03 ひまわり姫との出会い②

 店内でひと騒ぎを起こしてしまえば、その場に留まる訳にもいかないだろう。


 レジを通して特典を手に入れた後、逃げるようにその場を後にした悠利らは、近くにあったファミレスに入ることにした。


 大した理由はない。ただ、ファミレス即ち高校生がたむろする場所というイメージが何となくあり、話し合いには打ってつけだと思ったからだ。

 まあ、当然ながら友達と入った試しは一度たりともないので、完全に憶測なのだが。


 入店後、案内された席に向かい合って座ると、店員に促されるがままに注文を済ませる。


「あ、じゃあアイスコーヒーを一つ。……え、えっと、白石さんはどうする?」

「あ、うん。えっと……ならアイスココアにしよう、かな」


 ぎこちないやり取りになってしまったが取り敢えず頼み終え、店員の背中を見送る。……何やら微笑ましそうな目で見られていた気がしなくもないが、恥を晒すだけなので気にしないでおく。


 それよりも、聞きたいことの方が気になって仕方ない。


 ただ、いきなり話を切り出すのは無神経が過ぎると思ったので、取り敢えず飲み物が届くまで悠利は話題を逸らすことにした。


「その、白石さんはココアが好きなのか?」

「あーうん、甘いものが好きだから。そう言う水瀬くんはコーヒーが好きなんだね」

「まあ、そんなとこ。逆に甘いのはあんまりで……」

「そう、なんだ」

「う、うん」

「……」

「……」

 

 露呈したコミュ力のなさに人知れずダメージを受けるが、それにしても、居心地悪そうに視線を泳がせている陽葵の様子が目を引く。


 教室での自信に溢れた姿は見る影もなく、肩を竦めて落ち着きなくしている。

 小動物のように見えなくもないが、見方を変えれば兎と狼の構図にも映っている訳で。別に悪いことはしていないのだが、こちらまで居心地の悪さを感じてしまう。


 気まずいまま沈黙だけが流れていると、救いの手を差し伸べるかの如く注文の品が届く。

 それぞれ受け取ると、悠利は気を紛らわすようにコーヒーを口に含んだ。


「……やっぱり気になってるよね、なんで私があそこにいたのかって」


 意外にも、話を切り出したのは彼女の方からだった。

 目を見開く悠利をよそに、ココアを飲んで一呼吸置いた陽葵は、おずおずといった様子で続ける。


「なんて言ったらいいのかな……多分、水瀬くんの想像通りだと思うけど、正直予想が外れててほしいというか」

「……つまり、白石さんもオタクってことか?」

「あはは、やっぱバレてる……まあ、はい。普段は隠してるけど実は結構ガチ寄りといいますか、深夜帯のアニメもリアタイ視聴するし漫画とかラノベも普通に読んだり、って感じです」

「な、なるほど」


 「なぜ敬語?」と陽葵の急な物腰の低さに疑問符が浮かぶものの、概ね悠利の予想通りといった内容だった。


 アニメショップという場所かつラノベを前にして醜態を晒したとなれば、もはや言い逃れはできない。

 偶然迷い込むような場所ではあるまいし、先程の様子を見れば少なくとも初心者ではないと見当がつく。


「今日も特典ゲットのためにここに来ててね。もちろん家の近くにもお店はあるけど、ラノベ買ってるところを見られでもしたら大変だから」

「ああ、それで変な恰好を」

「変な恰好……いやまあ、夏にこんな服を着てるんだからそう思われても仕方ないか。一応変装のつもりなんだけどなあ」


 若干気落ちしている様子の陽葵は、そのトレードマークである長く緩やかな後ろ髪を結い、教室では見せることのなかったうなじを時に覗かせている。

 それに、今でこそ帽子とフードを外しているものの、先程まで顔を隠せるよう深く被っていたのも記憶に新しい。それらが変装の一部ということなら疑問は晴れる。

 

 確かに、雰囲気を変えれば、知り合いにオタク趣味がバレることなく目的も達成できる。

 ただ、遠目からであればいくらでも誤魔化しが効いただろうが、眼前で捉えてしまえばその努力も無に帰してしまう。とはいえ、流石に今回のようなケースは極稀だと思うが。


 ある程度予想はしていたが、それでも、こうして彼女の口から次々と事実が明らかにされれば驚きが勝る。


 普段から匂わせていれば別だが、教室での立ち振る舞いからはオタクらしさなんて微塵も感じられなかった。


 いつでも明るく誰にでも優しい人気者で、みんなから慕われる人格者で、常にクラスの中心にいる陽の者。

 陰の要素とは無縁の人だという認識だったので、入学してからずっと陽葵に抱いてきたイメージとのギャップについ呆けてしまう。


(まさか、白石さんがこちら側の人間だったとは……)


