第109話『幻熱』
意識が浮上する。
まず気付いたのは、強烈な疲労と息の苦しさ。そして、次に聴覚が働きだす。
「がぁあああ”アああ”あ”あ”!!」
鼓膜を叩く悲鳴は俺自身のものだった。
ナイフで胸元を穿り回しているような激痛にのたうちまわる。
意識を失う直前は胸元だけに感じていた痛みが、今は胴体全体にまで広がっていた。
痛みのせいで呼吸さえままならず、身を捩りながら開いた視界には土と草しか映っていなかった。夜か朝かを確かめる事さえままならない有り様。
「……!———って———さい」
誰かが俺の直ぐ近くで何か声を掛けて来た。
その声色から相手が誰かを判断する余裕は無く、言葉を返す体力はなおさら無かった。
体が、裂けそうだ。
「ぎぃ、い、あガッ」
痛みの信号と筋肉を動かす信号が混線したように、激痛に合わせて体が仰け反った。
「ふぐぅうう"う"ぅうう"!!」
意識を失って痛みから逃れる為に、自ら狂ったように地面に頭を打ちつけた。
俺が暴れるのに呼応して、周囲の影が波打つ。
額から血が抜けて沈みかけた意識が、鮮烈な痛みによって強制的に引き上げられる。
「ダァアアアアア”ア”アアア”!!!」
叫び声に呼応して、全身からハリネズミのように影の棘が伸びる。
伸びた影の棘は一定の距離で止まると、凄まじい速度で回転を始める。
周囲の木がミキサーに巻き込まれたように砕かれて沈む。
気の消耗による疲労と、痛みによってチカチカと視界が明滅する。
しかし、気が消費されたことで痛みが少しだけ引いた気がした。
そのことに気付いてからは、ひたすら痛みから逃れるために影を滅茶苦茶に動かした。
地面をくり抜き、鞭のように振り回して岩を砕き、土の奥深くまでひっくり返した。
「あ、っぐ、ぅ」
弱まりはしたが、それでも涙が出るほどの激痛が胸を襲っていた。
涙で滲んだ視界の中で誰かが飛びかかってくるのが見えた俺は、咄嗟に影の棘を伸ばして、その誰かを貫こうとする。
しかし、同時に俺の体が松明によって複数箇所から照らされ、影が消え失せた。
殺される。死にたくない。
咄嗟に、腕に気を込めて襲いかかってきた人物へと拳を振るうが、避けられた上に肩を掴まれて地面に叩きつけられた。
「あぐ、ぁああ”ああ”あ”あ!!」
内臓が揺らされて体の中の激痛が乱反射するようだった。
怒りと生存本能に任せて、全力で唯一動く口元で気を圧縮させて歯をナイフ以上の武器に昇華させると、目の前の存在に噛み付いた。
「……ゥ……」
敵が痛みに呻き声をこぼした。
じんわりと生暖かい鉄の味が口内に流れこんだ。
食らいついたまま顎を振り回すと、皮膚の下の筋肉まで食い千切った感触が歯を通して伝わってくる。
それでも抑えつける力は弱まらない。
俺は食い千切った肉を吐き捨てて、再び噛みつこうとすると、背後から額を引っ張られた。
「うゥうウう”う”ウ”!!!」
「——さい!——なさ——!」
敵は一人ではなかった。
俺は打ち上げられた魚のように、その場でのたうつ。
「……ちっ」
しかし、目の前の敵はさらに力を増して俺の肩を握りしめ、肩の関節を外した。これで俺の抵抗する能力は殆ど削がれてしまった。
「……にたくナい!!!」
服の中にあったナイフに尻尾が届く。
痛みの奔流の中でナイフを尻尾で見つけることができたのは奇跡だった。
その奇跡を活かすように、俺を押さえつけている敵へと突き出そうとして、自分の力でナイフが割れた。気の量の加減を失敗したのだ。
こんなこと今まで無かったのに。
「くそっ、クソお”おお”!!」
「——だ」
目の前の敵が何かを言いながら、俺の胸元に何かを当てる。
「—————ごくな」
今の言葉は『動くな』だろうか。きっと敵は命を盾に俺を脅しているのだ。
俺は体を小刻みに震わせながらも、体の動きを止める。
そうすると、心臓に向けて俺のものとは別の気が流れ込んできた。
消耗し切った俺の気で弾こうとするものの、流れ込んでくる気の量は膨大で、洪水に押し流されるようにして外部の気が簡単に心臓まで到達した。
「……あ」
瞬間、神経が雷撃に打たれたような激痛が走った。
「——ガアア”アAアアAア”ッッ!!!」
痛みだけではなく、体の中をこねくり回されるような不快感と、自分が作り変えられる不安感に、冷や汗と涙が止まらなかった。
