第59話 特製淡麗醤油煮干らぁ麺 トッピング別皿

 空気がピシッと張り詰める。

 若槻大将が心持ち顔を引き締めて、有方大将の前にどんぶりとお皿を置く。

「淡麗醤油煮干らぁ麺の特製盛り、トッピング別皿です。器、熱いのでお気をつけください」

 すぐに、私と泉くんの分もカウンターに並び、辺りに煮干出汁のとてもいい香りが立ち込める。

 私がこの世界に入る切っ掛けとなったラーメン。今日は有方大将を見習って違う形で出してもらった。

 透明度の高い琥珀色のスープに漂う、美しいまでに整えられた麺線。それはまるで、夕焼けに映える白波のようだった。

 その上に添えられたのは豆苗のみ。他のトッピングは全部別皿に綺麗に盛りつけられていた。

 スマホを構えて速やかに撮影を済ませ、レンゲと箸を取る。

「うわっ……」

 ひとくち飲んだだけで口いっぱいに広がる煮干の清んだ旨味。五感の全部が味覚だけに支配されてしまったようなこの感覚。口が、舌が、身体中が美味しいって喜んでいる。

「うん、美味い」

 目を閉じて満足そうに頷く有方大将。その言葉を聞いて、若槻大将はホッと短い息を吐いた。

 前に食べたときよりもより一層スープが、そしてシルキーな細麺が繊細に感じる。旨味がダイレクトに口いっぱいに広がるのは、トッピングがのっていないせいなのかも。

 ひとつのどんぶりの中に描かれる芸術は、それが単純であればあるほど誤魔化しが効かない。そこに若槻大将の仕事の丁寧さが伺える。

 トッピングを別皿にした理由はそれだけじゃない。

 三種類のチャーシューを順番にそのままひとくち食べてみる。

「甘っ!」

 え、何これ? チャーシューの脂がこんなにも甘いなんて。スープに浸っているときとはまったく違う美味しさだ。鶏胸チャーシューの柑橘系の香りも食欲をそそる。

 それを今度は熱々のスープに入れて熱を加える。すると煮干の風味がプラスされて劇的に味が変わる。

 ああ……美味しい……本当に幸せ。

 好き……ラーメン、大好きっ!

「煮干出汁に雑味がなく、ブレンドした醤油のかえしのバランスもいい。麺のゆで加減も絶妙で、個性はあるのにくどくなく後を引く一杯だ」

「醤油の魔術師にそう言ってもらえるなんて光栄です」

 若槻大将が嬉しそうに小さく頭をさげる。

「醤油の魔術師?」

「有方大将は全国から取り寄せた何種類もの醤油を使い分けて、全部違う醤油ラーメンに仕上げるんです。だからみんなから醤油の魔術師って呼ばれていて。小麦さんなら朝ラーを食べてきたからわかると思いますけど……」

 確かに泉くんの言うとおりだ。てんやわん屋の醤油ラーメンは、お祭りで食べた丸鶏の醤油ラーメンを皮切りに何杯も食べたけれども、確かに全然違う醤油ラーメンばかりだった。

 そんな凄い大将の元で修行して、さらにそれを超えていく若槻大将。

 らぁ麺わかばは、私の物語の始まりの場所。

 ラーメンの美味しさに出会って、彼に出会って、そして……

 お腹いっぱい胸いっぱい、大大大満足で若槻大将に頭をさげる。

「ごちそうさまでした! とっても美味しかったです!」

「いえいえ、こちらこそお祝いまでいただいてしまって。また来てください!」

 私たちがお店を出ると、そこには五十人はいるんじゃないかと思えるくらいの長蛇の列ができていた。

 その並びの前の方にいた馴染みのフォロワーさん達が手を振ってきたので軽い会釈を返す。

「みなさんお先ですー」

「フォワラーちゃんっ! お盆休みに長野に行くんですってぇ?」

「ええ、ラーメン屋巡りに……って、何でサブさんがそれを知ってるんですか!? 私誰にも……」

 さては……

 ギロリと泉くんを睨みつけると、彼は目を白黒させて手と首をブンブンと振った。

「あ、や、長野のラーメン屋を調べていて、それで、みんなが行ったことがある店を教えてもらおうと思ったら、誰と行くのかって聞かれて……けど、僕は何も言ってない……」

 しまった……やられた……

 恐るおそる振り返ると、みんなが口元をニヤニヤさせて私を見ていた。ゴホンッと咳払いをして口に手を当てる有方大将まで。

「明日の朝ラーは京小麦の香露そばなんだけど……食べに来てくれるのかな、ふたりは?」

「あ、はい、もちろんっ! てんやわん屋で朝ラー食べてから出かけるので! ね、泉く……ん……」

 あ……穴があったら引きこもりたい。

 べ、別にやましいことは何もない。泉くんに誘われたから一緒に長野までラーメン遠征に行くってだけだ。ちょっと、二泊三日で。そのに温泉旅館に泊まったり観光をしたりするかもしれないけれども、メインはあくまでラーメンだから。

「ラーメン屋巡りをはじめて三ヶ月でと遠征まで行っちゃうなんて、フラワーさんもとんだね」

 ちょっ、おばけ会長さん、そのはラーメンのこと? それとも泉くんのこと? どっちかわからなくて返事ができない。

 そもそも泉くんは彼氏じゃない!

 ピロンッ!

 ん? 佐伯さんからメッセージだ。

『長野のお土産はがいいな!』

 ほうとうは長野じゃなくて山梨だから! どうして蕎麦じゃなくてほうとうを選んだ? 大体、私が食べに行くのはラーメンで……そうじゃないっ!

 何で佐伯さんまで……

 言うまでもない。そこで第二の太陽のような頭をしている強面外国人が……

 ああああああ……もう、散々だ。今ここに、清水さんがいなくてよかった。こんな所を彼女に見られたら……げっ……いるじゃんっ!?

 みんなから二十人くらいうしろの方で殺人鬼のような目をしてこっちを睨んでいる。

 ヤバい、これ以上変に絡まれる前に帰らないと。

「あ、の……お先です。帰ります。明日の準備をしないといけないので……」

「あっ、ちょっ、小麦さんっ!」

「追いかけてこないでよ、またややこしくなるから!」

 もうっ、何でまたこんなことに……

 三ヶ月前、らぁ麺わかばでラーメンを食べたその日から……

 ラーメン屋に行くのも、ラーメンを食べるのも、ラーメンオタク――ラオタも、大好きになった。

 本日のラーメン――

 特製淡麗醤油煮干らぁ麺 トッピング別皿……千三百円。


 ―― 了 ――

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打木小麦さんはメンクイ(麺食い) ~ラーメン嫌いだった私がラーメンオタクはじめました! えーきち @rockers_eikichi

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