冬:釣り人たちの話も延々と

 祖父は磯船いそぶねと呼ばれるボートくらいの小さな船と、中型の漁船を所有していて、自分の漁が暇になると、釣り船の船長をやっていた。

 この時期が秋の終わりから、冬のはじまりくらいで、本当の厳冬期には、ほとんど家にいて雪かきばかりしている。

 釣り船のお客さんは、朝マズメに竿を出すために、前日から祖父の家に泊まり込んでいることがあった。


 私は、大人の話を聞くのが好きな子どもだった。

 たぶん孫世代の中で一番最初に生まれた子だから、最初に話す相手が大人ばかりで、なおかつ初孫・初姪にベタ甘だったことに味をしめていたのだろう。

 それは思春期まっさかりの中学生になっても変わらず、初対面のお客さん相手にも、喜々として晩酌の相手になった。


 祖父がそういう時に「子どもは下がってなさい」というタイプで無かったというのも、もちろん大きい。

 彼は小学校を卒業後、自分の父の見習いとして働きはじめ、漁師になった。

 恋愛結婚で、結構大きな商家の娘だった祖母とは、駆け落ち的なドラマもあったらしい。

 小さな村で生まれ、そこからほとんど出ずに生きたけれど、早くから水産資源の枯渇の問題や、海は山と一体であり、山の汚染は海の汚染につながることを漁業組合に提言してきた人だった。


 幼い私を膝の上にのせて、小難しい話を聞かせ、おまえはどう思うと尋ねてくれた。

 もう任せられるなと、包丁を持たせてくれ、祖父がプライドを持って世に出している商品に触らせてくれた。

 村で会う人たちに「オレの孫だ」と自慢して、ずっと私を特別な月子でいさせてくれた。

 私の心に、決して揺らがない土台を築いてくれた人だ。

 

 そしてここだけの話、同世代のじいちゃんたちに比べると、かなりイケてるイケジジだったと思う。

 身長が170センチを超えていて、足が長くて、鼻筋がスッと通っていた。

 しかも話上手で、歌もうまく、私のオジサン好きは、たぶんここに端を発している。


 だのに、嗚呼ああ

 あんなに可愛がられた孫の私は、祖父の形質をひとつも受け継がなかった。

 メンデルの法則を学んでなお、大変納得のいかない現実である。


 

 釣り人たちとの晩酌に話を戻そう。

 私は今まで「無口な男」に会ったことが無い。

 酒を飲みつつ、趣味の話に花が咲けば、どんなにいかつい顔のおじさんでも延々と話すものだと思っている。

「自分、不器用ですから」とおしゃべりを断る客はひとりもおらず、早朝三時に起床予定の彼らをこっちが心配するほど、夜遅くまでよくしゃべった。


 いつどこで、どのくらい大きな魚を釣ったか。船がひっくりかえりそうな大波の中で足を踏ん張って、弓のようにしなった竿を必死で抑え込んで……。

 中学生でも名前を知っているような大きな会社の部長さんが、少年のように目を輝かせて、身振り手振りを交えて話す。


 その部長さんがトイレに立つと、係長さんが「実は僕もね……」と写真を取り出して見せてくれる。まだスマホの無い時代、フィルムから現像した写真をわざわざ持ち歩いているのだ。

 身長ほどもありそうな大物を掲げている姿に、「こんなに大きなブリ、じいちゃんでも釣ったことはないですよ!」と言うと、ヘヘンと自慢げに笑っていた。

(のちに、釣った魚を大きく見せる写り方があると知って、ちょっとくやしかった)


 祖父はある程度同席した後に、私に「任せられるな」と判断すると、さっさと自分は寝室に引っ込んで寝てしまう。

 祖母は晩酌のツマミが切れないか常に気にしながら、台所で朝食の仕込みをしている。そういえば子どもの頃、祖母が眠っているところを見たことがなかった。


 尽きない話に、今夜も長くなりそうだなとストーブに薪をくべると、釣り人はしみじみと言う。

「ああ、まきストーブはいいねぇ。石油ファンヒーターは便利だけど、本物の火はやっぱりホッとするよ」 

 居間には大きな石油ストーブに加えて、時計1型と呼ばれるひょうたん型の薪ストーブがあった。

 両方を全力で燃やしていても、断熱材が一切入っていないこの家は、ストーブの直近以外の場所は全く温まらない。


 常にストーブの上にかけっぱなしになっているヤカンから、お銚子ちょうしを取り出して底の温度を確かめる。

 私はこの時には指先の感覚だけで、ぬる燗から熱燗まで判断でき、なかなか良いタイミングでお酌ができる女子中学生だった。

 数少ない特技なのだが、社会に出てからあまり役立ったことはない。


 トロトロと燃えるストーブの火を背中に感じながら、いつのまにか小学校時代の話をはじめているお客さんの話に引き込まれる。

 日付が変わるまで延々と飲みながら話していても、翌朝はちゃんと定刻に起きて船に乗るのだからオジサンというのはすごいのだ。


 長い年月の間に、いぶされて飴色あめいろに変わった梁を見上げながらお客さんは言う。 

「いいなぁ、僕も仕事を定年退職したら、こんな風に暮らしたいなぁ」

 ようやく寝に行く様子の男性の背中を、私は何とも言えない気持ちで見送った。

 

 山菜とり、豆続き、かまぼこ揚げ……。

 終わるまで終わらない仕事をこなし、手に入るものをやりくりして日々を紡いでゆく。

 自然は厳しい。海は恵みを与えてくれるが、時に容赦なく命も奪う。

 吹きつける潮風は、屋根を錆びつかせ家をきしませて、眠れないほどえる。


 その現実を知っていてもなお、確かにこの場所は魅力に満ち溢れていた。

 だけど、本気でそんな暮らしがしたいなら、定年を待たず体力があるうちに始めた方がいいですよ、と思ったのだ。

 

 はじけたバブルの尾をひきずる北海道で、祖父母は取り残されたような暮らしぶりスローライフだった。

 それでもあの家で流れる時間には、町でお金を出せば手に入るアレコレとは別の、「豊かさ」があったように思えてならない。 

 

 外の薪小屋から、明日使うための薪を土間まで運び入れると、背中を丸めて座っていた祖母が振り向いて、ニコリと笑った。

「ごくろうさん。月子ちゃん、寝る前にリンゴ食べなさい」

 

 いや、やっぱり、延々としたいとしい暮らしがあっただけかもしれない。

(完)



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スローライフは、延々と。 竹部 月子 @tukiko-t

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