俺は意識を保ったままに心臓を弄り回される。
死にそうなほどに痛いが、それでも死にたいとは思わなかった。
寧ろ生きたいという感情が純粋に湧き上がった。
それだけが、俺が俺の輪郭を見失わないでいられた理由だった。
狭まった視界の中で、金色の太陽が薄らと見えた。
永遠に思えた拷問はいつの間にか終わっていた。
気づけば痛みは消え去っている。
「借りは……返した」
太陽が何かを俺に言った。
太陽が上に登って、視界から消えた。
苦痛と暴れ回った疲労によって、俺の体には重い眠気がのしかかっていた。
体が、重い。
俺はいつの間にか、深く穏やかな眠りに落ちていた。
◆◆◆◆
「……」
瞼を開いた。
酷く長い夢を見ていたような気分だった。
体に付いた葉っぱを払い除ける。
体を起こすと、少し遠くに三人の少女が眠っているのが見えた。
ウェンはデイズに背後から抱き付かれて暑そうにしている。
エンはデイズと背中合わせに眠っている。
「……?」
そこで大きな違和感に襲われる。
ウェンの傷はいつ治ったのか。
あの傷の重さだと二、三日はかかる筈だ。
俺は眠る前の記憶を遡る。
確か、街から出て街道沿いに進んで……それで、胸の痛みによって俺は倒れたのだ。
その後の記憶は無い。
深い思考に入っていると、パチッと薪が弾けるような音が聞こえた。
答えを探すように、俺は木の間を抜けて音の発生源を見つける。
「……」
そこには、見張りを任された様子の
少し寒いのか、火の近くに自身の尻尾を置いている。
彼女は俺の存在に気付いていたようで、一度俺を見た後、直ぐに視線を焚き火へと戻した。
俺はそれを許可だと捉えて、彼女の斜め前に座った。俺も彼女を真似て、尻尾を火の近くに寄せる。
「街を出て、何日経った?」
「……五日だ」
それだけの時間、俺は眠っていたということか。
現在地は把握していないが、かなり進んだようだ。
進路はデイズと共有しているため、あらぬ方向に進んでいるということは無いだろう。ひとまず安心する。
「コクヨウ、おまえは馬鹿なやつだ」
唐突に彼女から罵倒を受ける。
俺はそれに対して反論をしようとして、咎めるような彼女の視線を受けて口を閉じる。
「おまえの心臓には、二つの気が宿っていた」
「……うん」
彼女は思い出すように淡々と語る。
「そして、ことなる気は……反発する」
同じ極の磁石を糊でくっ付けているような状態だった訳だ。
そのままにしておけば磁力の反発によって糊が剥がれる。心臓ならば二つに裂けるということだ。
「……心臓を、喰ったのか?」
「あぁ、食べたよ」
彼女は反応を確かめるように、じぃと俺を睨んでから、俺の尻尾に自身の尻尾を絡めて少し引き寄せる。抵抗できずに引き摺られた。
彼女の尻尾は、焚き火に向けていた面が熱くなっていた。
「あの男が……許せなかったのか」
「…………………………どういう意味?」
そのせいで、こちらは彼女の言葉を自分で補完しなければならない。
そして、今回に限っては全く意味が分からなかった。
『ヴェルデが彼女にふざけたことを言ったから、その報復に彼を利用し尽くすために心臓まで喰らったのか』という意味でないことは確かだろう。
彼女の尊厳など俺の知ったことではない。ヴェルデに対しても……なんら悪感情を持っていない。
彼のことは自意識に多大な障害を抱えた醜い顔面の人間であるというだけの認識だ。
そこに、俺の偏見も私情も一切含まれていない。
必要だから殺し、次いでに心臓を喰らっただけだ。
全て、
「……そうか」
俺は疑問を返したにも関わらず、彼女は納得したように呟いた。
また、ぐいと尻尾ごと体を引っ張られる。
二人の間は手を伸ばせば届く距離にまで、縮められた。
「街から逃げたのは……わたしが『ミグレイ』を名乗ったからか?」
彼女には元々、リドウルビスでは裏方として動いてもらう予定だった。
だから、彼女の偽名は用意していなかった。
しかしヴェルデに見つかって、その名前を聞かれた時に、彼女は咄嗟に一番記憶に残っている女性の名前を口に出してしまったのだ。
「いや……関係ないよ。交渉の内容と、総合的に情報を判断しての結論だよ。もっと隠れるのに良さそうな場所が見つかったのもあるし、金も十分に貯まったし、あそこは聖剣機関の力が強いところだからね。元々移動をする予定だったんだよ」
