惑いを隠せないまま立ち尽くす。


 急に教室を出てどうしたのかと疑問を抱いたのもそうだが、さっきまで二人でいたのに突然放置されてしまえば何とも居心地悪い。

 待機を命じられた以上このまま待つしかないが、もし登校してきた誰かにこの状況を見られようものなら「え、一人佇んで何してんの?」と気まずくなることこの上ないだろうに。


「お待たせー」


 しかし、すぐに緩い声が帰ってきて、そんな心配は杞憂に終わった。


 案外あっさりと戻ってきた陽葵の姿を認めて安堵する悠利だが、その手の中身には先程までなかった飲みきりサイズのペットボトルが二つ。どうやら自販機に行っていたらしく、ホットココアとホットコーヒーをそれぞれ持っていた。

 「なぜ二つ?」と内心首を傾げていると、その内の一つをおもむろに差し出してきた。


「はい、あげる」

「え、俺に?」

「他に誰がいるのよ……ほら、冷めないうちに受け取って。コーヒー好きでしょ?」

「そりゃあ好きだけど。いやそうじゃなくて、お礼はいいって言ったのに」


 呆れ口調のまま更に差し出されるが、悠利としてはつい抵抗してしまう。

 お礼欲しさに手伝ったと勘違いされている気がして、もしそうなら受け取ってしまうのはちょっと申し訳ない。


 ただ、そんな悠利の遠慮しい態度にムッとしたのか、陽葵は不貞腐れたように口を尖らせる。


「お礼しないと気が済まないの。だからほら、私のためだと思って受け取ってよ」

「……律儀な奴め」


 私のため、そう言われてしまえば受け取るしかない。

 なんだか心中を見透かされた気がして妙に落ち着かなかったが、本人にその自覚はなさそうなので、意趣返しを狙った訳ではないのだろう。とはいえ、してやられたことには変わりないが。


 仕方なく受け取ると、陽葵の顔は晴れ渡ったように明るくなる。

 コロコロ表情が変わって面白いと思ったが、言及して再び機嫌を損ねられても困るので口にはしなかった。


「確か百円だったよな。ちょっと待って、今渡すから」

「いーよお金なんて。というか、お礼なんだから代金はせびれないって」

「そりゃあそうかもだけど……」

「本当に大丈夫だから。……まあ、それでも納得できないって言うなら、今度飲み物を買うときは水瀬に奢ってもらうってことで。どう?」

「……ったく、分かったよ」


 あまり借りを作りたくないのが本音だったが、そこまで甲斐甲斐しく提案されてしまえば無下にすることもできない。

 溜息交じりに頷くと、陽葵は満足げな笑みを浮かべた。


 と、そこで廊下が騒がしくなってきたので、やり取りを終えて二人は各々の席に戻る。

 そして教室にクラスメートが登校して来て、次第にその数が増えれば、いつも通り朝の日常が広がり始めた。


(……やっぱ苦いな)


 多少冷めてしまった中身を口に含みながら、ありきたりな感想を内心呟く。

 一仕事を終えた後の一杯は格別だと誰かが言っていたが、苦みが僅かに増しただけでコーヒーはやはりコーヒーのままだった。


 まさか朝から疲労感を味わう羽目になるとは思ってもみなかったものの、嫌という気持ちは全くない。まあ、こんな日も悪くないかと思う悠利であった。

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