 思いもしなかった真実を前にして悠利の目が点になっていると、陽葵は後悔に暮れるような表情で深く息をついた。


「あうぅ完全に油断した……知り合いに会いたくないから遠くまで来たのに、まさか水瀬くんと鉢合わせるなんて」

「まあ、知り合いに会いたくないってのには同意するけど。てか、今更だが俺のこと認知してたんだな。ほとんど話したことないってのに」

「同じクラスなら当然……って訳でもないか。実を言うとね、水瀬くんには割と親近感を持ってたんだ」

「そうなのか?」

「オタク同士だしね。多分、話せば気も合うんだろうなーって」


 接点がなかったので少し意外だったが、そういうことなら頷ける。

 

 話の節々から陽葵が相当のオタクなのだと伝わってくるし、何ならその熱意は悠利以上かもしれない。

 普段こそバレないように装っていても、自分と同じような存在が教室にいれば、関わりがなくとも興味くらいは向かうだろう。オタク同士は引かれ合うと言った方がわかりやすいか。


 まあ、クラス内に悠利以外のオタクがいなかったからというだけで、悠利自身に関心が向いた訳ではないだろうが。


「……でも結局、話しかけたりはしなかったんだけどね」


 そう言って静かに目を伏せる陽葵。どこか躊躇いのようなものを感じられて悠利は少し違和感を覚えたが、すぐに彼女は緊張した面持ちに表情を改めた。


「あ、あのさ、私がオタクだってこと、みんなには内緒にしてもらえないかな?」

「なんだよ改まって?」

「お願いしてる側なら当然でしょ? 今日のことをバラされたら人生終了なんだし、水瀬くんには秘密を守ってもらわないと困るの」

「んな大袈裟な……」


 口では否定してみせるものの、確かにそうとも言い切れないのかもしれない。


 陽のイメージを保っているからこそ今の地位を確立している陽葵だが、もしオタクだという事実がバレてしまえば、これまで積み上げてきた白石陽葵というイメージが崩壊することになる。


 オタクである悠利ですら呆気にとられたのだから、陰耐性のないクラスメートは裏切られたように感じるのではないか。


 オタクが何かと距離を置かれがちな属性であることを鑑みれば、陽葵が恐る恐る切り出してきたのも納得がいった。


 ただ生憎というか何というか、今の悠利にその事実をバラすつもりはなかった。


 いち陰キャの暴露なんぞ信じてもらえるはずがないという悲しい現実もあるが、奇遇にも自分と同レベルのオタクと出会った喜びの方が遥かに勝っていた。

 同志を前にしてしまえば、イメージなんてものは些細な問題に過ぎなかった。


「別に、みんなに言いふらしたりなんてしないよ」


 悠利は安堵させようと声を和らげたつもりだったが、陽葵は一瞬目を見開いたかと思うと怪訝な眼差しを向けてきた。


「……ごめん。お願いしてる立場で言えることじゃないけど、それだけだと流石に信用できないかな。見返りを求めないのに要求は呑んでくれるって、そんなのお人好しが過ぎるよ」

「まあ、タダほど怖い話はないってよく聞くけど。でも本当に見返りが欲しい訳じゃなくて」

「後になって『グヘヘ、秘密にしてほしかったら俺の言う通りに―――』とか言って私を脅迫するつもりなんじゃ」

「なんでだよ。いや、しないから」


 「二次元に毒されすぎだろ」と頭を抱えたくなるが、陽葵はその眼差しを鋭くさせるばかり。あからさまに警戒されてしまった。


 確かに陽葵が疑うのも当然だと思うし、それを否定するつもりもないが、もう少し言い方というものがあるだろうに。なんだよ「グヘヘ」って。


(くっ、どうすれば白石さんに信用してもらえるんだ)


 言葉巧みに説得できれば良いが、悠利にそのようなコミュ力は備わっていないし、この場でないものねだりをしたって仕方ないだろう。


 ならば他に何か方法があるのかと思案し……ふと思い出す。


「そういえばさっき、特典がどーのこーのって言ってたけど、何の作品なんだ?」

「え? ああ、さっき買ったラノベのこと? でもなんで今……」

「いや、なんとなく気になって……嫌なら無理に答えなくていいんだけど」

「別に嫌って訳じゃ……まあいいけど。『魔王討伐するはずが異世界ラブコメ始まっちゃった件』ってタイトルの作品なんだけど―――」

「え!? 白石さん、まおラブ好きなのか!?」


 ブックカバーを外したそれを陽葵がリュックから取り出して見せた途端、悠利は堪らず前傾姿勢になって目を輝かせた。


「俺も好きなんだ! 一見ありきたりな異世界転生ものだけど中身はギャグに全振りしたような弾け具合で読んでて面白いし、特に一巻のヒロトとミナミの不器用なやり取りがまた面白くってさ! 本屋であらすじを見て試しに買ってみたけど、今じゃ発売日に欠かさず買いに行くくらいハマっちゃって……あ、もしかして白石さんも?」