これらの理由は嘘では無い。
人を殴ったとすれば、その罪は拳ではなく、その指示を出した脳に問われるべきだ。
もし不手際があるとすれば、全ては俺の用意が甘かったせいだ。
「……そうか」
彼女は、また自分だけが分かったように呟いて、尻尾をさらに深く絡めてくる。焚き火の光が彼女の瞳で反射しているのが分かるまで距離が縮まる。
病み上がりの俺と彼女とでは、もし抵抗したとしても抗えない力の差があった。
「ばかなやつだ」
彼女が指先を持ち上げて、体を仰け反らせている俺の胸元にそっと触れた。
そうすると蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなる。
まるで全身を彼女に支配されているような心地だった。
「……ここをよく見ろ」
彼女に言われて、指先の触れている辺りに意識を集中させると親しみ深いザラリとした違和感が心臓から返ってくる。
「躰篭……」
その正体を言い当てる。他人に施すのは慣れたものだが、その逆は初めてだった。
「反発を消すために、心臓に枷をつけた」
「枷……って」
彼女の言葉の意味を理解した俺は、体に気を纏おうとするが、井戸の水が枯れたように、気が放出されることは無い。
体を見下ろせば、体内を巡る気の量も極端に減っている。下手すると常人以下にまで抑えられていた。
躰篭のパスを切ることもできるが、そうすれば再度発生した気は反発を起こし、心臓の痛みも戻って来ることだろう。
つまり、ヴェルデから吸収した心臓の組織が、俺のものと混じり合うまで俺は気術が使えなくなったという訳だ。
「……その傷は?」
俺は彼女の肩、焚き火の影になっている方に薄らと傷痕が残っているのが見えた。殆ど治りかけで、僅かに色が薄い程度の違いしか無いが、彼女にはそんな傷は付いていなかった筈だ。
「躰篭化の時に、おまえが噛み付いた」
「……すまない」
俺は真摯に謝るしかなかった。
彼女は左手で傷痕を撫でた。
心臓の躰篭化に想像を絶する痛みが伴うことは
彼女は俺の顔を覗き込んできた。
「美味かったか?」
「……覚えてないよ」
「そうか」
顔を見ずとも、彼女が俺を揶揄っているのが分かった。
彼女はいつも通りの不機嫌そうな表情を浮かべているが、特に怒りの色が見えなかった。
許されたのは、俺に害意が無かったと知っていたからだろう。
「……」
胸元に触れる彼女の手がさらに近づいて、掌の全体で俺の心拍を確かめるように密着する。高い体温が、布を通して伝わってくる。
しばらく沈黙を保った後、掌を離した彼女は自身の心臓があるところに視線を下した。
「これで……心臓の分の借りは無しだ」
心臓の躰篭化を手伝って貰ったから、自分も同じ事をしたという言い分だろうか。こっちは三重の付与で、あちらは一重の付与だ。釣り合っていない。
だが、こちらは命を救われた。その一点だけで全ての貸しを借りにしても余りある価値だ。彼女の言葉に反論は無い。
彼女は離した掌を自分の口の前に持ってくると、小さく欠伸をした。
下ろした手で軽く二度、俺の尻尾を叩いた。
「……わたしは……寝る」
「おやすみ」
「……あぁ」
相変わらず彼女は眠気に弱いらしい。瞼が既に半分ほど下がっていた。
いつも彼女が瞳に宿す意思の強さが無くなり、目元がトロンとしている。
「……ぁ」
彼女が立ち上がると同時に、固く結ばれていた二本の尻尾が解かれて、無意味に声が漏れてしまう。
焚き火の直ぐ側にも関わらず寒気に襲われた。
彼女は少し怪しい歩き方で、他の少女が眠る辺りに向かっていった。
「……」
どうやら火の番は俺に任せるらしい。
五日もサボっていたのだから、この程度は仕方ないか。
俺は折れて散らばった薪を一ヶ所に集めて火力を高める。
日が昇る頃になってやっと、失った分の体温を取り戻すことが出来た気がした。
————————————————————
第109話『幻熱』
これにて第四章『蟲の街リドウルビス』編終了です。
四.五章を投稿してから第五章へ移ります。
アサシンの卵に転生した 沖唄(R2D2) @R2D2
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