Human:Ne:Monster
メイルストロム
Prologue.城からの来訪者
ある日の夜。某国を訪れた僕は──……
今朝方入国したこの国は、蒸気機関が発達しているらしい。至る所に蒸気管が通っており、それらには赤色塗料で接触厳禁という文字を刻まれていた。蒸気管のサイズは多岐に渡り、一般的な成人の胴体よりも太い物もあれば、トイレットペーパーの芯程度のモノもある。それらは壁面や天井、地下等に張り巡らされており各所へとエネルギーを届けているようで、血管のように見えなくもない。
そんな他国ではまず見られないような光景に、私は僅かに心躍らせていたのだろう。鼻歌交じりに大通りを歩き、適当に歩いた先で小洒落たバーの看板が目に入った。どうやら店は地下にあるらしく、看板には下向きの矢印が記されている。
地下へと続く階段を降り、年季の入ったドアを押し開けると、来店を告げる鐘がカランコロンと軽い音を鳴らした。
カントリー•ミュージックの流れる中、白髪混じりのバーテンダーが私に微笑みカウンター席を勧めてくる。招かれるままに着席すると、凝った装丁の施されたメニューを手渡された。ちょっとした手帳のような厚みのあるソレを開くと、手描きのドリンクに一口解説が添えられている。
曰く、その全てが彼の自作なのだという。なんとも拘りの強いバーテンダーだ。
一口解説を読みつつ、どれにしようかと考えていると──不意に人工的な甘い香りが鼻腔をくすぐった。珍しい香りだと思い振り返ると、そこには二枚目風の出で立ちをした男性が立っている。入店時には気づかなかったが、先客がいたようだ。
彼と視線が交わった直後「こんばんは、レディ」と声を掛けられた。それに対して控えめな挨拶を返すと「隣、いいかな?」という言葉が続く。
「これもなにかの縁だ、もし宜しければ名前を伺っても?」
そんな彼が口にしたのは、何処の国でも一度は耳にするフレーズだ。自己紹介のない一方的なご挨拶。身も蓋もない言い方をすれば『ナンパの常套句』というやつである。
「──名前を聞くなら、まずは自分から名乗って欲しいものね」
「失礼。私はメルヴィ・コーレリヴス。しがない物書きさ」
「……私はソフィーティア。しがない旅人の一人よ」
「へぇ。お仲間はいるのかな?」
「いいえ? 独り旅なの」
そう答えると、彼は驚いたような表情を浮かべた。バーテンダーの方も、意外そうな視線を向けてきている。
二人がその様な反応を見せるのも当然だろう。お世辞にも治安が良いとは言えないこの御時世で、私のような乙女が独り旅をするなど自殺行為にも等しい。
「……いつから一人旅をしているんだい?」
「祖国を──……帰る場所を亡くしてから、ずっとよ」
黒に近い群青色の髪を耳にかけ、隠していた左目の辺りを彼へと見せる。すると彼は驚きと怖れの混じった表情を浮かべ、暫しの間口を噤んでしまった。いきなり見せてごめんなさい、と伝えても彼は「此方の方こそすまない」と伏し目がちに答えるだけ。会話が続くような雰囲気ではなくなってしまった。
「──……貴女、何処の出身ですかな」
口を閉ざしてしまった彼の代わりに口を開いたのはバーテンダーだった。柔和な笑みを携えたまま、丁寧にグラスを磨き続けている。
「
「あの様な場所から? それは随分と過酷な旅であった事でしょう」
アルビオンの背骨とは、北の大国──ロンドカルカを超えた先にある山脈の名称だ。この国から向かうとなれば、概ね三ヶ月程を必要とする距離にある。そこはかつて
しかしアルビオンの背骨は現在、立入禁止区域に認定されている。コレに伴い周辺に存在していた幾つかの自治区も解散。結果として
余談ではあるが、1万ドゥーグで買えるものは多い。とはいえ、大国における高級ブランドを買おうとすれば心許ない金額でもある。
