名刺対戦(CARD BATTLER)

K-enterprise

増えた名刺の〈ゆうこう〉活用

 広い広い国際展示場の片隅に、そのブースは存在していた。


 付近には飲み物の自動販売機や、屋外に出入りできる扉などがあり、会場内を歩き疲れた人々が休憩する姿が散見されるものの、場末的というか、往来そのものは非常に少ない不人気エリアと言えるだろう。

 先進技術を用いた機械設備や新規性の高い電子機器など、華やかなテーマである展示会の中で、聞いたことのないメーカーや、いったい何を展示しているのか分からない小さな企業ブースが並ぶ中、そのブースは存在していた。


「少しだけお時間ちょうだいできませんか?」


 一日中歩き通し、そろそろ引き上げようかと考えていた俺を、そこにいたスーツ姿で凡庸な男が、印象に残らない笑顔で呼び止める。

 ブースのコマとしては最小単位なのだろう。左右が二メートル半ほどの空間に、白い布がかけられた、おそらくは会議室に並んでいるような長テーブルが置かれている。

 その上に、携帯ゲーム機ほどの長方形の物体があった。

 男の背後には、企業名と共に製品の紹介パネルが掲示されており、そこには

『保有名刺はどのくらいありますか? その名刺を有効活用しませんか?』

 と大人しいロゴで書かれていた。


 今日一日で、三十枚ほどの名刺を交換していたこともあり、また、最近は新しい部署での活動が増え、デスクの引き出しには二百枚ほどの名刺が乱雑に保管されていて、それを電子化し社内で有効活用するツールを探すのも、今日のテーマであったため、男の営業トークに興味を覚えた。


「最近流行りの営業DXというヤツですか? 名刺を読み取るスキャナーみたいな?」


 俺の質問に男が首を横に振る。


「いえいえ、そういった名刺を管理するツールは、アプリなどでも無料で展開され、ほとんどの情報がクラウドで紐づいています。多くの製品が存在し飽和状態となり市場としては安定から衰退に変化していると言えるでしょう。そこに新規で参入するほど勝負師ではありません」


 ニコニコ顔のまま、男は両手のジェスチャーを多用し一息に述べる。


「ではいったい、これはどのような製品なのですか」

「その前に、あなたさまがこれまでに収集した名刺は、何枚くらいありますか?」

「そう……ですね、未整理のものも含め数百枚はくだらないかと」


 当初こそ、名刺ホルダーのようなものを使って、一枚一枚を大切に保管していた。いただいた日にちや相手の印象などもメモして、ときおりそれを見返して、自身の仕事の歴史を振り返ることもあった。


「その全てを大切に保管しておりますか?」

「ええ、なんか捨てられないんですよね。同僚なんかはアプリで読み取ったら捨ててしまう奴もいますけど」


 名刺の処分に対し、何が常識かなんてよくわからなかったが、直接、本人から渡される名刺は、なんとなくその人の魂っぽい何かを感じ、捨てるということはできなかった。


「ほう、今時珍しいですね。名刺なんてただの情報に過ぎないと思います。同僚の方の方が合理的だと思いますけど?」


 大切な矜持を馬鹿にされたみたいで、少しだけ不快な気分が浮かび上がる。

 それが顔に出たのだろう。男は弁解するように続ける。


「いやいや申し訳ない。ここで営業して、皆さんに名刺の保管を聞きますと、ほとんどの方がデータに取って廃棄するというんです。ですので、保管している人は珍しく、つい心にもないことを聞いてしまいました」


 男はそう言って軽く頭を下げる。


「で、です! そんな、名刺を大切に保管するあなたに朗報があります」


 男は顔を上げながら机越しに大きく乗り出して声を上げる。

 

「ろ、朗報?」


 若干引きながら、変な人に捕まってしまったと困惑が深まる。


「ええ。こちらの製品をご覧ください。これはあなたが保有する名刺を有効活用してくれる装置です。名付けて“名刺バトラー”」


 脳内に“BUTLER”という英単語が浮かぶ。執事、つまりは名刺を何らかの意図で管理検索してくれる機能なのだろうか? と質問する。


「執事的な、管理検索機能に長けているということですか?」

「いえ、そのバトラーではありません。BATTLER、戦うということです」


 頭の中に、遠い昔に流行った“バーコードバトラー”という玩具が思い浮かぶ。


「つまりこれは、手持ちの名刺を読み取り、その情報を何らかの方法で数値化し、対戦するというものですか?」

「概ね、そういった理解で構いません」

「なんだか悪趣味ですね。それに私のような弱小企業の平社員では誰にも勝てそうにありませんね」

「そうとも限りません。名刺とはあなたの名前が刻まれています。名は体を表すものです。所属しているコミュニティや経歴ではない、あなた自身の出自は、自覚していない潜在能力を持っているかもしれません。潜在能力の存在を知らなければ、使うこともできないというだけの話です」


