第4話 血《ケツ》の章
「うぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
叫びながら雪人が目を覚まし、怯えた表情で辺りを見渡す。どうやらここは奥戸家の客間のようで、そんな怯える雪人に「ようやく目を覚ましたみたいですね」と、優しげな声がかけられた。
雪人が声がした方に視線を向けると、そこには短い黒髪に、金縁の丸眼鏡を掛けた男、鷹臣の姿。雪人は鷹臣の姿を見るなり飛び起きて抱きつき、先程経験した有り得ざる体験を捲し立てた。
「大丈夫ですよ、雪人。もう全て終わったんです」
スベテオワッタ?
「そうです。君のおかげですね、雪人。これまでに起きてしまったことは変えられないけれど、
イミガワカラナイ。
「僕が前々から奥戸家や奥森のことを調べていたのは知っていますよね? 今日もその仕上げをしていて遅くなってしまいました」
その言葉を聞いた雪人が「違う! 違う違う違う! 俺は奥戸家の話をしているんじゃない!
「大丈夫ですよ、雪人。僕も鬼女の話をしているんです。とりあえず……、居間に向かいましょうか」
「居間……に?」
「はい。君の父と兄、それに紗雪さんもいます。そこで──」
鷹臣が眼鏡をかちゃりと上げる。そうしてひと呼吸おき、「奥戸家の穢れを払います」と、雪人に告げた。
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雪人が鷹臣に連れられて居間へ来ると、すでに雪人の母、紗雪、父、幸之介と、兄、幸一が居間にどっかりと据えられた革張りのソファに座っていた。
「いやいやお待たせしてすみませんね、皆さん」
鷹臣がわざとらしく軽快な声音で問いかけるが、誰一人答えようとはしない。
「おやおや? 何故……誰も何も言わないんですか? それは先程僕が伝えたことを認めたということでよろしいでしょうか?」
鷹臣のその言葉に、「くだらん!」と幸之助が声をあげる。だが言葉とは裏腹にその表情は不安気で、まるで
「まあまあそう怒らずに……ね? ひとまずは僕の話を聞いて貰いましょうか。雪人も言いたいことはあるでしょうが、今は黙って僕の話を聞いて下さい」
いつもそうなのだが、鷹臣がふらふらと歩きながら語り始める。鷹臣は決定的なことを伝える時は、いつも人を小馬鹿にするように動く。
そんな鷹臣の口から紡がれた言葉は、にわかには信じがたい衝撃的なものだった。
まずこの奥戸家。奥戸家の男は代々
曰く──奥森には鬼女が住む
曰く──奥森では子が消える
「この二つは、奥戸家がこの地に移り住む前から云われていたことです。まあつまり、
曰く──奥森では血が溢れる
曰く──奥森こそ地獄である
「元からある言葉に比べてなんと抽象的なことか。この家……、築何年ですか? 五十年? 百年? おそらくこの二つの文言が付け加えられてからずっとありますよね?」
シーンと静まり返り、誰も反応を示さない。
「まあいいでしょう。雪人、君がさきほど言っていた血塗れの地蔵は
そういえば鹿肉を用意しておくと言っていたなと、雪人が思い出す。
「とにかく奥戸家は人を近付けたくなかった。奥森に続く道に地蔵を転がしているのもそのためです。ああそれと、雪人が会ったという鬼女なんですが、あれは奥戸家に子供を殺された親です。子の名前は確か……、
「あれは『死ね』って言っていたんじゃなくて……?」
鷹臣の言葉を聞いた雪人が納得しそうになるが……、やはり目に焼き付いた
でも……、と言葉を続けようとした雪人の口に、鷹臣の人差し指が触れ、その先の言葉を奪われた。そのかわりに幸之助が「しょ、証拠はあるのか!」と狼狽しながら叫ぶ。が、「まだ僕の話は終わっていませんよ?」と鷹臣が落ち着いた様子で幸之助を制する。
「雪人、君は紗雪さんの態度が豹変したと言っていましたね? それは……、
「……そう……なのか……?」
その後の流れはこうだ。己のしてしまったことに怯えた紗雪は、兄である佐伯敏文を頼った。自分は殺人に関与していないとはいえ、死体遺棄には関わった。世間にこのことが知られれば、雪人の人生に関わる。自分は椎音ちゃんの死体が見つからないようにこの地に残り──
「……とまあこんなところですね。本当に奥戸家は狂っている」
そう吐き捨てるように言い放った鷹臣に、「だから証拠を出せ!」と幸之助と幸一が食ってかかる。
「僕が話している間……、あまり口を挟まなかったのはもう無理だと分かっていたからでしょう? 紗雪さんを殺せなかったですからね」
そう言って鷹臣が紗雪の肩に優しく手を置く。
「今日……紗雪さんを自殺に見せかけて殺すつもりだったんですよね? 罪の意識に耐えられなくなった紗雪さんが、警察に全て話すとでも言ったんですよね? だからあなた達は『まずは家族である雪人に自分達で話す』と雪人を呼び出して……」
つまりこういうことだ。幸之助と幸一は
「どうやって自殺に見せかけて殺そうとしたのかは分かりませんが、おそらく
雪人が目の前で起きている事態についていけず、だが「君のおかげで紗雪さんは助かった」という言葉に涙し、母に抱きつく。紗雪もそんな雪人を抱きしめ返し、「ごめんね……変なことに巻き込んで……あなたを殺人犯の身内にしてしまうなんて……耐えられなくて……」と涙ながらに自白した。
「ではでは……この後のことは警察にお任せして……」
言いながら鷹臣が携帯電話をポケットから取り出し、テーブルの上に置く。
「こちらで調査している間に警察の方と知り合いになりましてね。それで彼が今日は非番だと言うので……、ここに来る前まで他愛の無い話をしていたんです。どうやら電話を切るのを忘れていたよう──」
「うぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「来るっ! 来る来る来るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃっ! すぐに贄は準備しますからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
鷹臣が言い終える前に、幸之助と幸一が叫びながら家を飛び出した。突然の出来事に鷹臣と雪人は面食らうが、二人の後を追って駆け出す。向かっているのは家の裏手。
「そうだ、鷹臣。さっきは納得しかけたけど……、椎音ちゃんの母親が鬼女だってのはやっぱり納得が……」
「今はそれどころではありません!」
「違うんだ……聞いてくれよ鷹臣……、椎音ちゃんの母親ってさ……、口を怪我でもしたのか……? 僕には口が裂けているように見──」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
雪人の声を掻き消すように、二人の叫び声が聞こえた。鷹臣と雪人が家の裏手に辿り着いた時には既に二人の姿はなく、崖下へと向かって点々と血が続く。
崖下を覗いてみれば──
およそ人間では有り得ざるほどに口が裂け広がった──
「見ましたか雪人……」
「ああ……、あれが俺を追いかけていたヤツだよ……」
「椎音ちゃんの母親では……ない……ですよね……。あれが
二人の体に纒はる、穢れた森の重々しい空気。
果たして穢れが先か咎が先か──
だが
いた。
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最後まで目を通して頂き、誠にありがとうございます。このお話に出てくる鷹臣なのですが、ホラーシリーズ【禍系図】などにも登場しております。併せてお楽しみ頂けましたら幸いです。
鋏池穏美
忌女の纒はる穢れ森 鋏池 穏美 @tukaike
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