例えばガル・ガ・ディエという老舗ブランドの万年筆──そのエントリーモデルであれば一本あたり1万ドゥーグとなる。ハイクラスであれば一本38万ドゥーグから、といった具合だ。
そして僻地であれば──1万ドゥーグで小さな家を建てられる。しかし1万ドゥーグを稼ぐ為には、節約を重ね重労働を朝から晩までこなす必要があるのだ。しかもそれを1年間、休むこと無く続けなくてはならない。
──そんな状態なので『
競売に上がる度、ニュースになるのも頷けるというもの。だがしかし、私個人としてはアレがそんなに良いものだとは思えない。というか正直、嫌いなのだ。
「……それなりには危険な旅路でした。けれど色々なモノを見ることができましたから、良い旅路ではありましたよ」
「左様でございましたか」
優しい声音と共に出されたのは、珈琲と生クリームの入れられた小さいカクテルグラス。頼んだ覚えはないが彼は「ちょっとしたサービス」だと言う。礼を述べてから口をつけると「そのままクイッといってくださいね」との言葉。彼の指示通りに飲み干すと、甘い生クリームの優しい香りと珈琲の香りが絶妙な調和を見せる。
「──……美味しい」
飲み干した後、そんな言葉が自然と漏れていた。バーテンダーは満足そうな笑みを見せるとグラスを下げ、小さなフィナンシェを出してきた。コレもまたサービスなのだという。
「してソフィーティア様。貴方はいつ頃まで故郷に?」
「…………
彼はこの単語に覚えがないらしい。しかしメルヴィには覚えがあったらしく、興味津々といった具合で話しかけてきた。
「
「ええ、勿論」
「ならもしかして、君は怪物に出会っていたりするのかい?」
「さぁ? 貴方の言う怪物が一体
──怪物とは、
思い出して欲しいのだが、人間とて獣の一種類でしかない。だがある時を境に「人間は獣とは違う」とヒトは声を上げ始めたのである。そうしていつからか『獣とは理性なき生命であり、自らの欲望に忠実な存在』であると定義されるようになった。
逆に言えば『理性なき人間は獣である』と言っているようなものだ。そして人間の理性というものは、自分達の思っているよりも脆く壊れやすいものだと証明されてしまった。
事の始まりは北の大国──ロンドカルカが滅びたからだと言われている。後に『
これは少し嫌な話になるが──難民とはいえ、全員が全員受け入れられた訳ではない。
前者である『資産や才能、人脈を持つ者達』は比較的受け入れられやすく、移住先でも安定した生活を営むことが出来たという。しかし何も持たなかった者達は迫害され、墜ちていく他なかったのだ。
──金もなければ資格もない、技能すらない。人脈も無く働き口もない。例え容姿が恵まれていてもそれは変わらない。恵まれていない奴に比べて、多少はマシだと言える程度の恩恵はあるだろうが……そんなモノは無かったほうがマシだと言うものも多かった。
結果、持たざるもの達は入り込んだ先々で様々な物に手を出し始めてしまったのだ。残念ながらその殆どは、私娼やスリに強盗殺人といった犯罪行為である。
しかし彼らはそうでもしないと生きていけないのだ。祖国を失い帰る場所を失った彼等は、暗いところで生きていくしか出来ない。それでも始めのうちは良かった。大勢の仲間がいるから、同じ境遇の人達がいるから耐えられた。
……けれど暫くして、再び彼等は二分され始める。真面目に働き市民権を得るに至った者と、犯罪行為により居場所を狭めた者達。彼等は同じルーツを持ちながら、正反対の場所に立ち始めてしまった。
その結果、同じ故郷を持つものが日向を堂々と歩いているのに、自分はそれすら許されないという状況が生まれた。そうなれば鬱憤は溜まっていくばかりで、お互いがお互いを恨むようになるまでそう時間はかからなかったそうだ。
──アレ等と私達は同じ生物なのに、どうしてこんな事になる?