 なるほど、企業名や役職で能力が決まってしまうのであれば、有名どころの名刺を持つ人が常勝するのは必至。そこにランダムな要素を付加し、単純な能力差では勝敗が決しない工夫があるということか。


「つまりこの機械に私の名刺を読ませると、私の隠された能力が見えるかもしれない?」


 それがどんなアルゴリズムで発現するのか興味を持ちながら、同時に、俺はなんでこんな玩具の説明に付き合っているのだと馬鹿馬鹿しく思いつつ質問を重ねる。


「残念ですがお客様。ご自身の名刺をお使いになるのはお控えください」

「……それは何故でしょうか?」

「よほど手持ちが無いのであれば最後の手段として仕方ありませんが、まずはお手持ちの他人の名刺をご使用になられるべきかと。ところで本日、ご自身以外のお名刺はお持ちですか?」

「あ、は、はい。ありますけど……」


 何やら訝しく感じながら思わず首肯してしまった。


「論より証拠、実演いたしますので、そのお名刺をお貸しいただけますか?」


 男の笑顔は変わらない。ずっとにこやかなままだ。

 まるで、笑顔の面を被っているようだ。なぜだかそう感じた。

 

 そんな不確かな感覚を持っているのに、俺の右手は内ポケットの名刺入れから数十枚の名刺を取り出し男に渡していた。


「ほう、これはたくさん。なかなかに有名どころのお方も含まれておりますね」


 男は、テーブルの上の装置の上蓋を開け、そこに重ねた名刺を入れて蓋を閉じた。


「これで読み込みは完了しました。というわけでこちらはモニターとしてお客様にお預けします」


 男はそう言いながら、その装置“名刺バトラー”を俺に差し出す。


「いや、渡されても……というか、これでどうやって遊ぶんです? バトルってことは相手がいるってことですよね、この装置で二人が遊ぶとかそういうものじゃないのですか?」