「う、うん……表紙のイラストに惹かれて手に取ってそのままって感じで」

「分かる! 独特の柔らかいタッチが最高かつ絶妙っていうか、表紙見ただけで衝動買いしたくなるよな! しかも挿絵の尊さといったらもう感無量で―――」


 興奮するあまり、その後もしばらく熱弁する悠利。


 まおラブは確かに人気作品だが、それはあくまでもオタク界隈でという話で、馴染みのない一般人からすればマイナー作品の一つに過ぎない。

 これまで周りで知っている相手がいなかった悠利にとって、自分と同じオタク、しかも同じラノベファンとの出会いは初めてで、柄にもなくテンションが上がってしまう。

  

 それに思い返してみれば、陽葵が売り場で呟いていた内容とまおラブの特典は一致していた。

 今日発売のラノベは複数あり、てっきり他の作品のこととばかり思っていたので、悠利が浮かれるのも猶更だった。


「いやー売り場にいた時は全然気づかなかったけど。そっか、白石さんもまおラブファンだったとは……」


 悠利は腕を組んで浸るように頷くが、そこでようやくハッと我に返る。

 目の前にはキョトンとしている陽葵。説得するはずがかえって呆気に取られていることに、今更ながら気づいた。


「あ、いや、ごめん。今のはちょっと違うというか……」


 慌てて取り繕うが、覆水盆に返らずとはこのことだろう。

 瞬きを繰り返す陽葵はこちらの言うことが全く耳に入っていない様子で、悠利はやってしまったとばかりに血の気が引いた。


「……ぷっ、あはは!」


 と思いきや、今度は思いっきり笑われてしまった。


「なんでこのタイミングで作品愛を熱く語ってるの! 水瀬くんってもしかしてバカなんじゃないの……!」

「バ、バカって……」


 しかし反論はできない。顔を引き攣らせるが何も言い返せず、顔やら耳やらが熱くなる。


 説得すべき場面で作品愛を熱弁してしまった以上笑われて当然だと思うのだが、それにしても笑い過ぎではないだろうか。

 なんだか余計に辱めを受けてしまった気がするが、つんけんとしていた先程までの空気が和んだのは不幸中の幸いと言うべきかもしれない……正直腑に落ちないけど。


「はー、なんか久しぶりにこんなに笑った気がする」

「……ここまで人に笑われたのは初めてなんだが」

「気分を悪くさせたならごめんなさい。でも水瀬くんがあまりにおかしかったから……」

「いやまあ、俺に非があるのは本当だし……」


 笑われた理由に関しては自業自得だと自覚しているし、そのことで陽葵に不満を向けるつもりもなかった。

 

 「次からは気をつけよう」と悠利が内心反省していると、陽葵は気が緩んだように朗らかな表情を浮かべて言う。

 

「わかった。信じるよ、水瀬くんのこと」

「え、いいのか?」

「うん。悪い人だったらどうしようって不安だったけど、話してて水瀬くんはそういう人じゃないって思えたから。ただまっすぐで、裏表がない人なんだなって」

「お、おう」


 実際はただ暴走していただけなのだが。思いのほか陽葵には好意的に受け止められていたらしく、面映ゆさを感じてつい視線を逸らす。


 結果的に陽葵を説得できた訳だが、作品愛を一方的に語っただけで説得らしい説得は全くできていなかった。

 語った内容もマニアックな部分が多く、何度も読み直してようやく気づけるようなものばかりだった。

 

 それでも理解を示してくれたということは、おそらく陽葵にも通ずるところがあったのだろう。


 初めて共感してもらえた気がして、なんだか無性に気恥ずかしかった。

 

「それに……まおラブへの愛はにあるみたいだしね?」


 私の次に。誘うようなその一言に、一転して悠利の眉はピクリと反応した。


「……へえ、驚いた。白石さんでもそういう冗談を言うなんて」

「私はただ事実を言っただけなんだけどなあ」

「なら尚更だよ。俺以上にまおラブを語れる奴はいないってのに」

「それじゃあ、冗談かどうか、ここで確かめてみせようか?」

「いいだろう。乗ってやる!」


 ニヤリと悪戯っぽく笑う陽葵の挑発に、悠利もまた口角を上げて応える。

 それから二時間弱、ファミレスの片隅で悠利と陽葵は作品愛をひたすら語り合ったのであった。


 ―――という訳で、意気投合した二人はその場で連絡先を交換し、以来交流を深めるようになった。


 通話アプリを用いて深夜アニメの同時視聴をしたり、朝になるまで夜通しジャンルを問わずアニメや漫画ラノベの感想を語り合ったり、オンラインゲームで対戦して腕を競い合ったり。 

 夏休みが終わってもそれは変わらずで、新学期が始まってしばらく経った現在に至るまで、クラスのみんなに隠れてコソコソと二人で遊ぶのが日常になっていた。

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