前者は後者の不徳を糾弾し、後者は前者を恨み妬んだ。世論は当然、前者の味方をし後者を『悪しき者』として排除する流れになった。
しかし、ここで一つの問題が起きた。他国民からすれば前者も後者も同じ
──……そうなればどんな事が起きるか、想像に難くない筈だ。
元ロンドカルカ国民である。ただそれだけで世間は彼等を疎み疑いの目を向け始めたのだ。そうして疑念はいつしか
これに対し元ロンドカルカ国民は抗議したが──当たり前のように無視された。その事に対し憤慨する者も多く、その怒りの矛先は『生存の為に犯罪行為を働いた同胞』へと向けられたという。そうして気がつけば、同一民族がお互いを憎み傷つけ合う様になっていた。
この結果、彼等は獣へと変貌してしまったのだ。堕ちた獣は『自らの渇望を満たす』為に動き続け、いつからか怪物へと成り果てたという。
事実、そうした怪物は何例も報告されている。
怪物達はその特性に合致した名で呼ばれており──その多くが空想の住人から採られたものだった。
怪物は人を襲い、奪い、殺す。
アレ等には過去の記憶や人格といったものは存在しない。ただひたすらに、自身の『欲望』を満たす為だけに動き続けている──
「僕の言う怪物は──
彼曰く、それは最も有名な吸血鬼なのだという。最も美しく、残酷な吸血鬼のお姫様。
ソレはアルビオンの背骨、その中腹にある崖に建てられた古城──ペルビアン城の主として生き、既に朽ちた龍を恨んでいる。それと同等に『
「まるで護国の鬼将じゃない。さぞかし恐ろしい光景だったのでしょうね」
「かの有名な
全く以て酷い言われようだ。しかしこの程度ならば、何処でも耳にする話であり新鮮味はない。他に彼女の話は無いのか、と聞いてみると実に様々な噂話をしてくれた。
けれどそれらは全て事実無根、作られたイメージが先行した結果産まれた空想に過ぎない。よく『噂話には尾ヒレが付くものだ』と言われるが、ここまで悍ましく浅ましいモノがつくとは思わなかった。
……人間のもつ想像力は、今も昔も変わらず恐ろしいものである。
「安っぽい嘘ね」
「どうしてそう言い切れるんだい?」
彼はからかうように言い切ると、そのままバーテンダーへと声を掛ける。その内容はどれも吸血姫についての俗説であり、先の噂話よりも少し詳しいものだ。そして勿論、全てが嘘っぱちである。ゴシップ雑誌以下の話を一方的に話された上、同意を求められる初老の彼が不憫でならない。
なのでタイミングを見計らって『何故そこまで熱くなっているのか』と訪ねてみたが、その答えは意外なものであった。
なんと、彼は吸血姫を題材にした本を書いているのだという。その資料集めには数年を費やしたらしく、吸血姫の専門家を名乗っているのだとか。
あまりの滑稽さに笑い転げそうになったが、ここで水を差すのは勿体無い。彼の話に適当な相槌を挟みつつ、程よく持ち上げてやると面白い位に上機嫌になっていく。純真なのか馬鹿なのか不明だが、扱いやすい事この上ない。
「さっきはチープな嘘、だなんて言ってごめんなさいね」
「わかってくれればいいのさ。それでどうなんだ? 君は
「勿論よ」
「本当かい?」
そう口にする彼の顔は、明らかに私を小馬鹿にしたものであった。だがこれも仕方ない事なのだろう。もし吸血姫が彼の語る通りの存在であれば、私は死んでいなくてはいけないのだから。
故にきっと、私の答えは彼を驚かせることだろう。
「えぇ……──だって私、ペルビアン城から来たんだもの」
Human:Ne:Monster メイルストロム @siranui999
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