「遊ぶ? 私は戦うと申し上げたはずですが?」

「は?」

「そこに屋外に出る扉があります。まずは外に出てみてください。そこでこれの操作説明を行っております」


 男は俺に“名刺バトラー”を押し付けながら、屋外に出られる鉄の扉を指差して言った。


「いや、私にそんなつもりはありませんから、ていうか名刺を返してください」


 俺は押し付けられた黒い四角い箱の上蓋を、見よう見まねで開ける。

 だが、そこにはぽっかりとした空間があるだけで、先ほど確かに収められた名刺は一枚も存在していなかった。


「え? 名刺は?」

「イメージしてみてください。そこに収められた二十八の名刺のことを。頭に浮かんでくるはずです」


 男は穏やかな口調で諭すように話す。

 確かに、言われるように、今日この会場でいただいた名刺の全てが、名前や企業名、もっと言えば記載されている情報まで頭に浮かんでくる。


「これはいったい……」


 触れるだけで脳内に記録を伝達する技術が実用化されているなんて聞いたことがない。

 確かにこれがあればデータベースもクラウドサービスも必要ない。

 だが、現在の技術力で可能なのかという自問には、本能的な違和感しか浮かばなかった。


「あそこにある扉から外に出て、確かめてください。そうすれば全ての疑問は解消できます」


 男はブースの裏手にある薄暗い扉を指差しながら告げる。

 男の声は小さかったのに、耳元で囁かれたようにはっきりと聞こえ、それは不思議と強制力を伴っていた。

 俺は、ほぼ自動的に、ゆっくりと屋外に通じる扉に歩き、そして冷たいノブを捻る。


 冬の夕刻、曇天だ。

 すっかりと暗い世界はいくつかの常夜灯の光で白い斑を浮かべていた。

 小さな音を立てて冷たい風が頬を撫でる。

 ガチャンと扉が閉まる音で、脳内が一気に覚醒した。

 そして、いつの間にか眼前に小さな人影があった。


「お待ちしてました。寒かったです」


 まだスーツを着こなせていない、二十代前半と思しき女性だった。

 冬用のコート、肩にかけたショルダーバッグ。

 そして手には、俺と同じ黒い箱を持っている。


「きみは……」

「ひどいですよね、通りすがりにモニターをさせたと思ったら新規ユーザーへの説明を強要するなんて」


 疲れた様子の女性は、やっと巡り合えた仇を見るような眼をしていた。


「どういうこと?」

「これから、これを使って戦います。それで勝ったらこの場を離れることができるそうです。残念ながら、さっき私は負けちゃいました」

「待ってくれ、意味が分からない! 私は疑問を解消してもらえるってここに来たんだ」

「私も同じですよ。この装置の説明は受けましたか?」

「“名刺バトラー”と言っていた。取り込んだ名刺を数値化して戦うとかなんとか」


 いや、数値化すると想定したのは俺だ。

 あの男は、確か「そういった理解で構わない」と言っただけだ。


「では説明します。これは取り込んだ名刺の人物を一人だけ具現化できます。その人物同士を戦わせるというものです」


 女性の言葉がうまく理解できない。


「具現化っていうのは、あれか? 三次元投影的な?」

「その人そのものですよ。ただ、完全コピーのような存在らしいです。オリジナルを転移させるとか、そんなんじゃありません。知識や経験は保持したまま現状認識能力もありますが、戦うことを義務付けられ、そこに疑問は持っていません」

「いやちょっと待ってくれ、冗談も大概に……」

「埒があきませんので始めましょう。出でよ」


 俺の言葉を遮ると、女性は小さく呟いた。

 彼女の左側に黒い靄のようなものが浮かんだと思ったら、それは人のカタチに変化した。

 そこには、対峙していた女性とうり二つの女性が立っていた。


「私、新入社員なんです。上司のお供でこの展示会に来て、でも名刺交換って慣れてなくて、一枚しか交換できなかったんです。それもさっき使っちゃって、だから自分の名刺を入れたんです」

「じ、自分の名刺は使うなって……」


 俺は気にするところはそこじゃないだろ? と自問しながらそんな問いかけをしていた。


「知っています。でも、自分の名刺以外は持っていないし、ここから動けない。勝てばここから解放される。そうすれば手あたり次第、名刺を集めてこの中に入れることができる。そうすればきっと中にはすごく強い名刺だってあるはず!」


 女性の目には狂気が宿っていた。

 彼女の境遇や詳細は分からないが、理不尽な状況という意味ではこちらも同じだ。


「早く! これによって具現化された存在同士じゃなければ戦えないの! 早く呼び出してよ!」


 耐えていた思いを吐き出すような絶叫に、反射的に“名刺バトラー”を持ち直す。

 現在登録されている二十八枚の中から、誰を選ぶべきかなんて分からなかった。

 だから、おそらく一番有名な企業の部長職を選択した。

 今日出会って名刺交換した中では、社会的ステータスが一番高いだろう。


「出でよ! 日本ビッグソフトの山田部長!」


 俺の左脇に黒い靄が浮かび、みるみる形を変えて、上質なスーツ姿の偉丈夫が現れていた。


「日本ビッグソフトの山田です」

「なんかすみません。こんなことに巻き込んでしまって」

「いえ、お気になさらず。職務を全うするだけです」


 思わず恐縮して話してしまったが、さっき女性が言っていた通り、仮初の存在ということか。事情も察しているようだ。


 すると空間にカウントダウンする赤い文字や緑のバーと黄色のバーが浮かぶ。

 まるで格闘ゲームの表示のようだった。


 GO!


 どこからともなく聞こえた鐘の音に反応する女性の分身と山田さん。

 青い60という数字がカウントダウンを始める。

 お互いが急接近して、女性は回し蹴りを、山田さんは脇を締めてボクシングのファイティングポーズの構え。

 女性の右回し蹴りを左肩の筋肉でいなした山田さんが右のジャブをカウンター気味に突き入れる。

 女性は軸足の支点を傾かせ、ジャブを躱すと体を捻りながらジャンプして、地についていた左足を後ろ回し蹴りのような変則攻撃につなげる。

 山田さんは、突き入れていた右腕を巧みに操り、女性の槍のような左足を捌く。


 なんて動きだ。

 女性は足技主体の格闘技の経験があるのか、一度距離を取った後、山田さんを支点に移動を開始する。

 その移動は、まるで浮いているように見えた。スリックバックだ!

 山田さんはその移動方法に困惑しているように見える。確かに、山田さんくらいの年齢なら、ネットで流行りのダンス技法なんて知らない可能性がある。


 次の瞬間、周囲を高速移動している女性の右手が振り下ろされる。

 キラリと反射したそれは、まるでナイフのように見えた。

 山田さんの周囲を回転しながら、90度毎に一射、計四つの閃光が時間差で山田さんを襲う。


 ただ、山田さんも右手を振った。

 その右手が延びて、四つの凶器をほぼ同時に叩き落とす。

 跳ね飛ばされ、俺の目の前に転がってきたものは、万年筆のような筆記用具だった。

 山田さんは振った右手を女性に伸ばす。どうやら、鞭のようなものを振っているようだ。

 移動中の片足に絡みついた鞭は、そのまま意思を持つかのように女性を高々と持ち上げ、躊躇せず地面に叩きつけた。

 二度三度バウンドした女性側の緑のバーが、一気に赤に変化した。

 ノックアウトしたということなのだろう。YOU WIN!という安っぽい電子音声が響き、あらゆる表示が消え、すぐに静寂が訪れた。


 倒れていた女性の分身が黒い靄になって消えた。

 山田さんは、鞭を手に持ったままこちらに振り向いた。


「ムエタイと漫画を趣味にしていたということですかな。Gペンの連投能力が高ければもう少し苦戦していたかもしれません」


 ニコリと笑った山田さんがメタ認知的な解説をしてくれる。


「あの、ありがとうございました! 山田さんはボクシングと、それは?」


 俺は鞭を指差しながら尋ねる。


「ただのSMマニアですよ。たしなんでおいて良かったです」

「……それは、なんとも……ところで、いろいろと聞きたいことが!」

「残念、時間切れです。次の機会があれば、またそこで」


 言いながら、愛用の鞭と共に山田さんも黒い靄になって消えてしまった。

 負けて俯いたままの女性と二人だけになってしまった。


「ごふっ!」


 気まずくて、どうすればいいか行動を躊躇していると、静かに佇んでいた女性が吐血しながらいきなり倒れた。


「ちょっと! 大丈夫ですか!」


 慌てて駆け寄り、抱き起す。


「……これが、自分の名刺を、使ってはいけない理由、です」

「そんな、だってあいつらは仮初かりそめの存在なんだろ?」

「本人じゃないというだけ……使用する能力も、そこから読み取る訳だから、当然、分身が負ったダメージは……フィードバックされるの」


 息も絶え絶えに、だけどどうしても話さなくてならないとばかりに女性は会話を続ける。


「そんな! それじゃここで負けた名刺の人は死んでしまうのか?」

「戦いの、ダメージによって、どんな代償が返るかは、わからない。怪我だったり、病気だったり、精神を病んだり、いろいろ、らしい。私も、自分の名刺、初めて使ったからよく分からない」


 女性は、そこで意識を失った。

 幸い、心拍も呼吸もある。だが身体には大きなダメージがあるのだろう。


「病院に連れて行かないと」


『その女性はここからは出られないですよ。ここはチュートリアルの場ですからね、負けた人は出られない。勝つしか日常には戻れないのです』


 どこからともなく、俺に“名刺バトラー”を押し付けた笑顔の男の声が聞こえる。


「この人は怪我をしてもう戦えない!」

『ならば、あなたが代行すればいい。あなたが他の人に勝てば、あなたもその女性も自由になれる』

「な、んだと」


 その時、俺が出てきた展示会場の扉が開く。

 場内の照明を逆光に、背筋の曲がった眼鏡の中年男が現れる。

 その男が手に持っているのは“名刺バトラー”だ。


『さあ、あなたがせっせと集めた名刺を有意義に活用できるのです。ここで勝って自由になれば、あなたが持っている数百枚の名刺も取り込むことができる。そしてここからが大事な話。あなたが勝てば勝つほど、あなたの格が上がり、あなたもあなたの名刺も強くなる。そうそう、一度消費した名刺は消えてしまいます。なので山田さんはもう呼べませんよ? その時々に合わせて、どの名刺を使うかよく考えてくださいね』


 ご丁寧に解説をしてくれる笑い顔の男の声を、俺は半分も聞いていなかった。

 俺の目の前に歩いてくる中年男、そいつの顔に見覚えがある。


「すみません、わたし、名刺を切らせておりまして」


 数時間前、俺が差し出した名刺を受け取りながら、そう言って頭を掻く姿を思い出す。

 

 中年男は俺の顔を視認した後、ニコリと笑って“名刺バトラー”を掲げる。

 彼の左側に生まれた黒い靄が人のカタチを成すと、そこに現れたのは……





―― 了 ――

 

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